温室の魔女は、今日も僕をアフタヌーンティーに誘う〜今宵、因縁の君と甘いワルツを〜
好きな人
僕には好きな人がいる。
今は三月。
僕は放課後になると、いつもおやつの詰まったバスケットを持って彼女のいる温室へ行く。
そこは、一般区民でも入室料を払えば自由に出入りすることができる温室。
これまでの僕は、この表側の温室を楽しむばかりだった。けれど、今は違う。
僕の目的は彼女。その彼女は、表側のここにはいないからだ。
彼女がいるはずのさらに奥まったその場所へ、僕は真っ直ぐに足を進める。
植物の陰に隠されるように存在する螺旋階段を三階まで昇り、有毒植物が茂るコーナーへ向かう。そして、その中央にそっと存在する小さな扉。
その扉をくぐると、不思議な空間に放り出され、気が付くと――。
ずどんっ。
臀部にちょっとした痛みを伴って、この秘密の温室に辿り着くのだ。
けれど、こんな痛みなど瑣末なもの。
大好きな雫さんに会えると思えば、たとえこの身が燃えるとしてもこの扉を通ろうというものである。
「ムギちゃん、いらっしゃい」
目の前には、麗しの雫さん。相変わらず白いワンピースが清楚で可愛らしい。彼女は純白の車椅子を優雅に操って、僕の傍らまでやってくる。
僕はサッと立ち上がり、何事もなかったように笑顔を向けた。
「雫さん……こんにちは。今日はマカロン持ってきたよ」
その瞬間、彼女の藍色の瞳が輝く。
「おやつの時間だね!」
雫さんは嬉しそうに僕の周りをくるくると回った。
「うん。一緒に食べよう?」
「うん!」
雫さんはさっそく指を鳴らし、カフェテーブルに紅茶を用意し、魔法でティータイムの準備を始める。
彼女が笑う度、彼女の周りを花びらが舞うように見えるのは、果たして僕だけなのだろうか。
「うぅ。美味しい!」
雫さんは嬉しそうに紅潮した頬に手を当てた。
「雫さんは本当に甘いものが好きだね」
「好きー。でも、ムギちゃんはあんまり食べないよね」
雫さんははむはむとマカロンを咥えながら、あどけない表情で僕を見た。
なんて可愛らしい顔。ずっと見ていたい。いや、むしろ写真に収めて永遠に拝みたい。
「まあ、嫌いじゃないけど、雫さんが美味しそうに食べてるのを見てる方が好き」
僕は変態ちっくな心の内を笑顔で隠し、頬杖をついて彼女を見た。
「私が食べてるのを見てた方がいいなんて、ムギちゃんって本当に変わってるよね。奥ゆかしい奥ゆかしい」
「奥ゆかしい?」
……若干意味がわからないけれど、可愛いからまあ許そう。
「……あ、雫さん。髪が少し乱れてる」
「ふ?」
彼女はマカロンを食べながら首を傾げた。
誘惑に勝てず、彼女の髪に触れた。さらりと軽く柔らかい感触が手のひらをくすぐる。
彼女の髪を手に取った途端に鼻を抜ける、甘く芳しいシャンプーの香り。
「髪、梳いていい?」
「うん」
雫さんは魔法で櫛を出し、僕に手渡した。
……なんのシャンプーを使っているのだろう。
彼女に関しては、そんなつまらないことまで気になってしまうなんて、僕は本当に重症だ。
ともあれ僕は、彼女の艶やかな髪を優しく梳いていく。
「……ねえ、ムギちゃん。そんなに私のこと、好き?」
びくりとして、僕は手を揺らす。彼女の髪が僕の手から離れ、感触が消えていく。
「…………好き」
小さく答える。
「ふふっ……」
彼女はそんな僕を気にする素振りもなく、そして曖昧な僕の告白に返事をする訳でもなく。
ただ、嬉しそうに笑った。
僕はその後も髪を優しく梳きながら、ただ彼女が美味しそうにマカロンを口に運んでいくのを見つめていた。
「ムギちゃん、食べる?」
唐突に、雫さんがくるりと僕を振り返った。
「え、いや僕は……」
「あーん」
そして、あろうことか桃色のマカロンを僕の口に持ってくる。
……僕、明日死ぬのかな。
「あーん」
特に好きでもないマカロンだったが、彼女の指から貰うと果てしなく甘い味がする。
「もう死んでもいい」と呟きながら咀嚼していると、雫さんは「大袈裟だなぁ」ところころと笑って、紅茶の入ったティーカップに、苺ジャムと丸い宝石を入れた。
「それ、なに? 丸いの」
僕は、彼女の背後からティーカップを覗き、訊ねる。
彼女の紅茶の中には、ビー玉くらいの大きさの可愛らしい玉が三つほど浮いていた。
「んー。これは魔女専用の飴玉みたいなものだよ」
彼女は紅茶の中のその玉を口に含むと、こくりと呑み込んだ。
「溶かさないんだ」
「うん。飴玉はそのまま食べる派ー」
「喉に詰まらせないでよ」
「ふふっ。相変わらずムギちゃんは心配性ですねぇ」
そのとき、
「――雫様」
僕と彼女だけの楽園に、声が響いた。
振り返った先にいたのは、仕立ての良い三つ揃いのスーツをまとった紳士的な雰囲気の男。
歳の頃は二十代後半から三十代前半ほど。
「……え」
僕はぽかんと口を開けた。
どうしてこの人が、ここに?
