シークレット・ガーデン~英国紳士の甘い求愛と秘密~

28.記憶の庭



「リオお姉さん、あのね、これも美味しいの」
 ソフィアに勧められるまま、お茶請けのクッキーを口に運ぶ。生地に茶葉を練り込んだクッキーは、口内で砕けると華やかな香りをふわっと広げた。


 あれから、状況に進展はない。
 覚悟はしていても無視され続ける連絡に、メンタルはやられる。
 着信があったと思えばそれは大体がレオンからで、その度に色々な誘いをかけられるのも余計な負担になっていた。
 けれど、残り時間は少ない。
 莉緒は覚悟を決め、湖水地方のあの屋敷を見せてくれないかと頼むためにレオンに連絡を取ったのだが――――


「お兄様、せっかく来てくれてるのにレディをお待たせするなんて」
 そうなのである。事前に約束を取り付けてはいたのだが、急用が入ったとのことで現在待ちぼうけを食らっている身なのである。
 多忙な身だろうから、こういう事態になるのも仕方がないことだろう。ただ、連絡をもらった時には既にお屋敷に到着しており、莉緒はレオンの代わりに在宅していたソフィアに歓待されているのである。
「あのね、リオお姉さん、今日はお夕飯もご一緒してくれる? ママもパパも帰って来ないのよ。お兄様も遅くなったら、他に誰もいないの。ね、さっきエリーに確認してもらったら、シェフもお客さんがいても食材は大丈夫だって」
 エリーとはお手伝いの女性のことだ。しかしシェフまでいるとは初耳で、そのすごさに莉緒は目眩がする思いである。
「ねぇ、だめ?」
「うーん、ソフィアちゃんのお兄さんが帰って来なくて、ソフィアちゃんが一人になっちゃうなら……」
「えー、お兄様がいても一緒がいいわ。リオお姉さんはお兄様が嫌いなの?」
「そういう訳ではないけど」
 嫌いというより、苦手という表現が近いかもしれない。


 返答を濁していると、甘えるようにソフィアが膝に纏わりついて来る。その柔らかい金の髪を撫でながら、ふと莉緒は思いついた。
 今のこの状況はもしかしたらチャンスなのかもしれない、と。


「ソフィアちゃん、あのね、ソフィアちゃんのお兄さんは一人?」
「?」
 彼女から、もしかしたら何かヒントを得られるかもしれないと。
「レオン以外に、お兄さんはいない?」
「お兄様はお兄様一人よ。他にはいない」
「そっか、お兄さんとちょっと似てて、髪は同じ金で、瞳は薄い青なんだけど。親戚にそういう人いないかなぁって」
「お兄様に似てる?」
「うん」
 彼女は莉緒の問いかけに、うーんと眉根を寄せ真剣に考えてくれる。
「親戚の人はいっぱいいるけど、皆ソフィアよりうんと年上の人ばっかりなの。あのね、おじさんって大体みんな似たようなお顔じゃない? 覚えるの、大変なのよ」
「確かに」
 そのセリフには一緒になってくすくす笑ってしまった。


 仕事の打ち合わせなんかで中年男性に会う機会というのはそれなりにあったが、皆同じとは言わずとも、大まかにこの系統の顔という分類があって、ざっくりとしか覚えられないという経験は莉緒にも大いにあった。小さい子なら、尚更一人一人を的確に見分けるのは大変だろう。


「あ、でも」
 ソフィアがすくっと立ち上がる。
「こっち来て?」
 手を引かれて応接室を抜け、長い廊下を進み、階段を上がりいくつもの扉を過ぎる。一人で歩けば迷子になりそうだなと莉緒が思い出したところで、ようやくソフィアは速度を緩めた。
「ここ」
「?」
 案内された先は小さな部屋だった。四畳ほどしかないのではないだろうか。


 正面奥に嵌め込みの窓。両サイドは本棚で埋め尽くされ壁紙が見えない。
 部屋の中央には丸テーブルが置かれていて、もうそれだけで部屋の中はいっぱいといった様子だった。
 普段あまり使わない場所なのか、埃が目立つなんてことはないがどこか空気が籠っている。
 書庫兼物置だろうか。本棚の中には書籍よりはファイルの方が数が多いように思えた。


「えぇっと、どれだったかしら」
 いくつかをソフィアが引き出す。背の届かない上の段のものは、莉緒が取った。
「アルバム?」
 分厚い布地の表紙を見て、中身に気が付く。年代まできちんと書かれて保管されたていた。
「お兄様が小さい頃のがたくさんあるの」
 一枚一枚丁寧にめくれば、笑ったり、泣いたり、どうもご機嫌斜めだったりと家族の軌跡を辿っていける。両親やその他親族、友達も映り込んでいるが、アルバムの主人公はどう見てもレオンだった。
「ほら、これなんて私と同じくらいの年のお兄様。それでね」
「あ……」
 二冊目のアルバムだった。


