イケメンシェフの溺愛レシピ

「お疲れ様」

哲也が来たのは午後十一時近かった。綾乃は部屋の片づけも終えて、洗濯機がごうごう鳴り響く室内でしれっとノートパソコンに向かって仕事をしていた。

「待たせて悪かったね。腹減っただろう?」
「ううん、不規則なのは慣れてるから」

お腹は平気だけど、哲也が来るのが待ち遠しかった…という本音を結局また言葉にできないまま綾乃はテーブルの上を片付けた。

不規則はよくないな、と言いながら哲也が持参した包みを開くと、テイクアウト用の白いランチボックスに、センス良く詰められた料理たちがあった。
思わず綾乃は、わあ、と歓声を上げる。
にんにく、ハーブ、香ばしく焼かれた魚のいい香りが味気ないいつもの部屋に漂って、笑顔にならないはずがない。

「料理の説明をして」

お客の顔をして綾乃が言うと、哲也もまたシェフの顔をして言った。

「前菜はウドの生ハムのマリネ、タラの芽とエビのフリッター。それからプリモピアットに菜の花とホタルイカのペペロンチーノスパゲティ。それからセコンドピアットに真鯛のグリル、アスパラガスとレモンソース添え。あとはワインも」

彼は左手でイタリアらしい陽気なラベルのワインボトルを掲げた。

「どうしよう、仕事できなくなる」

綾乃は笑顔で言った。

「お邪魔なら料理だけ置いて帰るけど」

哲也もまた、嫌味のない笑顔で言った。仕事で知り合って、仕事を通してお互いに理解を深めて、惹かれあった二人は、やはりお互いの仕事の邪魔をしたくないのは誰よりわかっていた。

綾乃自身、今夜はいくらか気合を入れて仕事しなければという状況でもあったが、それでも哲也と過ごしたほうが、仕事にプラスになる気がしたのだ。彼はいつもいい刺激をくれるから。
それに、あの雑誌の仕事。園部真理子と言う女性の存在が気にならないわけがない。
一緒に過ごす時間が不安を吹き飛ばしてくれる。

「一緒に食べたい」

帰らないで、と言うのはなんだか自分に似合わない感じがして、綾乃はそう言った。素直じゃないと言われればそうかもしれない。でも哲也はそんな綾乃の気持ちもわかりきっているように、いつも通り笑顔をむけた。

「デザートもあるから。」

そういって哲也が見せてくれた透明のプラスチックカップには、日本の柑橘類とマスカルポーネを使った爽やかな春のティラミス。

ティラミスには「私を引っ張り上げて」という訳から「元気にする菓子」の意味があることは、哲也から聞いて知っていた。食べると元気のでるデザート。イタリア的に言うならドルチェか。

思えば、哲也と食事をして、思い出のワンシーンにはいつもティラミスがあった。そのときどき、姿形を変えながらも、いつも自分を、そして哲也と二人の関係を応援してくれていたティラミス。それを彼がどこまでわかっているかは不明だが、今の綾乃にとって嬉しくないはずがなかった。
グラスのドルチェを手にとって綾乃が言う。

「すごい嬉しい。けど、この時間にこんなに食べたら、太りそう」
「わかった、食後の運動も付き合うよ」

そういって哲也がふざけてベッドルームに親指を向けてサインを出したので、綾乃は「ばか」と笑った。
こんなやりとりこそが二人の自然な、それでいて素直な愛情表現なのかなと思いながら、深夜、翌日のことはちょっとだけ忘れてとびきりの時間を分け合った。

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