突然、お狐様との同居がはじまりました
第十話 急転直下の一日
――言葉通り、翡翠が家を空けるようになって数日。
たまに帰ってきたと思っても遅い時間で、会話も少なくなった蘭と翡翠。
学校の行き帰りは、翡翠のかわりに澪緒が護衛となり一緒に行く事が多くなった。
◇◇◇◇◇
「ねぇ、由樹。翡翠をどこかで見かけたりしなかった?」
学校で由樹にそう声をかけると、一瞬「えっ?」と固まったがすぐに「見てないよ、なんで?」と返された。
「……そう? 翡翠、しばらく家を空けるって言ってから、最近全然家に帰ってこなくて。たまに帰ってきたと思っても遅い時間なの」
「ふーん……、まぁ、翡翠にも色々あるんでしょ。そっとしておいたら? 蘭の護衛も、澪緒ちゃんがいるんでしょ?」
「そーだけど……」
納得がいかない蘭はその後、廻や涼太、そして愛梨にも翡翠を見かけたか聞いてみたが全員に「知らない」と返される。
そしてやけに皆、翡翠のフォローをするのだ。
(由樹も、廻先輩も、涼太も。愛梨ちゃんすら、翡翠のかたを持つし……)
(やましい事がないんなら、行き先くらい教えてくれてもいいじゃん。――翡翠のバカ)
◇◇◇◇◇
学校が終わり放課後、いつも通り家に帰――らずに、蘭は叔母の葵の家に向かっていた。
なぜなら、今朝「澪緒ね、今日はお友達の所に遊びに行ってくるの。だから帰りが遅くなるのよー蘭」と澪緒に言われたため、なら、と久しぶりに葵の家に顔を見せに帰ろうと思った訳だ。
ふと、蘭は路地裏に視線を向けた。
薄暗い路地裏には、夕方から営業するのであろう居酒屋やバーが並んでいる。
何気なく見た路地裏。
けれど蘭の視界の端に、見慣れた後ろ姿がうつった。
さらりと艶のある黒髪に、背が高い和服の男性。
――――翡翠だ。
「! ひす――――っ」
声をかけようとした蘭は、途中で口を閉じる。
なぜなら、翡翠の隣には背の高い女性が立っていたから。
(なに、あれ……誰なの?)
さらりとした髪の毛は長く、後ろ姿でもわかるスタイルの良さ。女性は何かに驚いたのか、ぎゅっと翡翠の腕に抱きついた。
それを翡翠は振り払うことなく、されるがまま。
よく見ていれば女性の頭に一瞬、翡翠と同じようなもふもふとした耳が現れ、消えた。
蘭は、ちくりと胸に変な痛みを覚え手を当てる。そして急いで足を動かし、その場から離れた。
(なんだ……。家に帰ってこないのは、その人がいるから?)
(私、馬鹿だ。翡翠が私にキスをしてくれたからって自惚れてた)
(どうしたって自分より先に死んでしまう人間より、同じ時を過ごせるあやかしの方が翡翠もいいよね――――?)
◇◇◇◇◇
「いらっしゃい、蘭ちゃん! 少し見ない間に大人っぽくなったかしら?」
玄関を開け、笑顔で出迎えてくれたのは叔母の葵。
「ふふ、最後に会ったのはそんなに前じゃないよ葵さん?」
先程仄暗い感情があったことなど、微塵も感じさせない笑顔を葵に返す蘭。
リビングに移動して、蘭は一ヶ月半前はここでご飯を食べていたのだと、懐かしむ。
そんな蘭を横目に、葵はキッチンに向かった。
「そうだ、涼太はまだ帰ってきてないのよ、こめんね。バイトとは言ってなかったから、そのうち帰ってくると思うけど」
「今日は葵さんに会いにきたから大丈夫だよ! それに、涼太はこの間家に泊まりにてたし」
「それもそうね。涼太ばっかりずるいわ、私も蘭ちゃんとお出かけしたりしたいのに!」
むぅと怒る葵は若々しく可愛らしい。蘭は微笑みながら「今度行こうよ、葵さん!」といえば、ばあと顔を明るくさせる。
「まぁ、いいわね! あ、蘭ちゃん飲み物は紅茶でいい? 新しく、美味しい茶葉を買ったの」
「うん! ありがとう」
紅茶を飲みながら今日までの事を色々とはなし、盛り上がる二人。
けれど、ゴールデンウィークに涼太達が泊まりにきた勉強会の話が終わると蘭は翡翠との事を思い出してしまい、口数が少なくなる。
それを察した葵は顔を曇らせ、蘭に問う。
「――蘭ちゃん、浮かない顔してどうしたの?」
「あはは……、私、そんなに浮かない顔してたかな?」
葵は頬に手を当て「うーん」と蘭を見つめると、もしかしてと目を細めた。
「蘭ちゃん――――あなた、好きな人でも出来た?」
「ええっ!?」
「あら、当たりね?」
「葵さん、なんでわかったのっ?」
驚きながらそう言えば、葵は「女の勘、かしら」と戯けて言う。
「そうだ、ちょっと待ってて!」
「?」
席を外した葵。
どうやら寝室に行ったようで、帰ってきた葵は手に何か持っている。
「蘭ちゃん、これを一緒に作らない? すぐにできるわ」
葵が手に持っていたのはお守りだった。
古く、所々ほつれているが一生懸命作ったのだと伝わる物だった。
「これね『蘭が大きくなったら一緒に作りたいわ』って、おばあちゃん言ってたの。私も、このお守りのおかげで康二さんと結婚したのよ?」
