弊社の副社長に口説かれています



帰宅してすぐに風呂を済ませる、陽葵からすれば上司で客人たる尚登に先に入ってもらおうと思ったが、尚登はお先にどうぞというので言葉に甘えて陽葵が先に入ることにした。
いつもなら入浴後の身支度はバスタオルを巻いた姿でダイニングテーブルに座り込んでするが、尚登もいる手前そんな姿でフラフラするわけにもいかず、脱衣室にケア商品をすべて持ち込み、下着も寝間着も持って入った。そんなことだけでも面倒だと感じてしまう。尚登のようなハイスペックな人を招き入れておいてなんだが、やはり長く一人で暮らすことに慣れた自分には、他の誰かと一緒に暮らすなどやはり無理だと改めて思う──それが史絵瑠だとしてもだ。

(史絵瑠……どうしたらいいんだろう……とりあえずあの家から出してあげたらいいのかな。あるいは私が戻って見張って……ううん、それは史絵瑠とここで一緒に住む以上に無理だ)

生まれ育ったはずの我が家が牢屋のように感じるのはなぜだろう。実家へ戻るのも無理、この家で一緒に住むのも無理ならば、新たに二人で暮らすのに合った部屋を探せばよいのか──史絵瑠の負担が少ない範囲で二人で家賃を出し合えばなんとかなるだろうか──一緒に住んでも、親の干渉は受けずに済むだろうか。
昨日から電話やメッセージもないということは諦めたのか、仲が良い男性はいたようだ、その人を頼ったのか──堂々巡りに答えはなく、陽葵は髪もきっちり乾かし、寝間着を着込み脱衣所から出た。

「あの、お先にいただきました」
「おーう」

ダイニングテーブルでパソコンを開いていた尚登は、返事をしながらパソコンを閉じる。

「お仕事ですか?」

思わず聞いていた。

「まさか。時間外勤務はしない主義」

尚登は笑顔で答えてゲームだよと言葉を添える。

「お風呂お借りしまーす」

明るい声で言い風呂場に向かう。ゲームの画面ではないことなど陽葵はお見通しだった、どう見てもメールを見ていたが、仕事をしている様子を見せたくないんだろう。

30分ほどで出てきた尚登を見て陽葵は息を呑んでしまった。
当然のことながら、ラフな格好の尚登など初めて見る──いつもはワックスで流れを整えた髪が揺れる様に色気があった、プライベートなパジャマ姿も無防備で普段の数倍見目麗しい。

(ヤバい……! こんな副社長……! 筋金入りに、かっこいい……!)

慌てて視線を反らせた、自分にも男性にこんな感情を抱くのだと判り、変な感覚に陥る。

「んじゃ、寝ますか」

尚登は明るく言ってベッドに歩み寄る。もともとベッドは片側を壁に寄せるように配置してあったが、50㎝ほど離しどちらからも入れるようにしたが──。

「ほ、本当に一緒に寝るんですか……?」
「床ってわけにもいかないだろ、予備の布団も寝袋すらないのに」

確かに来客など想定していないため、そんな準備はない。

「背中合わせで眠ればいいんだろ?」

言って尚登は壁寄りの場所に潜り込む。男性と添い寝、しかも副社長だということに陽葵の理解は追い付かない。

「あの、やっぱり私がホテルへ……」
「今更? パジャマで外に出るのも嫌だろ、第一風呂上りじゃ風邪ひくぜ?」

確かに今更支度も大変だ──陽葵は戸惑い、指をもじもじと動かす。

「心配すんなよ、絶対触らない」

優しい笑顔で言われて陽葵は諦めた。無茶なことはするが立場は副社長だ、自分が言ったことを簡単に覆したりはしないだろうと信じた。
部屋の照明を落としベッドに潜り込み、言われたように背を向けて体を横たえる。

「おやすみ」

尚登の声に陽葵も答える、つい先日はその言葉で別れたことを思えばなんとも不思議な状況だ。

陽葵は目を閉じた、触れているわけではないのに背中合わせの背の大きさを感じる、温かく大きな背中を──いつもよりすんなりと眠りについていた。





真夜中、ベッドの揺れに尚登は目を覚ました。
自身は既に寝返りをうっており、その視界に眠る陽葵がいた。背を向けていたはずの陽葵も今は仰向けになり顔はこちらに向けている。

(──かわいいな)

寝顔に見とれた。風呂上がりで化粧をしていないが元より口紅程度の化粧なのだと判る、普段見るかんばせのまま穏やかに寝息を立てていた。
無防備に熟睡する陽葵にほっとした、これほど近くにいるのも嫌というほど嫌われているわけではない。

できるなら抱きしめたい。

その気持ちを延ばした指先に込める、指の背でそっと髪を撫でれば艶やかな感触が判り愛おしさが増した。

できるなら滑らかな肌に触れたい、その衝動は懸命に堪える。自分の欲を満たすより陽葵の心を溶かすことが先決だ。
それでも今度は陽葵の髪に指をかけ捉えた、だが陽葵は変らず規則正しい寝息を立てるばかりだ。

(接触恐怖症は精神的なものか──)

触れる感覚がダメならばこの程度でも目を覚ましそうなものだが、そこまでではないようだ。別に無理に直すつもりはない、自分だけが触れさせてくれればいい──妙な独占欲が湧いてくる。
どんな災厄からも守る──こんなに誰かを愛しいと思ったのは初めてだった
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