緋の鏡 ~その血は呪いを呼ぶ~
 翌朝、克弥はダルい体を引きずるようにしてリビングにおりてきた。
 夢を見たような気もするし、見なかったような気もする。記憶がない。ただ、体は重い。

「おはよー」

 真美も起きてきた。これから予備校に行くようで、重そうな鞄を持っている。何気なく真美を見た克弥は、ふと菜緒子の言葉を思い出した。

(最近手に入れたものが災い……それが俺のプレゼントした手鏡だって? うーむ。貧血起こしてぶっ倒れたっていうなら、医者が言うように幻影でも見たんだろうが、それにしてもなぁ)

「なぁ真美、お前、よく眠れたか?」
「え? うん。エアコンかけっ放しでぐっすり」
「そっか」
「なに?」
「いや、なんでも。毎日、暑いもんな」

 克弥はコップに視線を落とした。

(そうだよな。手鏡が悪夢を見せるとか不幸にするとか、ンはことあるわけないし。バカバカしい)

 そんなことを思いつつ、バイトに向かった。

 一方、予備校に行った真美は席で手鏡を見ながら髪が乱れていないか、グロスが落ちていないか確認していた。

「真美、どうしたの? それ。かわいいじゃない」
「でしょ? 貰ったの」
「えー! 誰から!?」
「あはは。誤解してるでしょ。違うよ、お兄ちゃんだよ」
「お兄ちゃん?」
「そ。事情は知らないけどね。行き先がないって困ってたから貰ったの」

 やがてベルが鳴って授業が始まった。

 それから半日。缶詰めがやっと終わり、夕方になって真美は解放された。とはいえ、これから家に帰ってまた勉強だ。予備校の建物から出ると真美は友達と別れた。その時、真美は名前を呼ばれた。

「あや、真下《ました》じゃない」

 同じクラスで、同じ予備校に通っている真下直樹《なおき》が立っていた。

「どうしたの?」

 真美にとって真下は悪友的存在で、軽口を言い合える楽しい友達だった。だが、実は密かに気に入っていた。好きで好きで、というまでではないものの、お気に入りであることは事実だ。

 そんな真下が緊張したような面持ちで真美の前に立っている。

「真下?」
「ちょっと、いいかな。話があるんだ」
「うん? うん、いいけど」

 二人は予備校の庭の端に置いているベンチに腰をおろした。

「あのさ、あの、俺達、受験生だというのはよくわかってるんだけど」
「うん」
「その、お互いに受験に成功したら、その」
「その?」
「無事に大学生になれたら、つ、つきあってもらえないかな?」

 真美の顔が固まり、目が丸くなっている。

「大学に行ったら、滅多に会えないから……だから」

 真下は俯き、顔を真っ赤にして呟いた。

「す、好き、だから、その……受験生なのに、こんなこと言って悪いと思ってる。でも、俺、このこと考えたら、落ち着かなくて、集中できなくて、受験が終わるまで待ってたら、絶対失敗すると思って」

 今度は顔をあげ、一気に捲し立てる。

「男らしく当たって砕けて解決しようと思ったんだ。ダメならスッキリするし、お前も俺のことどうでもいい存在なら気にならないだろ? もしOKなら、一緒に受験乗り切って、春からつきあえればいいわけだし! だからハッキリ言うことにしたんだ!」

 目を丸くしていた真美はやがてクスクスと笑った。

「氷室?」

「いいよ。後半年、一緒に勉強して二人で合格勝ち取ろうよ。でも、つきあうのは今からでもいいんじゃない? ただし、甘いことは春から。こんな感じでどう?」

「ほんと?」

「うん。何事も、気持ちは軽やかなほうがうまくいくって聞いたことがあるの。受験生でも笑う門には福来たるだって思うし。真剣勝負で甘いこと考えてちゃいけないけど、目標があったらいいじゃない? 一緒に頑張ろうよ!」

「うん!」

 その後、真美はご機嫌で家に帰ってきた。

「ただいまぁ~。あれ、お兄ちゃん、なんだか、ブルーね」

 克弥の顔が引き攣っていた。顔面蒼白と言っても過言ではないほど顔色は悪かった。

「お前はずいぶんご機嫌だな」
「えへへ。告白されちゃった! 同じクラスのヤツだけどね」
「告白? 受験生だろ?」

「だから本格的につきあうのは春から。今は一緒に受験勉強する。晴れてなんの気兼ねもなくつきあえるように頑張るよ!」

「お気軽だなぁ」

「真剣だよ! どっちか浪人生になったら、一年間我慢しなきゃいけないんだよ! 絶対、二人で合格してやる! 猛烈に燃えてるのよ」

 ガッツポーズをしながら言うと、真美は部屋に戻っていった。これからまた勉強だ。机に向かい、さっそく参考書を開いた。だが真下とのやり取りを思い出したのか、照れたようにニヤけた。

「好きだって。真下のヤツ、直球すぎ! えへへー。よし、頑張るか!」

 気合を入れ、今度こそ勉強に集中した。そして日付が変わる時刻、ベッドに潜り込んだ。

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