康二、というのは葵の夫で、優しくて物腰の柔らかい人だ。蘭は、康二と葵の二人が大喧嘩をしている所を見たことがない。それくらいラブラブな夫婦だ。
「知らなかった……! これって、恋愛成就のお守りなの?」
「私も、よくは聞かされていないけど恋愛成就と、あとは何より「縁が繋がる」そんなお守りだと思う。春花――蘭ちゃんのお母さんも、このお守りを作ってたわ」
「お母さんが……?」
「そうよ、あの子不器用だったから……ふふっ、失敗して何回も作り直してたの」
(――お母さん、不器用だったんだ)
写真でしか見た事のない母、春花の一面を知りくすぐったいような、嬉しいような。
(縁が繋がるお守り……か。私もこれを作ったら……)
「ねぇ、葵さん。相談なんだけど、これって――――」
「……あら、私はあげたことないけど良いと思うわよそれ!」
「そう、かな?」
「きっと蘭ちゃんの想いも伝わるはずよ」
「だと良いな……」
(あなたとの縁が繋がります様に――――)
(喜んでくれるかな、――翡翠)
◇◇◇◇◇
(やばい、遅くなっちゃった……!)
葵の家で夕飯をご馳走になり、久しぶりに葵の夫、康二とも話せたが盛り上がりすぎて時間は夜の九時をまわっていた。
涼太が送ると言ってくれたが蘭は断り、比較的明るい道を選んで急いで帰った。
曲がり角をすぎて家が見えると、明かりが漏れている玄関が視界に入り、澪緒が帰ってきていると思い慌てて戸を開ける。
「ただいま! ごめんね澪緒ちゃん、遅くな――――」
「随分と遅い帰りだな、蘭?」
「!」
廊下に仁王立ちでいたのは、ここ数日姿を見ていなかった翡翠だった。
澪緒は帰ってきているのか気になったが、駆け寄ってくる様子もないため、まだ帰ってきてはいないらしい。
蘭は声のトーンを落とし、翡翠に向き直る。
「翡翠、……もう帰ってたんだ?」
そんな蘭に気づいたのか、翡翠は片眉をあげた。
「今は俺の家でもあるからな。それよりこんな時間まで、どこをほっつき歩いていた」
「……どこだっていいでしょ?」
「――――なに?」
「翡翠だって家を空けるとは言ってたけど、帰ってきたと思ったら遅い時間だし、どこに行ってるのかも教えてくれないじゃない。自分がはやく帰ってきたからって、私には説教?」
(――あぁ、駄目だ)
(こんな事、言いたい訳じゃないのに)
「それは……」
押し黙る翡翠に蘭はぐるぐると嫌な感情が体の中で暴れて、ずしりと重くなっていく。
「――ねぇ、私に言えない事を隠してるの? 私は遅くなった理由を言えるよ。葵さんの家に行ってたの」
「葵……、あの小僧にも会いに行っていたのか?」
「……涼太のこと? 会ったけどそれが目的で行った訳じゃないよ。それに、今日は葵さんに色々と教えてもらってたの」
そう言っているのに、翡翠から疑うような視線を向けられ蘭は――――我慢出来ず、堰を切ったように感情が溢れ出す。
「翡翠は、私のことを信じられない?」
「っ、そういうわけではない。落ち着け、蘭」
「落ち着いてる! もういい……私なんかほっといて、あの女の人とよろしくやってればいいのよ! 馬鹿!」
そこまで言うと「しまった」と顔を顰めた蘭。
自分で言っておきながら、翡翠と他の女性が仲睦まじくしている姿を想像してしまい泣きたくなった。
(痛い……、痛いよ)
(――――心が痛い)
一方翡翠は、本気で蘭が何を言っているのかわからない顔をしているため蘭の苛立ちは募るばかり。
「待てっ、女とは誰のことだっ!」
「……とぼけるき!? この間、あやかしの女の人と仲良さそうに並んで歩いてるとこ見たんだから!」
翡翠は考える素振りを見せ、思い当たる節があったのか軽く目を見開く。
「……あいつか」
はぁ、と頭を抱える翡翠。
それを見て蘭は「やっぱり、やましいことでもあるんでしょ!」と詰め寄る。
「あれは……」
ここにきてまだ口籠る翡翠。が、やがて口を開いた。
「お前のためだ」
「――――私のため?」
訳がわからず、他の女性のあやかしと一緒にいる事が私のためなのか、と蘭はぎゅっと眉を寄せた。
「もうすぐ五月も終わるだろう?」
「そうだけど……、それとなんの関係があるのよ」
「蘭、――お前は自分の誕生日も忘れたか?」
ゴールデンウィークも終わり、五月も下旬。
五月二十八日は蘭の誕生日だ。最近は色々と翡翠の事で頭がいっぱいで、自分の誕生日などすっかり忘れていた。
(そうだ、もうすぐ私の誕生日……)
「まさか本当に忘れていたとは……」
「わっ、悪かったわね! こっちは翡翠が他の女の人の事が好きなんだって、落ち込んでたから……それ以外の事なんて考えられなかったの!」
「!」
そこまで言って蘭は固まる。
『翡翠が他の女性と一緒に居ると落ち込む』
私は嫉妬をしていた、と言っているようなものだ。
(待って――――これじゃ私、翡翠のことが好きって言ってるのと同じじゃない!?)
