Einsatz─あの日のミュージカル・スコア─
第7章 それぞれの未来へ

第34話 未来への道

 一年前に美咲が伴奏した春のコンサートを、美咲は今度は客として聴きに行った。美歌を連れていきたかったけれど未就学児は入場不可なので仕方なく両親に預けた。

 歌う曲の伴奏ができるメンバーがHarmonieにいなかったので、一緒に練習しているのもあって、えいこんと合同で出ることになった。もちろん全員を出すわけにはいかなかったので、出演者は篠山と井庭が選んだ。朋之も無事に選ばれたようで、美咲の家に来ることが減った。何を歌うのか聞いたけれど、当日のお楽しみ、と言って教えてもらえなかった。

「あーっ、これ歌うん? これ好き」

 入口でパンフレットをもらってから、美咲はメンバーの控え室に行った──篠山が一緒だったので関係者で通してもらえた──そして久々に会うメンバーたちに挨拶をしてからパンフレットを開き、演目を確認すると美咲のお気に入りの曲が書いてあった。それは妊娠中に聴いていた、ソロがある曲だ。当然えいこんにも良い声のメンバーがいるので誰がソロをするのかはわからない。朋之は単純にお楽しみにしておいただけなのだろうか、それとも美咲が好きな曲を歌うとわかっていたから敢えて隠していたのだろうか。

 三曲あるうちの残り二つは、一般にはポピュラー音楽として親しまれているアニメに出てくる曲と、もう一つは合唱曲だった。

「そろそろリハーサルやから、こや──紀伊さん、退場」
「ええっ、ひどい……」

 美咲はリハーサルも聴きたかったけれど、残念ながら篠山と一緒に井庭から追い出されてしまった。メンバーたちも井庭と同意見のようで、美咲に笑顔で手を振っていた。一年前はHarmonie単独で練習場所からも近かったので控え室をもらえなかったけれど、今年はえいこんとの合同なので控え室をもらえたらしい。朋之の姿は見なかったけれど、誰かの陰になっていたのだろう。

 頬を膨らませながら控え室から離れ、美咲と篠山は客席へ向かう。小さなコンサートで出演団体は少ないけれど、えいこんが出るというので既にいっぱいだった。合唱を経験している人にはえいこんは一目置かれているので、定演もいつも満席だった。

「すごい人ですねぇ……去年はもっと少なかったような……」
 ステージがよく見えるところに空席を見つけ、美咲と篠山は並んで座った。
「美咲ちゃん、今日の曲は知ってたっけ?」
「はい。歌ったのはアニメのだけやけど、ノルウェーのやつはCDとかDVDで聴きました」
「……最後の曲は?」
「それは、タイトルは聞いたことあるけど……確か、私がえいこん休んでるときに、何練習してるんですか? って先生に聞いたら、それ、って言ってました」
「そう……聴いたことはないんやね?」
 篠山の言い方が気になったけれど、美咲は深くは追及しなかった。

 ベルが鳴って照明が落ち、客席がしんとなる。えいこんとHarmonieの混合メンバーの出番は最後だったので、美咲は他の団体の演奏をすべて聴いた。蓋を外されたグランドピアノが舞台中央に置かれていて、歌よりもピアノが気になったときもあったけれど。春らしい曲が続けて歌われ、気持ちが新たになる。

『最後になりました、Harmonieと江井混声合唱団の合同による──』

 司会から紹介され、メンバーが登場する。井庭と篠山に選ばれたメンバーが、男声バスから雛壇に並んでいく。

(あ、山口君いた……ん?)

 朋之はテナーなので舞台中央に近いのは問題ない。割と身長が高いけれど、前後でずれて並んでいるので一番前にいるのも問題ない。けれど、なぜか左隣が一人分空いていた。

「先生、なんであそこ空いてるんですか?」
「はは、秘密」

 一曲目は無伴奏なので、ピアノには誰もいない。井庭が最後にステージに上がり、最初の一音をメンバーがハーモニカで鳴らす。ゆったりしたソプラノのソロから始まり、続くテナーのソロは──美咲の希望通りに朋之で思わずほっとする。ノルウェー語なので意味はわからないし、発音が合っているのかもわからないけれど。讃美歌なので聴いていると心が落ち着いて──知らずに泣いていたようで頬を涙が伝う。

 二曲目からピアノ伴奏が入るので、ピアニストが入って着席するのを待った。アニメの曲はおそらく子供から大人まで知っている曲で、テンポが良いので途中から手拍子が入る。メンバーが楽しそうに歌っているので美咲も楽しくなって、辛いことがあったのを忘れられた。

 そして最後の合唱曲は──。

「ん? あ、そういう……」

 曲の間に朋之が数歩前に出て、ピアノの陰からギターを取って掛けた。そしてもとの位置に戻ったので、左隣が空いていた謎が解けた。彼がギターを弾くことを、美咲は忘れていた。ギターを使うと決まっていたから、朋之は美咲に秘密にしていたのだろうか。

 ピアノの静かな前奏から女性の優しい声が入り、やがて男声も加わって四部編成になる。歌詞を追っていると抱えていた感情が込み上げてきて、始まった早々から胸が苦しくなった。

(これ──やばい……)

 盛り上がるのと同時にギターの音が聴こえたけれど、美咲は前を向いていられなかった。タイトルから、エールをもらう曲のような気はしていたけれど。メンバーに支えられているようで、朋之に頑張れと言われているようで、涙が止まらなかった。美咲が離婚したことは、Harmonieとえいこんのメンバー全員が既に知っていた。隣の篠山が背中をさすってくれたけれど、美咲は余計に泣いてしまった。

 ようやく落ち着いて前を向くと、朋之はギターを弾きながら歌っていた。ステージから客席はよく見えるし、美咲もほとんど中央に座っていた。ピアニストと指揮をしている井庭以外、全員が美咲を見ているように感じた。
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