紫陽花が泣く頃に
「では、今開いてる英文の和訳をノートに書いてください」
一斉にカリカリというシャーペンの音が響く。しばらくして、小暮の手が止まった。サボっていると思いきや、すでに和訳が終わっている。私なんてちっともわからないから、やってるフリだけをしてるのに。
そんな驚きが視線から伝わってしまったのか、ふいに彼はノートを私のほうに向けてきた。
「……見る?」
小暮から話しかけてきたのは、これで二回目だ。わかりやすく動揺してしまった私は、首だけを横に振った。
「そっか」と、彼はノートを元の位置に戻した。
私は何度も小暮に対して嫌な態度をしてきた。だから私たちは嫌い同士だと思ってた。なんで親切にしてくれるんだろうという疑問の答えを、私はすでに知っている。
小暮千紘は優しい人。美憂が言っていたことは本当だった。
「……やっぱり、その、見せて」
小さな声でお願いすると、彼の瞳が一気に丸くなった。私から素直に頼んできたことに相当驚いている様子だった。
「そっちの気が変わったなら、べつに見せなくてもいいけど……」
「いや……うん、見ていいよ。俺から言ったんだし」
「急いで写すから」
「いいよ、ゆっくりで」
小暮は教科書と交換するように、ノートを真ん中にしてくれた。彼はすぐに視線を窓に向ける。見てないから焦らなくていいと、言ってるようだった。
丸まった襟足。耳の裏のほくろ。
そんなところが可愛いと美憂は言ってたっけ。
ガラスに反射してる彼の顔と、それを濡らしている細い雨。私には小暮が美憂を想って泣いているように見えた。