驚く翡翠を見て、恥ずかしさに顔を手で覆う蘭。
それを見た翡翠は、口元に弧を描く。
「これは……嬉しいものだな」
小さく呟いたその言葉は、蘭の耳には届かない。
「蘭、顔を見せろ」
そう言われてから、数十後にゆっくりと手をどかし翡翠と目を合わせる蘭。
「…………」
「まず、お前に言っておかなければいけない事がある」
「?」
「最近俺が家を空けていたのは『ぷれぜんと』を買うために、かくりよのお金を現世のお金に変えていたんだ」
「プレ、ゼント? ……私の?」
予想もしていなかった回答に、翡翠が言った言葉をただなぞるだけしか出来ない蘭。
「そして蘭が見かけたという女は、……蓮華のことだな」
「――なっ、やっぱり女の人と会ってるじゃん!」
「最後までよく聞け、阿呆。勘違いするな、…………あいつは男だ」
「――――男!?」
(見たのは後ろ姿だけだったけど、スタイルも良かったし髪の毛長くて妖艶な感じだったのに!)
(あの人――――いや、あのあやかしは男性だったの!?)
「前に言った事があっただろう、現世であやかしの暮らしを手助けする店があると。あいつは、そこの店長だ」
そこで少し依頼を手伝っていたから帰るのも遅くなっていた、と付け加えた翡翠。
「なんだ……」
脱力した蘭はぺたりと廊下に座り込む。翡翠もしゃがみ、蘭に視線を合わせ少し弾んだ声で言う。
「そんなに俺が他の女といるのが嫌だっか?」
「別にっ……!」
照れ隠しでとっさにそう言い返し、ぶいっと横を向く蘭の顔を逃がさないとでも言うように、顎に指をかけ正面に戻す。
「正直に言ってみろ、蘭」
「………………」
「ん?」と蘭の答えを待つ翡翠の表情は、尋常ではない色気が漂っていた。
蘭は何が何だかわからなくなり、顔を赤くし涙目になりながらもどうにか声を絞り出す。
「――――そうだけどっ、何か悪い?」
(あぁ、もう――なんでこんなに恥ずかしいことを言わなくちゃいけないのっ? 私だけ!)
「お互い様だよ」
「え?」
翡翠の言葉を理解するのに数秒かかった蘭は、ワンテンポ遅れて「翡翠も?」と呟いた。
しかし翡翠は、するりと頬を撫で「んっ」と反応をした蘭を楽しげに見ている。
「ちょ、くすぐったいっ」
翡翠の親指が蘭の上唇をなぞり、むず痒い感覚に蘭は身をよじる。
だがすぐにまた正面を向かされ、赤くなる顔をまじまじと見られてしまう。
「お前の肌に他の男が触れようものなら、はらわたが煮えくり返るような感覚に襲われる」
「!?」
ぐっと近づいた翡翠に、咄嗟に目を閉じれば瞼に柔らかな感触が伝わった。
翡翠は蘭の瞼に口づけを落としたのだ。
ぱっと目を開ければ、翡翠の綺麗な顔が息がかかるほど近くにある。
「その瞳に俺だけをうつしたい」
蘭は、ただただ呼吸をするだけで精一杯だった。
つまりは――――、限界だ。
けれど、翡翠の追撃――と言うのが正しいのか、呼吸もままならない状態はまだ終わらない。
「どうしたら、俺だけに微笑む? 俺だけを求める? もっとお前を大切に扱えば良いのか……。いっそ、閉じ込めれてしまえばいいか?」
(どうしてそんな目で私を見るの……?)
(……そんなの――――)
「それって私のことを――――好きってこと……?」
「――だから、そう言っているだろう?」
まだ伝わっていなかったのか、というように肩をすくめた翡翠。
「今も、昔も」
言葉を区切り、蘭を見つめる翡翠。
「俺はお前のことを好いているよ」
(……!?)
空いた口が塞がらない、とはこういう事を言う。
蘭はぽかんと口を開け、ただ翡翠を見つめた。
「翡翠が、私を? ほ、本当に?」
信じられず何度も確認してくる蘭に、翡翠は久々の――デコピンを放った。
「あいたっ!」
「……俺が封印した記憶とはいえ、すっかり忘れているさまは腹が立つな? まだ思い出さないか、蘭?」
「?」
「――昔、お前が俺に結婚を迫ったことを」
「けっ、こん!?」
(わ、私が翡翠に!?)
(――――て、記憶を封印ってどういうこと!?)