温室の魔女は、今日も僕をアフタヌーンティーに誘う〜今宵、因縁の君と甘いワルツを〜
対価
「本当? 私、まだ生きられるの?」
結衣さんは瞳を見開いて雫さんを見た。彼女の瞳には希望の光がありありと見える。
「但し、対価をくだされば」
「あげるわ。なんでも。なにをあげればいい?」
前のめりに訊ねる結衣さんに、雫さんは冷酷に告げた。
「あなたの病気を治した後の、あなたの寿命の半分」
僕は言葉を失った。僕たちの向かいに座っていた結衣さんも、さすがに言葉を失っているようだった。
寿命の、半分。それがどれだけ重いものであるか、命の灯火が消えかけている彼女はいやでも理解していることだろう。
「…………わ、分かりました。そうですよね。それくらいの代償は覚悟してたから、大丈夫」
結衣さんは動揺しながらも頷く。瞬きの一瞬のうちに、両者を天秤にかけて判断したのだろう。
「……ごめんなさい。対価は貰わないと、私も怒られちゃうから」
「え……」
雫さんの言葉に、僕はひっかかりを覚える。
――怒られるって、誰に?
しかし、今二人の間に割って入れる状況じゃない。僕はグッと堪え、見守る。
「それなら、叶えます。あなたの病気は必ず治す。その代わり、治ったあかつきにはあなたの残りの寿命の半分を貰います。あなたがあと五十年生きるならその半分の二十五年。三十年なら、十五年を」
雫さんの言葉に、結衣さんはしっかりとうなずいた。
「はい」
雫さんが指を鳴らし、時を止める。
静かな空間で最終確認をして結衣さんが頷くと、雫さんはオレンジ色の短冊を差し出した。
「ここに願いごとを」
結衣さんは短冊にすらすらと書いていく。
書き終わるとそこに蝶が止まり、キラキラと光を残して消えていった。
これで、依頼は完了だ。
「これであなたの願いは完了です。残りの人生、悔いのないようにお過ごしください」
雫さんは結衣さんににこりと微笑むと、僕を見た。
「お待たせしましたー」
雫さんは注文したスイーツが届くと、嬉しそうにラッコを解体して食べ始めた。
僕はそれを呆れつつ、彼女の人間らしいその部分に少しだけほっとしながらそれを見つめた。
そして、彼女はスイーツを食べ終わると「それじゃあ、帰ろうか。ムギちゃん」と席を立つ。
「…………うん」
けれど、僕はまだ心臓がバクバクしていた。しかし雫さんはなんでもないように笑っていた。
彼女は魔女だ。
これは彼女の仕事であって、『対価』というものは、彼女にとってはほんの些細なものなのかもしれないけれど……。
その日、僕は胸のざわめきを抑えられず、眠れぬ夜を過ごした。
これは、本当に願いを叶えたことになるのだろうか。
翌日、僕はふわふわとした頭のまま秘密の温室へ向かった。
「ムギちゃん。いらっしゃい」
「雫さん……こんにちは」
少しだけ気まずいと思っていたのに、びっくりするくらいに彼女はいつも通りの笑顔を浮かべて僕を迎えてくれた。
「おやつの時間だね」
「うん」
「今日はなにかな?」
「今日は、チョコレートケーキ。うちのは少しビターテイストで苦いけど、雫さん大丈夫かな?」
「全然大丈夫だよ!」
雫さんは嬉しそうに指を鳴らし、アフタヌーンティーの準備をした。
樹洞の目の前のカフェテーブルに座り、僕たちは優雅なティータイムを送る。
頭上に広がるつぎはぎの空は、今日は真夜中を演出しているのか真っ暗で、ぽちぽちと小さな星の瞬きが物悲しく僕の瞳に映った。
