おじさんと恋、始めました

はじまり


【諸注意】
この本は作家さんと編集者さんのお話です。実際のお仕事の内容とは違うかもしれませんが、大目に見てもらえると嬉しいです。


「長谷川さん、ちょっといいかな」
火曜日の昼休憩、やっと仕事がひと段落して、昨日の夜に買っておいた五十円引きの菓子パンを手に取ったときだった。
「はい」
声のした方を向くと、横のデスクの聡子先輩が申し訳なさそうにこちらをみていた。もうだいぶ大きくなったお腹を見れば、話の内容はだいたいよめた。
「私、来週から産休に入るでしょう?だからね、私の代行をしてほしくて」
聡子先輩は去年結婚して、すぐに子供を授かった。つわりが酷くないからと言って、特にこれといった休みもとらず、バリバリ働いていたのだが、流石に予定日が近づいてきたため、産休をとることにしたのだそう。
「そっか、もうそんな時期ですか」
「そうなの。ごめんね、仕事、増えちゃうだろうけど」
「いいですよ。私今結構暇なんで」
担当している作家さんの連載が終わり、ぶっちゃけ今の仕事は読者へのお礼コメントを書くくらいだった。
「本当!?ありがとう!必ずお礼はするから」
「いいですよ。元気な赤ちゃん産んでくれれば。男の子でしたっけ」
「うん。本当にありがとう。この子も元気に生まれてくると思う」
幸せそうに笑う聡子先輩を見て、こちらまで幸せが感染してきそう。別に悪い意味ではないけど、私には縁遠い話だ。
「それでね、担当の作家さん、武藤尚美先生なんだけどね」
「あー、芥川賞だのいろいろとってるあの?」
「そうそう。それでね、少し繊細な方だから、いつも以上に扱いを丁寧にしてほしいの」
「わかりました。オンラインでいいですよね?」
最近はネットワークが普及して進化したから、遠く離れている作家ともオンラインで打ち合わせができるようになったし、編集者が変わる時の挨拶も大半はオンラインでやっている。
「いや…、それが、編集長に聞いたらね、直接挨拶に行けって…」
「はぁ!?北海道まで!?」
思わず手の菓子パンを落としそうになる。
「大事な大事な作家さんだから礼儀正しくしろ!って」
「でも、そんなの、繊細な方なんだから嫌なんじゃないですか?他人が家に来るの」
「いや、それがね。新しい奴の顔は見ておきたいって先生が」
「どこが繊細なんですかね、それ」
「まあ、色々あるのよ、きっと」
私たち編集者にとって、作家は大事だ。神様仏様作家様。…だけど、非常にめんどくさい。めんどくさいとか言っちゃいけないけどめっちゃめんどくさい。
「いつですか?」
「私が産休入る前だから、今週中にお願いしたいんだけど…」
急だ。急すぎる。でも今断ったら聡子先輩が悲しむし、みんなに迷惑かかるし、編集長の鉄拳も飛んできかねない。
「…わかりました」
「本当にごめんね。ありがとう」
そんなこんなで、私は北海道へと旅立つことになるのだが、まさか、こんなことになろうとは、思いもしなかった。
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