 どこで撮ったものかは、莉緒には分からない。屋内で豪奢なアンティーク調のソファに子どもが二人座っている。その背後に、レオンの両親。
 子どもは二人。どちらも澄まし顔。そういう顔をしていると、似ているという印象が強くなる。
 いや、違う。幼い頃は今よりもっと似ていたのだ。髪型のせいかもしれないし、あるいはまだお互いに違う経験を積む前だから、外部からの影響が少ないせいかもしれない。


「リオお姉さんの言ってる人に似てる?」
「うん……」
 似てるというか、本人で間違いないだろう。
 片方の少年は緑の瞳で、もう片方の少年は薄い青。
「兄弟、じゃないの……?」
「お兄様はソフィアが生まれるまで一人っ子よ。こっちの子は、たまーにしか写真に出てこないの。親戚の誰かだと思う」
 彼女の言う通り、一冊のアルバムに“彼”が登場する頻度は非常に低かった。
 一枚、二枚、時折見かけるだけ。それも一人で写っているものはまずなく、集合写真の一部としてしか姿が見られない。
「兄弟じゃなくて、ただの親戚? でも……」
 見かける組み合わせは、レオン、その両親、そして彼。家族の集合写真に彼が加わっている形が多い。
 あとは本当に大人数を写しているものばかりで。


 ただの親戚が、こうやって家族だけの集合写真に一人混ざるものだろうか?
 疑問に思いながらも、ソフィアに勧められるままに莉緒はアルバムを眺めた。


「私、これが好き。とってもきれいなの。まだ行ったことは二回くらいしかないけど、お庭がすごく素敵で、お話の中に入ったみたいで」
 そう興奮気味に教えてくれたのは、この屋敷とはまた違った趣の建物。
 広大な敷地、その庭を大型犬と転げ回るように写真に納まっているレオン。庭は自然の趣きを重視した、長閑な気持ちになる景観で。
「ここ……」
 湖水地方のあの屋敷だ、と気付く。
 先日柵の向こうからチラと見えた屋敷も、この写真と同じ感じだった。
 庭の写真が何枚か続く。レオンの姿が写っているものもあったが、ただ庭の風景を写しただけのものも多かった。
「このままポストカードにできそう」


 バラの花、フリージア、すみれ、ポピー、色とりどりの花が咲き乱れる庭。
 小路を辿って奥へ行くと、ちょっとした森のようになっていて。
 大きな木の下の木陰で、涼んだこともあった。
 大人達が来ない庭の片隅で、お菓子のクッキーを分け合う。
 さらさらと鉛筆が白い紙の上を走る音が心地良くて。
 庭の中には小川まで流れていて、虫や小動物なんかが水飲みをしていたり。
 石造りの愛らしい小さな橋。木の枝に括られたブランコ。
 また明日ねと約束して。


「リオお姉さん?」


 鬱蒼と木々が茂るエリアの手前には四阿。バラが咲き乱れる区画と比べるとこじんまりしたものだが、身体の小さな子どもには十分な広さがあった。


「どうしたの?」


 その少し奥手に、あまり目立たないように作られた納屋があって。


「っ――――」
 気付けばひゅっと莉緒の喉が鳴っていた。
「え、どうしたの? しんどいの? 汗、すごい」
 気遣うソフィアの声がどこか遠い。
 縫い付けられたように視線がアルバムから動かず、けれど実際には写真を見ているのではなかった。頭の中で、何かの答え合わせをするようにものすごい勢いでピースが組み立てられていく。
「ねぇ、息できないの? まって、人を呼んで来る……!」


 狭い、と思った。
 この部屋は狭すぎる。どうしてあんな小さな窓しかないのだろう。どうしてこんなに迫るように本棚でぎっしり詰まっているのだろう。
 白熱灯の明かりが弱いように感じる。もっと明るくしないと。


「っは……!」
 大きく吸い込んだ息が肺に刺さった。視界に部屋を出て行こうとするソフィアが映って、慌ててその手を掴んで引き留める。
「ソフィアちゃん」
 部屋から一歩出ると、廊下の大きな窓から午後の日差しが柔らかく差していた。天井もいやに高くて解放感がある。
「大丈夫」
 少しだけ、呼吸が楽になった気がした。
「大丈夫だから」
「でも……」
 莉緒は小さな頭を撫でて、その心配を和らげようと口の端に笑みを引っ掛ける。
「うん、びっくりさせてごめんね。確かにちょっと調子が悪いみたい。だから今日はお暇させてもらおうかな」
「でも、お医者さまとか」
「大丈夫だよー」
 医師に診てもらって、すぐにどうこう解決できる類のものではないと分かっている。
「多分ね、一日ゆっくり寝たら治るから。お兄さんにね、時間を作ってもらったのにごめんなさいって伝えておいてもらえると嬉しいな」
「うん……」
 どこか納得いってなさそうな表情をソフィアは浮かべていたが、莉緒はそんな彼女に大丈夫ともう一度繰り返して足早に屋敷を後にした。



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