それを見ながら僕は、やっぱり彼女のことが好きだなぁと思いながら紅茶を飲む。
「……私のこと、嫌いになった?」
彼女は悲しそうな声で、けれど微笑みながら僕を見ていた。
「ムギちゃん、私を天使かなにかと勘違いしてたでしょ」
小さく息を吐き、雫さんは「違うよ。私は魔女。ムギちゃんみたいに優しくないし、温かくもない」と呟いた。
「……嫌いになるわけないだろ。僕は雫さんのことが大好きなのに」
「……でも、戸惑ってる」
「そりゃあ……少し驚いたけど」
雫さんに嘘は通用しないみたいだ。けれど、嫌いになんてなれない。雫さんのことは、変わらず大好きだ。
「ムギちゃんは優しいね」
雫さんは悲しげにころころと笑った。そして、すっと一通の手紙を僕に差し出した。
「信濃結衣さんからの手紙だよ」
「……読んでいいの?」
雫さんが静かに頷くのを確認して、僕はおずおずとその手紙を開いた。
『英雫さま。
先日はお世話になりました。そして、願いごとを叶えていただきありがとうございました。
あなたを信じた結果、病気は本当に治りました。
実をいうと、最初は願い屋七つ星の噂を聞いたときは半信半疑でした。でも、他に頼るものもなくて、藁にもすがる思いであなたに手紙を出しました。
今では病気のことが嘘のように体が軽くて、毎日元気に過ごせています。
それから、病気が治り、これからの残された人生のことを考えた末、私は彼と離婚することを決めました。後ろ向きな判断ではありません。むしろ、前向きに。
だって、誰でもない自分の人生なのに、誰かのために生きるなんてつまらないもの。
それに気付かせてくれた英さんには、本当に感謝しかありません。
本当にありがとう。――信濃結衣』
「えっ、別れちゃったの!? 病気でも寄り添ってくれた優しい旦那さんなのに」
僕は、依頼人から届いた手紙の内容に唖然とした。
「死を目の前にして、価値観が変わったのかもね。病気が治って寿命が伸びたように思うけど、実際対価に寿命の半分を失っているわけだし、短い人生をその人と暮らすのはもったいないと思っちゃったのかも」
雫さんは平然と言いながら、自分の紅茶にアプリコットジャムと乳白色の宝石を二つばかり落とした。
「……なんか複雑だな。それって、本当に幸せなのかな」
僕はげんなりとその様子を見つめた。
「彼女の人生だもの。好きに生きていいと思うけど。ま、ふられちゃった旦那様はちょっと気の毒かもしれないけれどね」
そう言って、雫さんは白く細い喉を鳴らし、オレンジ色の宝石をこくりと呑み込んだ。
結衣さんは瞳を見開いて雫さんを見た。彼女の瞳には希望の光がありありと見える。
「但し、対価をくだされば」
「あげるわ。なんでも。なにをあげればいい?」
前のめりに訊ねる結衣さんに、雫さんは冷酷に告げた。
「あなたの病気を治した後の、あなたの寿命の半分」
僕は言葉を失った。僕たちの向かいに座っていた結衣さんも、さすがに言葉を失っているようだった。
寿命の、半分。それがどれだけ重いものであるか、命の灯火が消えかけている彼女はいやでも理解していることだろう。
「…………わ、分かりました。そうですよね。それくらいの代償は覚悟してたから、大丈夫」
結衣さんは動揺しながらも頷く。瞬きの一瞬のうちに、両者を天秤にかけて判断したのだろう。
「……ごめんなさい。対価は貰わないと、私も怒られちゃうから」
「え……」
雫さんの言葉に、僕はひっかかりを覚える。
――怒られるって、誰に?
