緋の鏡 ~その血は呪いを呼ぶ~
第2章 動き始めた呪い
 うな重を食べ終えて一服していた克弥のもとに菜緒子が飛び込んできた。その顔が異様だった。怒っているのか、恐怖しているのかよくわからないが、とにかく血相を変えて克弥の前に現れたのだ。

「どうしたんだ?」
「克っちゃん!」

 それは凄まじい叫び声だった。客がいなかったからよかったものの、もしいれば飛んで逃げただろうほどの怒声だった。

「菜緒子?」

 菜緒子は手にしていた箱を克弥に突きつけた。

「薄情な女だから別れるって言うならそれでもいい!」
「は?」
「これ、返す! いらない! いらないのよぉ!」

 突きつけられた箱。克弥は菜緒子が掴んでいるその箱を見つめた。だが克弥が受け取りを拒んでいると思ったのか、菜緒子はいきなりその箱を投げつけた。

「いたっ」

 単になにを言っているのかわからなくて動けなかっただけだが、様子のおかしい菜緒子はそのことを感じるなど無理だったのだろう。やがて涙を浮かべ、身を翻した。

「菜緒子!」
「こんなことする私が嫌いになっても仕方ない!」

 怒鳴ると、声をあげて泣き出した。菜緒子の腕を掴んで抱きしめ、そのまましゃがみ込んで押さえつけた。

「落ち着け! 話を聞かせてくれ」
「放してぇ。私が悪いの! でもいらない! いらないのぉ!」

 抱きしめたまま菜緒子が落ち着くのを待つ。ひとしきり騒ぐと、ようやく菜緒子がわずかに落ち着きを取り戻して泣きやんだ。そんな菜緒子に優しく声をかける。

「どうしたんだ? ゆっくり話して。菜緒子、俺が菜緒子を嫌いになるはずがないだろ? こんなに好きなのに」
「克っちゃん……」
「大丈夫。約束する。大丈夫だから。菜緒子、話して」

 小さく、うん、と頷くと、菜緒子は大粒の涙をポロポロとこぼしながら、ゆっくりと話し始めた。

「昨日の面接、失敗したの」
「失敗?」
「三十分も早く家を出たのに、電車が遅れて、慌てて駆け込んだ。トイレに入ったら、貧血を起こして倒れちゃったの」

 菜緒子は震えながら涙を流し、続ける。

「ヘンな夢を見て、よく眠れなかった」
「ヘンな夢?」
 コックリと頷く。

「それで寝不足で……電車が遅れたりして、会社に駆け込んだの。受付の人に勧められてトイレに行ったの。そしたら……トイレの鏡に血まみれの女の人が映っていて――」
「血まみれ?」

「お医者さんには、過労とストレスで貧血を起こして、その際に寝不足もあって幻影みたいなものを見たんだろうって言われた。そうだと思う。でも、それだけじゃないの。今朝も同じ夢を見たの。血まみれの汚らしい着物姿の女が、『恨む』って言って私を見ているの。怖くて、怖くて……うぅ」

 肩を震わせながら話す菜緒子を、克弥は神妙な顔をして聞いている。

「それで今朝、気分転換にと思って散歩に行ったの。そうしたら、例の、駅前の占い師のお爺さんと会ったのよ」

「…………」

「すごく驚いた顔をして駆け寄ってきて、言ったの。一昨日、すごく運気のいい顔をしていたのに、急に変わっている。それどころか、異常にさがっていて、妙な気配があるって。不幸を呼び込もうとしているように感じるって。この二日の間に、なにかなかったか? って聞かれた。でも、心当たりはないし、困っていたら、なにか購入したり、人から貰ったりしなかったか? って言われて」

「…………」

「その時はぜんぜん思いつきもしなかったけど、帰って、部屋に入ってハッとしたの。克っちゃんから貰った誕生日のプレゼントしかない。でも……誕生日のプレゼントを捨てて、克っちゃんに聞かれたら……そう思って悩んだけど、でも、やっぱり怖くて、それで嫌われるのを覚悟で返しにきたの。せっかく貰ったプレゼントを黙って捨てて、知らん顔なんてできないから!」

 菜緒子は再びワッと泣いた。よほど怖い夢だったのだろう。震える様子から、それはよくわかった。

「克っちゃん! ごめんなさい! 私のこと、嫌いになっていいから、手鏡返す。お願い、受け取って。それがダメなら克っちゃんが捨てて!」

「いいよ。そんなこと気にしなくていい。手鏡は俺が預かるから。落ち着いて。まだ就活中だろ。つまんないこと考えずに休んで面接に備えろ。な?」

 菜緒子が泣きながらも素直に頷き、間もなく帰っていった。そんな姿を克弥は複雑な面持ちで見送った。

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