空に一番近い彼
空師という職人が存在することは知っていた。以前、テレビで特集をやっており、父が食い入るように観ていたのをよく覚えている。

日本古来からの技術職。高い木に登り伐採作業をする。昔は高い建物などなく、木が一番空に近いものだった。その空に一番近いところで作業をすることから【空師】と呼ばれている。クレーン車や高所作業車が入れない場所では、空師の存在がとても重要なのだと紹介していた記憶がある。

当時の私は、縁遠い職業だなという程度の認識だった。


空に一番近い、か…


大迫駿、スマホに登録した番号を見つめた。


私は大学を卒業してすぐに、それまで使っていたスマホを解約した。

私には所謂彼氏といれる男性もいた。キスをしたことも手を繋いだこともない彼氏。智紀(ともき)という名で、イケメンモテ男。けれど、私の聴覚が失われるとわかってから、顔を見ることもなく『ごめん、やっぱ俺無理だわ』たったこれだけのメッセージを送りつけてきた。商社に就職した彼は、人の懐にスルリと入り込む人柄を活かし、私とは真逆の順風満帆な人生を送るのだろう。

切磋琢磨して一緒に過ごしてきた友人は、夢に向かって確実に前へと進んでいる。その姿を見るのが辛い。皆私のことを心配し、メッセージを送ってくれるのだけれど、私はそのメッセージを素直に受け取れなくなってしまった。受け取る度に卑屈になってしまう自分が嫌だった。

もう何もかも断ち切りたい。
これまでの全てを、失った聴覚と一緒に消してしまいたかった。できることなら、自分自身をこの世から消してしまいたかった。
だから、スマホなど必要ないと解約した。
けれど、ここに住むことになり、連絡手段がなければ困ると新しい番号を受け取ったのだ。

今持っているスマホには、家族と、別荘の管理会社、お世話になっているタクシー会社の番号しか登録されていない。そしてその中に、彼の番号が加わった。
< 10 / 42 >

この作品をシェア

pagetop