人魚な王子
第17章

第1話

 夏休みは終わり、次の学校が始まっていた。
部活のなくなった僕は、他にすることもないから、何となくここに来ている。
地上で唯一僕が作った居場所に、未練がないわけじゃない。
ここを離れがたいのは、きっと僕の中にも、まだ寂しいという気持ちが残っているからだと思う。
夏の太陽はすっかり陰りをみせ、その光を弱める。

 朝はゆっくり教室に入って、自分の席に座る。
すぐ隣にいた男の子に、声をかけてみた。
彼は凄くびっくりしてたけど、聞いたことには全部答えてくれる。

「宮野くんから話しかけてくるなんて、思わなかった」
「なんで?」
「え、だって。他人に興味なかったから」

 彼は眼鏡の縁をコソッと持ち上げる。
そういえば同じ教室の、奏と岸田くん以外の人とは、あんまり話したことなかったな。

「ねぇ、名前なんて言うの?」
「あ、そっからなんだ。まぁいいけど」

 僕に初めて、人間の友達が出来た。
彼の名前は田中くん。
田中くんの背はそんなに高くない。
僕と同じくらいで、体格は筋肉質ではないけど、しっかりした作りをしていた。
彼の好きなアニメやゲームを教えてもらって、一緒にやる。
もう部活に行かなくてもいいし、奏のことを気にしなくてもいいんだ。
そう思うと、僕の体は急に軽くなった。
ふわふわ宙に浮かんでいるような気分だ。
田中くんと話すようになったら、他の女の子たちとも話すようになった。
谷さんと小山さん。
二人とも真っ直ぐな黒髪で、谷さんの方は眼鏡をかけている。
仲良しになったから、昼休みには一緒にお弁当を食べようと誘われて困る。
ずっと栄養ゼリーばかりだった僕は、結局人間の食べ物が口に合うことはなかった。

「一緒にお弁当はいいよ。僕は食べられるものがあんまりないから」

 谷さんと小山さんは顔を見合わせる。

「それはアレルギーとかの、健康上の理由?」
「う~ん……。じゃなくて、好き嫌い?」

 僕がそう言うと、すぐ横で黙って聞いていた田中くんは、自分のお弁当の蓋を裏返して僕の前に置いた。
そこにプラスチックで出来た、黄色い針みたいなものを刺したから揚げを置く。

「みんなで食べるってさ、ある意味雰囲気だから」

 僕には彼の言うことがよく分からなくて、もっと困る。
そしたら谷さんが自分のお弁当から卵焼きを一個取りだして、田中くんのから揚げの隣に置いた。
小山さんも、そこにウインナーを置く。

「今日の弁当の中に入ってる、俺の一番好きなおかず。同じもの食べるって、時間と思い出の共有だから。無理にとは言わないけど」

 二人の女の子も、同時に「うん」とうなずく。

「そっか。うれしいよ」

 時間と思い出の共有か。
確かに今の僕には、一番必要なものかもしれない。
油でべとべとのものは好きじゃないけど、こういう気持ちは嫌いじゃない。
遠慮なくそれをつまむ。

「うん。おいしい。ありがとう。」

 僕が微笑んで見せたら、彼らも笑ってくれた。
お弁当が終わったら、谷さんがスマホの画面を見せてくれたので、僕も一緒になってのぞき込む。

「これは何の動画? 歌を歌ってるの、なんで?」
「カラオケ、行ったことないの?」
「ない」
「じゃあ今度、一緒に行こう」

 初めての友達との約束。
今になってまで、僕に初めてがあるだなんて思わなかった。
カラオケの話しで盛り上がっていたところに、ふと人影がさす。
黒くてくるくるした短い髪が、少し伸びた奏がそこに立っていた。

「あのさ。ちょっと宮野くんに話しがあるんだけど」

 奏とは、水泳部を引退してから話していない。
岸田くんもだ。
あの大会が終わってから、もう1ヶ月は過ぎた。

「ごめん。放課後はカラオケ行く約束しちゃった」
「宮野くんに用はなくても、私には出来たの。それとも、ここで大事な話しをしちゃってもいいの?」

 奏だけがまだ怒っていた。
黒い目が、心なしか揺れているようにも見える。
奏がもう僕を好きじゃなくても、やっぱり僕は、彼女の悲しむ姿を見たくないと思った。

「分かった。場所を移そう」
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