緋の鏡 ~その血は呪いを呼ぶ~
「手鏡をあげた翌日、クラスメートから告白されたと話していました。悪夢を見たのは、その日の夜からのはずです」
「貰った夜はなにもなく、恋人ができた日以降から悪夢を見るようになった、それでいい?」
「えぇ」

 紗子がわずかに頷き、続ける。

「共通しているのは夢であり、その夢に出てくる女の容姿。右手人差し指の先がなく、その指を手鏡に押しつけている。でも夢を見るだけで、現実になにか起こるわけではない」
「でも」
「えぇ、言いたことはわかっているわ。でも実際に、恋人はトイレの鏡で女を見たと思って卒倒したわけだし、妹さんも同じ理由で階段を踏み外した。二人とも自らそうなってしまったわけでしょ」

 克弥は首を左右に振った。

「菜緒子は恨まれたって叫んでいました。俺のせいで、恨まれたって」
「この鏡に霊は憑いていないわ。あるのは情念のみ。深い恨みを持ち主が抱き、その言葉をずっと聞いていたようね。夢での言葉は、鏡が聞いていたものだと思うわ」

「鏡が、聞いていた?」
「これは推測だけど」

 紗子の言葉にまたしてもゴクリと喉を鳴らせる。

「この手鏡は持ち主の会話を丸ごと聞いていたのよ。女の懐の中でね。この手鏡、もしかしたら恋人からのプレゼントかもしれないわね。あなたが見込まれ、恋人に大きな被害が出たということは、あなたの行為が女の記憶に類似していると考えたほうが自然だもの。男からこれを贈られ、想いを告げられ、一緒になろうと決めた……そんな気がするわ」

 克弥は茫然となった。

「次に時間。必ず同じ時間に目が覚めるというのは、きっとその時間が持ち主の女の『死』の時間だと思うの」
「死――死んだ時間?」

「えぇ。会話から察するに、恋人から駆け落ちしようと誘われていた、だけどなんらかの事情――牢屋みたいな所というのだから、誰か――男の親か誰かに捕らえられて閉じ込められていた、そう考えるのが自然よね。で、恨んで死んだ」

「――――」

「この手鏡には情念が憑いているけど、意志などは感じられない。なのに無差別でもない。あなたと、あなたの恋人と、妹。妹の場合だって、恋人がいなかった日は無害で、付き合い始めたその夜から夢を見始める。相手を選んでいるとしか思えない。それからもう一つ注目すべき点があるわ。何度舞い戻っても、骨董屋には無害であるということ」

 克弥は目を見張った。

「店長が独身だから? 特定の女性がいないから?」

 神妙な顔をする克弥に対し、紗子は口元を微かに弛めてごく小さく微笑んだ。

「店長の理由にはなりそうだけど、ご両親や祖父母の理由にはならないわね」
「あ」
「骨董店にはなにか別の理由――因縁がありそうだわ」
「因縁」

 紗子が頷く。

「因縁って、別に悪い意味だけじゃないのよ。まぁ、いいわ。とにかくその手鏡の情念の正体を突き止めないといけないわね。添い遂げられず、苦しみ抜いて死んだ。だから想う人とうまくやっているのが気に入らない。それは死んだ女の仕業ではなく、鏡に憑いている情念。単に恨み節を聞いていただけじゃないみたいだけど、なにがあってこんなに強い情念に巻かれているかは視ただけじゃわからないわ。手鏡を動かすなにかが――いや、待って」

 克弥は目を見開いて紗子を見つめた。紗子は神妙な顔をしてテーブルの上の手鏡を見据えている。その緊迫した様子は、とてもじゃないが声をかけられるものではなかった。

「先のない指を手鏡に押しつける――噛み千切ったような指先――そうか」

 紗子は一人納得したように呟くと、克弥に顔を向けた。

「あなたの恋人に会わせてもらえないかしら? 妹さんにも」

 対して克弥は困ったように項垂れた。

「会ってくれません、僕では」
「ご家族もそう思っているの?」

 克弥はハッとして顔をあげた。

「直接行ったほうがいいと思います」
「そう。では、そうしましょうか」

 紗子は一度克弥を見ると、次に鞄から白い布を取り出し、手鏡の上に置いた。手鏡を包む様子から、彼女が触りたくないと考えていることは克弥にもよくわかった。包まれた手鏡に細い縄をかけて縛る。それが終わるとホッとしたような吐息をついた。

「この布は清めている特別なモノなのよ」

 信じるような、疑っているような、複雑な目をする克弥に向けて苦笑すると、静かに答えた。

「私には夫も恋人もいないから、そういう意味では無害だと思うけどね。でもね、こういう商売をしている身の上だから、よく視《・》えるのよ」
「……み、える?」
「えぇ。視えるのよ、霊が。信じなくていいわ」

 ますます神妙な顔をする克弥に向けて紗子は微笑んだ。

 優しく見えるのはその笑みだけで、体から感じる気配というか雰囲気は、変わらず切れるような鋭さがあった。気軽に近づけないなんとも言えない空気を身に纏っている。それは克弥にもよくわかった。

「見て」

 言われてテーブルに視線を戻すと、布に包まれた手鏡が微かに動いた。それを目の当たりにし、克弥はギョッとした。

「うわっ! な、な!」
「わかったでしょ? 聖の力で動きを封じたから、苦しくて足掻いているのだわ。信じる気になった?」

 克弥は小刻みに顔を上下に動かした。

「鹿江田先生は、本当に霊が視えるんですか?」
「えぇ。証明できなくもないけど、そういうのは労力の無駄だから」

 恐ろしげな目を向けたが、克弥は浮かんだ疑問を口にした。

「いつから視えるようになったんですか?」
「あら、物心ついた時には視えていたわ。そういうものよ」
「……あの、お幾つです?」

 紗子はふっと冷たく笑った。

「女に年なんて聞くもんじゃないけどね。二十七よ」

 克弥は紗子の顔を見つめ続けていた。落ち着いているのでもっと上かと思っていたのだ。たった五歳しか違わない。それを察したのかどうなのか、紗子は口角をわずかばかり動かして薄く笑った。

「それでは恋人の家に案内してもらいましょうか」

 二人は立ちあがった。

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