「嫌ですねぇ。こんなところでいちゃつかないでくださいよ」
くすりと笑う男に、僕は驚いて声を上げた。
「りっ……理事長っ!?」
現れたのは、この花籠学園の理事長、三日月静夏だったのだ。
今は三月。
僕は放課後になると、いつもおやつの詰まったバスケットを持って彼女のいる温室へ行く。
そこは、一般区民でも入室料を払えば自由に出入りすることができる温室。
これまでの僕は、この表側の温室を楽しむばかりだった。けれど、今は違う。
僕の目的は彼女。その彼女は、表側のここにはいないからだ。
彼女がいるはずのさらに奥まったその場所へ、僕は真っ直ぐに足を進める。
植物の陰に隠されるように存在する螺旋階段を三階まで昇り、有毒植物が茂るコーナーへ向かう。そして、その中央にそっと存在する小さな扉。
その扉をくぐると、不思議な空間に放り出され、気が付くと――。
ずどんっ。
臀部にちょっとした痛みを伴って、この秘密の温室に辿り着くのだ。
けれど、こんな痛みなど瑣末なもの。
大好きな雫さんに会えると思えば、たとえこの身が燃えるとしてもこの扉を通ろうというものである。
「ムギちゃん、いらっしゃい」
目の前には、麗しの雫さん。相変わらず白いワンピースが清楚で可愛らしい。彼女は純白の車椅子を優雅に操って、僕の傍らまでやってくる。
僕はサッと立ち上がり、何事もなかったように笑顔を向けた。
「雫さん……こんにちは。今日はマカロン持ってきたよ」
その瞬間、彼女の藍色の瞳が輝く。
「おやつの時間だね!」
雫さんは嬉しそうに僕の周りをくるくると回った。
「うん。一緒に食べよう?」
「うん!」
雫さんはさっそく指を鳴らし、カフェテーブルに紅茶を用意し、魔法でティータイムの準備を始める。
彼女が笑う度、彼女の周りを花びらが舞うように見えるのは、果たして僕だけなのだろうか。
「うぅ。美味しい!」
雫さんは嬉しそうに紅潮した頬に手を当てた。
「雫さんは本当に甘いものが好きだね」
「好きー。でも、ムギちゃんはあんまり食べないよね」
雫さんははむはむとマカロンを咥えながら、あどけない表情で僕を見た。
なんて可愛らしい顔。ずっと見ていたい。いや、むしろ写真に収めて永遠に拝みたい。
「まあ、嫌いじゃないけど、雫さんが美味しそうに食べてるのを見てる方が好き」
僕は変態ちっくな心の内を笑顔で隠し、頬杖をついて彼女を見た。
「私が食べてるのを見てた方がいいなんて、ムギちゃんって本当に変わってるよね。奥ゆかしい奥ゆかしい」
「奥ゆかしい?」
……若干意味がわからないけれど、可愛いからまあ許そう。
「……あ、雫さん。髪が少し乱れてる」
「ふ?」
彼女はマカロンを食べながら首を傾げた。
誘惑に勝てず、彼女の髪に触れた。さらりと軽く柔らかい感触が手のひらをくすぐる。
彼女の髪を手に取った途端に鼻を抜ける、甘く芳しいシャンプーの香り。
「髪、梳いていい?」
「うん」
雫さんは魔法で櫛を出し、僕に手渡した。
……なんのシャンプーを使っているのだろう。
彼女に関しては、そんなつまらないことまで気になってしまうなんて、僕は本当に重症だ。
ともあれ僕は、彼女の艶やかな髪を優しく梳いていく。
「……ねえ、ムギちゃん。そんなに私のこと、好き?」
びくりとして、僕は手を揺らす。彼女の髪が僕の手から離れ、感触が消えていく。
「…………好き」
小さく答える。
「ふふっ……」
彼女はそんな僕を気にする素振りもなく、そして曖昧な僕の告白に返事をする訳でもなく。
ただ、嬉しそうに笑った。
僕はその後も髪を優しく梳きながら、ただ彼女が美味しそうにマカロンを口に運んでいくのを見つめていた。
「ムギちゃん、食べる?」
唐突に、雫さんがくるりと僕を振り返った。
「え、いや僕は……」
「あーん」
そして、あろうことか桃色のマカロンを僕の口に持ってくる。
……僕、明日死ぬのかな。
「あーん」
特に好きでもないマカロンだったが、彼女の指から貰うと果てしなく甘い味がする。
「もう死んでもいい」と呟きながら咀嚼していると、雫さんは「大袈裟だなぁ」ところころと笑って、紅茶の入ったティーカップに、苺ジャムと丸い宝石を入れた。
「それ、なに? 丸いの」
僕は、彼女の背後からティーカップを覗き、訊ねる。
彼女の紅茶の中には、ビー玉くらいの大きさの可愛らしい玉が三つほど浮いていた。
「んー。これは魔女専用の飴玉みたいなものだよ」
彼女は紅茶の中のその玉を口に含むと、こくりと呑み込んだ。
「溶かさないんだ」
「うん。飴玉はそのまま食べる派ー」
「喉に詰まらせないでよ」
「ふふっ。相変わらずムギちゃんは心配性ですねぇ」
そのとき、
「――雫様」
僕と彼女だけの楽園に、声が響いた。
振り返った先にいたのは、仕立ての良い三つ揃いのスーツをまとった紳士的な雰囲気の男。
歳の頃は二十代後半から三十代前半ほど。
「……え」
僕はぽかんと口を開けた。
どうしてこの人が、ここに?
「嫌ですねぇ。こんなところでいちゃつかないでくださいよ」
くすりと笑う男に、僕は驚いて声を上げた。
「りっ……理事長っ!?」
現れたのは、この花籠学園の理事長、三日月静夏だったのだ。