水縹のメロディ

4-9

「もう……、家に帰るのが怖いよ」
「大丈夫、俺も一緒に行くから」

 ハルに会えてせっかく嬉しくなったのに、夏紀は家を出てからまた不機嫌になってしまった。ハルが明美に夏紀との関係を打ち明けることを、聞いていなかったからだ。

「ハルさんが帰ってからも、絶対質問攻めだよ」
「ははは。寝ちゃえ寝ちゃえ」

 楽しそうに笑うハルと、帰宅後のことを想像して少し凹む夏紀。

 ハルは最初、夏紀に傘を持たなくても良いと笑っていたけれど、手を繋ぐと傘を持ちにくいので二人とも傘を差すことになった。夏紀が嬉しそうに繋いだ手を前後に振る──ではなく、逆にハルのほうが上機嫌だ。

「なんかさ、ナツって、雨、ってイメージが定着したんだけど」
「それは、たまたま……ハルさんに会った日が、雨だっただけで」
「そうかな。俺、晴れ男なんだけどなー」

 ハルが笑うと、ふん。と夏紀はそっぽを向いた。そんな夏紀を見ながらハルは、きらきら星のテーマを歌った。ハルは楽しそうに歌っているけれど、傘に落ちる雨粒の音は鈍い。

「いらっしゃーい! オーナーも、お帰りなさい」

 ハレノヒカフェに到着すると、恵子が二人を迎えた。そして夏紀に席を勧め、奥から出てきた徹二は温かいおしぼりを出した。

「夏紀さん、最近、綺麗になりました?」
「え? そうかな……別に何もしてないけど」

 もしかすると、ハルとの恋のせいかもしれない、と夏紀は思った。彼は店に着くとすぐに奥に入ってしまったので近くに姿はない。

「やだぁ、もしかして夏紀ちゃん、彼氏できた? 女は恋すると変わるからね」
「えっ、夏紀さんに、彼氏……ショックです……」
「大丈夫よ、徹ちゃんなら、またすぐに良い人見つかるわよ!」
「……だと良いんですけど」

 そんな三人の会話を聞きながら、ハルは何かの料理を持って現れた。蓋を被せていたので、中身が何かはわからない。

「これ、何だと思う?」
「わぁ、かわいい!」

 夏紀の前に出されたのは、まるでピアノの鍵盤のような直方体のデザートだった。下は黒くて上が白、黒鍵もちゃんと正しく並んでいる。

「チョコレートケーキ? でも、それにしてはツルツルしてる?」
「食べてみて。ケーキではないんだ」

 夏紀は恐る恐るフォークを入れ、一切れ口に入れた。
 口の中に広がるのはチョコレートの味、だけれどこの食感は──。

「和菓子? ようかん?」
「当たり。でも、お茶よりコーヒーが合うでしょ」

 それは本当に美味しくて、食べてしまうのが勿体なかった。少しずつ丁寧に味わって食べる夏紀を、ハルがじっと見守る。

「オーナーって、彼女途切れたことないですよね」
「いや……、あるよ。でも、別れようって言われたことはないな」
「それ自慢ですか? かっこいいですもんねぇ……モテる秘訣って何なんですか?」

 そもそも素材が違うわよ、と恵子は笑い、徹二はため息をついていたけれど。
 徹二の真剣な質問に、少し考えてからハルは口を開いた。

「好きになったら、一途に愛し続ける。それが男でしょ」

 恵子は、カッコつけてぇ、と思い。
 徹二は、さすがオーナー! と目を輝かせ。
 夏紀は、ほんの少し目を潤ませた。

「幸せですね、オーナーの彼女」

(うん……幸せすぎる……!)

 ハルは何も答えず、少し笑ってからカウンターを離れた。
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