シークレット・ガーデン~英国紳士の甘い求愛と秘密~

21.別離



「あのね、レオン」


 夕食後、デザートのケーキにフォークを入れながら莉緒はそろそろと切り出した。


 ちなみにこのケーキは今日のレオンのお土産だ。
 テーブルに乗っている小さな花瓶に活けられた花も、数日前にレオンが贈ってくれたミニブーケ。
 彼は特別な日でなくとも、こうしてちょっとした贈り物をこまめにくれる。


 最初は毎度驚いていた莉緒だが、彼の方は“え? 普通のことでしょ?”という反応で、これもお国柄というものらしい。


 黄色とオレンジを中心に構成された花々。ビタミンカラーだと元気が出るかなって思って、と選ばれたものだった。
 それを眺めながら、転職の話とは別に考えていたことを口にする。


「私、ちょっとここを離れようと思うんだけど」
「…………え?」


 花を眺めていたので莉緒は向かいに座る彼が驚愕に目を見開いたところも、危うくフォークを落としかけていたのも見てはいなかった。
「なんで? どこに? そんなに色々負担になってた?」
 が、続く焦ったような声にはさすがに気付く。
「ち、違うよ。まさかレオンの傍が嫌になったとかそういうことじゃなくて、ミセス・ベネットが」


「ミセス・ベネット」


 莉緒の口にした単語をそっくりそのまま繰り返す。彼はそうしてから、少し遅れてそれが誰の名であるか思い出したようだった。


「あぁ、うん、ミセス・ベネットね。その、ついすっかり」
「いや、私も口にするのは久しぶりだったよね。えっと、実家の方で骨折のため入院となっていた彼女がね、退院して、大分落ち着いたからって湖水地方の自分の家に戻って来たらしくて」
 莉緒に、良ければ一度顔を見たいと連絡をくれたのだ。
「一応、もう歩けるらしいんだけど、でもまだまだリハビリが必要な状態で、痛みも残ってるだろうし」
 長い滞在期間、そもそもお世話になるつもりだった彼女だ。
「一人暮らしだから、色々困ってるかもって思って。家を空けてる間に埃も溜まったりしてるだろうし、今までは平気だった高いところのものとかも、一回手近なところに降ろしたりとか、そういうの必要でしょう? 純粋にご挨拶したいってのもあるし、役に立てることがあればなって思って」
 状況が許しているのに一度も会わずに帰るというのは、莉緒としてはあり得ない。
「別に手伝いを求められてる訳じゃないんだけどね、私の都合さえ良ければ泊まっていってって言われてるから、しばらく行ってこようかなって思って」


 それに、少し反省もした。
 莉緒の中にある焦りは当たり前のもので、早めに次の就職先が必要なのも厳然たる事実だ。けれど、確かに焦りすぎてはいた。
 働くレオンの姿と一日ぼうっとしている自分を比べて、どこか卑屈になっていた部分もあるように思う。
 少し、距離を取って自分のことを客観的に見つめ直してみるべきだと。


「しばらくってどれくらい」
「うーん……一週間くらい、かな」
「一週間……」
「あっという間だよ」
「僕らにとって一週間はすごく貴重だよ」
 即答されて、ドキリとする。
 二人の持ち時間の短さを指摘された気がして。
 自分の気軽に発した“あっという間”という言葉にも、後から胸が騒いだ。
 そう、一週間、一月などあっという間に過ぎて行ってしまう。来た頃は夏真っ盛りだったのに、事実今季節は秋へと移り変わっていた。


「リオのいない日が、もう想像できない」
「……できるよ。今までずっとそうだったでしょう?」
 今がイレギュラーなだけ。そのうちに、どうしたって莉緒はここを離れる。
「きっとベッドがすごく広く感じる」
「行っちゃ駄目?」
「そうじゃないよ、違う違う。寂しいだろうなって話」
 いつから? と訊かれるので明後日くらいからどうかなと思ってると莉緒は返した。
「心の準備が……」
「大袈裟な」
 くすくす笑うと、不満げな顔をしたレオンに手招きされた。素直に呼ばれると、腕を引かれて彼の膝の上に座らされ、お腹に彼の腕を回されがっちりホールドされる。


「ケーキ、食べなくていいの?」
「ケーキもいいけど、リオを食べたい」
 生クリームがたっぷり乗った彼のケーキは、まだ三角の先端の部分が少し欠けただけだ。
「ひゃっ、こらこら、生ものなんだから放置は良くない」
 首筋を舐められぎょっと身を引くと、
「じゃあリオが食べさせて」
「え」
 とにっこり要求された。
「ほら、今両手空いてないし」
「いやいや、じゃあ私は退散しますよ、わひゃっ、首は駄目だって……!」
「だって口寂しいから」
 しばらく押し問答していたが、相手に引く気がないのを見て取って莉緒は諦めることにした。
 誰も見ていないとは言え、こんなバカップルみたいな真似は恥ずかしい。今までの恋人と、こんなにイチャイチャした経験はない。


「……口、開けて」
 図らずも至近距離でご尊顔を拝見することになる。
自分よりもずっときめ細やかに見える肌、睫毛は髪と同じ金で、豊かに青い瞳の周りを彩る。
 差し出すフォークを待ち構え開かれる口。ケーキを巻き取る舌の動きまで見えてしまって、涼やかな表情とその舌の艶めかしい動きのあまりのギャップに、莉緒の胸は大きな音を立てた。
「わっ、ごめん!」
 動揺は指先まで伝わり、フォークに残っていた生クリームが口の端についてしまう。
 慌てて指で拭えば、そのまま手首を掴まれた。
「え」
 そうして人差し指を口に含まれる。
「ちょ、んっ」
 クリームが付いていたのは指先にほんのちょっとだ。けれど指の根本までをじっくりと舐られ、レオンのその舌の動きに莉緒の身体にぞわりと甘い痺れが走る。
「ストップストップ!」
 甘噛みされたところでまたケーキがお預けになっているからと何とか指を引き抜くと、
「ごめんごめん」
 とレオンは謝って、それ以上にいたずらは仕掛けてこなかった。
「もう……」
 痛くもなんともないが、指の根本に軽く歯型が付いている。
 油断するとすぐにあれこれ仕掛けられてしまうと顔を赤らめていると、ふと頬に視線を感じ、莉緒は顔を上げた。


「レオン?」


 レオンがこちらを見ている。


「……リオ」


 でもそれは甘い空気を伝えるものではなく、そうではなく、ただひたすらに真っ直ぐな眼差しだった。


「聞いて欲しいことがあるんだけど」
「うん」
「…………帰って来たら話す」
 どうしたのだろう、と続きを待った莉緒だったが、レオンは直前で息を吐いて、言うつもりだったはずの何某かの言葉を取りやめてしまった。
「え、なに、気になる」
 今じゃ駄目なの? そう訊くが、ゆるゆると首を振られる。


「ちょっと整理したい。上手く伝えたいし。でも、どうしても聞いて欲しいんだ」


 何を話したいのか、その中身がてんで予想が付かないまま、二日後莉緒は再び湖水地方へと旅立った。



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