しかし、今二人の間に割って入れる状況じゃない。僕はグッと堪え、見守る。
「それなら、叶えます。あなたの病気は必ず治す。その代わり、治ったあかつきにはあなたの残りの寿命の半分を貰います。あなたがあと五十年生きるならその半分の二十五年。三十年なら、十五年を」
雫さんの言葉に、結衣さんはしっかりとうなずいた。
「はい」
雫さんが指を鳴らし、時を止める。
静かな空間で最終確認をして結衣さんが頷くと、雫さんはオレンジ色の短冊を差し出した。
「ここに願いごとを」
結衣さんは短冊にすらすらと書いていく。
書き終わるとそこに蝶が止まり、キラキラと光を残して消えていった。
これで、依頼は完了だ。
「これであなたの願いは完了です。残りの人生、悔いのないようにお過ごしください」
雫さんは結衣さんににこりと微笑むと、僕を見た。
「お待たせしましたー」
雫さんは注文したスイーツが届くと、嬉しそうにラッコを解体して食べ始めた。
僕はそれを呆れつつ、彼女の人間らしいその部分に少しだけほっとしながらそれを見つめた。
そして、彼女はスイーツを食べ終わると「それじゃあ、帰ろうか。ムギちゃん」と席を立つ。
「…………うん」
けれど、僕はまだ心臓がバクバクしていた。しかし雫さんはなんでもないように笑っていた。
彼女は魔女だ。
これは彼女の仕事であって、『対価』というものは、彼女にとってはほんの些細なものなのかもしれないけれど……。
その日、僕は胸のざわめきを抑えられず、眠れぬ夜を過ごした。
これは、本当に願いを叶えたことになるのだろうか。
翌日、僕はふわふわとした頭のまま秘密の温室へ向かった。
「ムギちゃん。いらっしゃい」
「雫さん……こんにちは」
少しだけ気まずいと思っていたのに、びっくりするくらいに彼女はいつも通りの笑顔を浮かべて僕を迎えてくれた。
「おやつの時間だね」
「うん」
「今日はなにかな?」
「今日は、チョコレートケーキ。うちのは少しビターテイストで苦いけど、雫さん大丈夫かな?」
「全然大丈夫だよ!」
雫さんは嬉しそうに指を鳴らし、アフタヌーンティーの準備をした。
樹洞の目の前のカフェテーブルに座り、僕たちは優雅なティータイムを送る。
頭上に広がるつぎはぎの空は、今日は真夜中を演出しているのか真っ暗で、ぽちぽちと小さな星の瞬きが物悲しく僕の瞳に映った。
それを見ながら僕は、やっぱり彼女のことが好きだなぁと思いながら紅茶を飲む。
「……私のこと、嫌いになった?」
彼女は悲しそうな声で、けれど微笑みながら僕を見ていた。
「ムギちゃん、私を天使かなにかと勘違いしてたでしょ」
小さく息を吐き、雫さんは「違うよ。私は魔女。ムギちゃんみたいに優しくないし、温かくもない」と呟いた。
「……嫌いになるわけないだろ。僕は雫さんのことが大好きなのに」
「……でも、戸惑ってる」
「そりゃあ……少し驚いたけど」
雫さんに嘘は通用しないみたいだ。けれど、嫌いになんてなれない。雫さんのことは、変わらず大好きだ。
「ムギちゃんは優しいね」
雫さんは悲しげにころころと笑った。そして、すっと一通の手紙を僕に差し出した。
「信濃結衣さんからの手紙だよ」
「……読んでいいの?」
雫さんが静かに頷くのを確認して、僕はおずおずとその手紙を開いた。
『英雫さま。
先日はお世話になりました。そして、願いごとを叶えていただきありがとうございました。
あなたを信じた結果、病気は本当に治りました。
実をいうと、最初は願い屋七つ星の噂を聞いたときは半信半疑でした。でも、他に頼るものもなくて、藁にもすがる思いであなたに手紙を出しました。
今では病気のことが嘘のように体が軽くて、毎日元気に過ごせています。
それから、病気が治り、これからの残された人生のことを考えた末、私は彼と離婚することを決めました。後ろ向きな判断ではありません。むしろ、前向きに。
だって、誰でもない自分の人生なのに、誰かのために生きるなんてつまらないもの。
それに気付かせてくれた英さんには、本当に感謝しかありません。
本当にありがとう。――信濃結衣』
「えっ、別れちゃったの!? 病気でも寄り添ってくれた優しい旦那さんなのに」
僕は、依頼人から届いた手紙の内容に唖然とした。
「死を目の前にして、価値観が変わったのかもね。病気が治って寿命が伸びたように思うけど、実際対価に寿命の半分を失っているわけだし、短い人生をその人と暮らすのはもったいないと思っちゃったのかも」
雫さんは平然と言いながら、自分の紅茶にアプリコットジャムと乳白色の宝石を二つばかり落とした。
「……なんか複雑だな。それって、本当に幸せなのかな」
僕はげんなりとその様子を見つめた。
「彼女の人生だもの。好きに生きていいと思うけど。ま、ふられちゃった旦那様はちょっと気の毒かもしれないけれどね」
そう言って、雫さんは白く細い喉を鳴らし、オレンジ色の宝石をこくりと呑み込んだ。