シークレット・ガーデン~英国紳士の甘い求愛と秘密~

03.幸運にも



「何だか思ってもみない展開になってしまった……」


 ベッドに腰掛け、莉緒は呆然とそう呟く。

 誰も招くつもりはないと言いつつ、レオンが通してくれたゲストルームは完璧に整えられていた。ベッドメイキングだって隙なくピシッとされていて、調度品だって埃一つ被っていない。窓にも汚れはなく、風通しも日頃きちんとされているのだろう。
 人を迎える準備は万全だった。


「こんな広い部屋……しかも景色がまた綺麗」
 出窓からは美しい庭が覗く。奥の方でこんもりとしている一帯はハーブだろうか。料理の際にはちょっと庭から摘んで来て使うなんてことも多いと聞く。


「ひとまず、今夜の宿は確保できた訳だけど」


 本当に幸運なことだった。
 今も少しの不安や申し訳なさはあるが、選べるような状況にはない。彼が手を差し伸べてくれなかったら、一晩外で彷徨う羽目になったかもしれないのだ。寒さで死ぬような時期ではないけれど、現実的ではない。本当に助かった。


「でもこれからどうしよう」
 レオンは自分がいる間はここにいていいよ、と言ってくれた。それに甘えてしまうべきか、他に過ごし方を考えるべきか。
「まぁミセス・ベネットと連絡がつけば状況は変わるかもしれないし」
 今回の滞在、実はあまり具体的なことを考えずに来てしまったのだ。


 とにかくゆっくりしたかった。それならあの長閑な場所で過ごすのも一つじゃないと、両親が勧めてくれたのだ。


「しばらく休んで、私自身がいい方向に変われたらいいんだけどなくらいの考えしかなかったから……」
 ごろんと横になると、ベッドは柔らかく莉緒の身体を受け止めてくれる。長い長い空の旅だったのだ。想定外のことも沢山重なって、正直相当疲れていた。
「っていけない、そうじゃない、荷解き荷解き!」
 沈みそうになる身体を気合いで起こして、トランクへと手を伸ばす。
「それにしても、ご縁ってあるもんなんだな。まさかこんな絶妙なタイミングで、レオンと再会できるなんて」
 きっかけはわりとどこにでもあるとレオンは言ったが、莉緒にはやはりこの巡り合わせはとんでもない奇跡に思えた。
「私もまだ、運に見放されてないってことだよね」





◆◆◆





 荷解きと言っても大したことはない。
 シワになりそうな服をいくつかクローゼットに釣るして、化粧品なんかの細々したものはすぐ手の届くように。
 正直な話、いつでもお暇できるようにあまりあれこれは広げていない。
 という訳でさほど時間をかけずに莉緒は作業を終えた。


 自由にしててと言われたが、何をどうすればいいのか分からない。さっそく時間を持て余してしまい、困った莉緒はそっと与えられた部屋を出た。
 廊下に出れば、先ほどまでいたダイニングの方から物音がする。


「レオン?」
 ドアから顔を覗かせると、キッチンに彼の背中が見えた。
「荷解きは? もう終わったの?」
「うん、そんなに荷物もないし。レオン、料理できるんだ」
 彼は丁度玉ねぎをスライスしているところだった。ぐつぐつと湯の沸かされた鍋の中ではじゃがいもがいくつか身を沈めている。
「学校を出てからはずっと一人暮らしだったからね。とは言っても特に自慢できる腕前という訳じゃないよ。そこそこの味の一般料理が作れる程度」
「それで十分だと思うけどなぁ」
 そこそこと言いつつ彼の手付きは慣れたものだったし、キッチンのあちこちにはそれなりの道具が整然と備えられている。生活の中にすっかり料理という行為が根付いているのが見て取れた。
「と言っても、いつも自炊してる訳じゃない。今はホリデーだから余裕があるけれど、仕事帰りについつい出来合いのお惣菜を買ったり、外食で済ませてしまうことも多いよ」
「それ、分かるなぁ。私もそうだった。コンビニでお弁当買って済ませて、家で温める余裕もなくて店でレンチンしてもらって……」


 たまの休日に気力を振り絞って作り置きを溜めて、それもでも週の途中で尽きて、コンビニのお世話になる日々に突入してしまうのだ。


「日本のコンビニはすごいんだろう? とにかく種類が多くてレベルも高いって聞くけど」
「でも毎日だとやっぱり飽きてくるものだよ。それに栄養バランスはどうしても偏りがちだしねぇ」
「確かに。出来合いは美味しいけど味付けが濃かったりすることもあるしね」


