イケメンシェフの溺愛レシピ
生放送当日まであと3日というときだった。

最終的な原稿を用意してフラヴィオに送付して、あとは本番まで徹夜覚悟で放送するVTRなどの編集、当日使用するものの準備などなど。慣れている作業とはいえ、この段階は体力的にきついところだ。いつまでも若くないことを感じる最近でもある。

「綾乃さん、コーヒー飲みます?」

コーヒーポット片手に智香が声をかけてくれる。

「ありがとう、いただこうかな」

そう返事をしたところで、スマートフォンが激しく動いた。

「ごめん、そこ置いておいて」

智香にそう言って電話に出る。相手はそう、この男。

「Bongiorno!アヤノ!ゲンキ?」

フラヴィオ・マンチーニ。

ランチ営業が終わった時間帯ではあるが、まるで休日のようなテンション。

「おかげさまで。」

先日、疲労とアルコールにやられた瞬間を見られただけに、ちょっと恥ずかしい気持ちもありながら、綾乃はいつになくクールに返事をする。

「当日の台本、僕の紹介だけど。」

なにか?と、綾乃は問題があったのか問う。

「アレッサンドロ師匠に弟子入りしたのは僕が先。テツヤは後。ソレハ、重要」

限られた時間で紹介を簡略化したことに対する指摘。ともに同門だったことだけを伝えれば十分ではないかと思いながら、どうもフラヴィオにとってはこの師弟関係が問題のようだ。

「あなたは過去が重要なのね」

飲もうと思っていたコーヒーをおあずけされ、頭をひねって作った台本を指摘されたせいもあって、綾乃はチクリと嫌味をこぼす。言葉にした後で、しまった、と思ったが、口から出てしまったものはもう取り戻すことができない。綾乃は恐る恐るフラヴィオの次の言葉を待った。

すると、Siとイタリア語のイエスの返事をして、フラヴィオは言った。

「過去は、今の僕をつくるもの。アヤノは、気にならない?テツヤの過去」

テツヤの過去。
なぜだかそれはまるで恋人として、哲也の過去が気にならないかを聞かれているような気がした。

哲也の過去。
大人で、物事を上手にこなしていて、いつだって余裕たっぷりに、ダメな自分の部分も全部笑って受け止めてくれる彼。その過去。どんなふうに仕事に取組み、どんなふうに女性を愛してきたのかも。

想像する。哲也の柔らかな笑顔。それがかつて他の誰かに向かっていたことを。

「気にならないわ。彼の話なら本人から聞く。重要なのは、今、彼が話してくれることだけよ」

綾乃ははっきりと、言い放った。若干の強がりもあったかもしれない。それでも、他人から聞く哲也の過去の話などどうでもよかった。何よりも大切なのは今。
収録が楽しみだと、それが終わったらゆっくりデートしようと言ってくれている哲也だけが自分の真実。

綾乃の言葉に、Hmmと相槌を打った後、フラヴィオは言った。

「それならいいけど。でもね、僕と哲也は仲良しジャナイ。ライバル。知っていて」

ライバル。切磋琢磨する関係のようでもあり、決して呑気な関係でもない。仲良しじゃないという彼の言葉通り、どこか緊張感のある空気さえ感じる言葉だ。

「当日は、よろしくお願いします」

綾乃はそれだけ言って電話を切る。智香の淹れてくれたぬるいコーヒーの苦みが舌に残った。
生放送まであと3日。
なにか落ち着かない。それでもどうにかうまくいくように努めるのみだった。
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