 他愛もない会話にも花が咲く。けれどそうではない、と莉緒は己に待ったをかけた。


「それ、夕飯の準備だよね。私もする。イギリスの家庭料理を熟知してる訳じゃないから、都度ご指導頂けると助かるけど……」
 お茶を出してもらって、泊まる部屋も融通してもらい、この上夕飯の準備も全部お任せではあまりにしてもらいすぎだ。自分にできることは率先してしなくてはと、腕まくりをして手を洗う。
「それじゃあ手伝ってもらおうかな。じゃがいもがそろそろいいゆで加減のはずだから上げて。ざるとボウルはそっちの棚で、マッシャーはそこのスタンドに」
「はーい」
「熱いから火傷しないように気を付けて」
 そう言われて、ふふっと笑ってしまった。
「何かおかしかった?」
「すごく心配してくれるから。お母さんみたいだなって」


「お母さん」


 その単語にレオンが微妙な表情になる。お母さんは言われて嬉しい言葉ではなかったようだ。それを示すようにさらりと告げられる。


「リオ、君のその綺麗な腕に痕が残ったりしたら大事だろう。火傷の心配は当然のことだよ」


 綺麗な腕。


「――――」
 莉緒は自分の腕を見下ろした。
 確かに傷の類はないけれど、ただの腕だ。特に良し悪しはない。なのにさらりと綺麗などと言われてちょっとびっくりしてしまった。


 いや、日本だと男性に綺麗って単語使われることほぼないから、でも外国人にとってはこれくらいきっと日常会話、あるいはお世辞のはず。


 言い聞かせながら、仰せつかったじゃがいものマッシュに集中を試みる。


 味付けは塩コショウ、牛乳、それからバター。
 マヨネーズの類は使わないらしい。
 莉緒がじゃがいもに集中している間にレオンは玉ねぎのソテーを作り終え、大きな塊肉を取り出した。
「わ、立派」
「ポークだよ」
「そのローズマリーはもしかして庭で?」
「うん。大抵のハーブは庭にある」
 さすがイギリスの庭といった感じがする。
 レオンに適宜指示をもらいながら夕食作りは順調に進んだ。


 が、問題はこの後にあった。


「リオ?」


 メインはローストポーク、付け合わせの野菜、マッシュポテトにグリンピース入りのスープ。
 そこそこの腕だと言っていたけれど、十分に美味しいディナーだった。特にローストポークはアップルソースで頂くのだが、これがまた豚肉ととても合っていて美味だった。
 このソースがあることで、豚肉の脂がそう気にならない。さっぱりと頂ける。


 けれど莉緒の食事の手は、出された量の半分に届くかというところですっかり鈍っていた。


「多かった?」
 出されたものを残すなんて失礼だ。そもそもそんなに量が多い訳でもない。
「ううん、大丈夫」
 本当は胃がもうこれ以上は入らないと訴えていたけれど、莉緒は無理矢理に笑顔を浮かべて切り分けたローストポークをもうひと口運んだ。


 噛み応えがある。いつまでも噛んでいられる。
 いや、硬いとかそういうことじゃなくて、飲み込むタイミングが掴めない。こういう時は。


 水の力を借りて嚥下する。よしもうひと口。
 意気込んでナイフを動かすと、不意にその手を上から包まれた。


「!」
「リオ」


 柔らかい温もりにドキリと胸が鳴る。


「無理して食べなくていいよ。もう入らないんだろう?」
 更に優しい声音でそう言われてしまえば、ずしりと重みを訴える胃のことをもう無視できなかった。
「…………ごめんなさい。せっかく用意してくれたのに」
「いや、時差とかもあるよね。身体が慣れてないし、疲れてるだろうに、こっちの配慮が足りなかった」
 莉緒の罪悪感を和らげるように、手の甲を優しくぽんぽんされる。
 視線を上げればレオンの表情はただただ柔らかかった。
 初っ端から迷惑をかけっぱなしなのに、彼はずっと優しく、気遣いがあり、とても紳士的だ。莉緒の中でどんどん申し訳なさが膨らむ。


 けれど結局莉緒はレオンの言葉に甘えて、この晩のディナーを半分以上残してしまったのだった。



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