弊社の副社長に口説かれています
「私は君が遠くへ行くことには反対だったよ。淋しいじゃないか、中学生などまだ親の庇護にいるべきだ。でもお義母さんに説き伏せられて」

どうしてそれをその時直接言ってはくれなかったのか──陽葵の叫びは喉の奥で渦巻いた。

「お父さんは、お義母さんと一緒になって、私を叩いたり怒鳴ったりしたじゃない……!」

声は涙に潰れる。

「いつもお義母さんが正しいって……! 食事を取り上げられても、私が部屋に閉じ込めれてても、なにも言ってくれなかった……!」
「そんなこと、あったかな」

京助の言葉に、力が入ったのは陽葵の手を握る尚登の手だった。

「手を上げた覚えはないんだが……きつくお小言は言った覚えはあるんだ、それで君を傷つけてしまったなら謝る。食事の事は覚えているよ、ダイエットだとお義母さんは教えてくれた。何日も一緒に食事を摂らないから心配したが、部屋から出ないことも含めて、そういう年頃だ、女の子にはよくあることだから気にするなと。さすが女の子のことは女性に任せた方がいいと思ってしまっていたんだが」

全て、継母新奈の手の内にあったのだ──溢れ出る涙を陽葵は握ったハンカチで押さえた。

「済まなかった、陽葵。お義母さんに辛く当たられていたのか、それで九州に逃げ……」
「それはお義母さんに送り込まれたようです」

尚登が代弁する、しっかりと陽葵を抱きしめての言葉だ。

「ああ、そうか、そうだった」

京助は明るい声で肯定した。
父と陽葵の記憶の食い違い。継母によって歪められたにしても違い過ぎるのは、当事者とそうでない者との差だろうか。陽葵の記憶では継母と結婚した京助は、継母と同じくらい怖い存在だった──。

「気づいてやれなくて、ごめんよ、陽葵」

京助はテーブルに額をこすりつけるようにして頭を下げた。

「助けてやれなくて済まなかった。それで陽葵が家を……お父さんを避けていたなら、本当に申し訳ない。でも私にとって陽葵は誰よりもかわいい娘だ、今も昔も、これからも」

陽葵が父の謝罪に答えられずにいると、尚登は優しく陽葵の髪を撫でた。それだけで今はこの人がいると安心できる、絶対許さないと思っていたわけではない、この世にたった一人しかいない肉親だ。

「うん……もう、いい……」
「でも、これからも他人のままでいさせてくれませんか」

尚登は陽葵の声を遮り言った。

「他人、ですか……」

京助のしゅんと落ち込む。

「お義父さんとは仲良くやっていきたいのですが。お義母さんと史絵瑠さんについては、お義父さんは愛した人かもしれませんが、私は好きになれません」

はっきりと言ってくれ陽葵は安心した。そのとおりだ、記憶の齟齬があっても父は父、本当には嫌いになれない、しかし継母とは──無理だ。

「私にとっては赤の他人です、陽葵も継母(ままはは)に対する思いは同じようなものでしょう。申し訳ありませんが少し距離を保ちたいです。お義父さんを騙し、乱暴されているなどと虚言を弄するような人たちは信用できません」

それは確かにと納得する京助の声がした。

「しかし……史絵瑠はなぜ、そんなとんでもない嘘をついたのか」
「単に陽葵に嫌がらせをしたかっただけのようです。万が一その嘘が公になっても傷つくのはお義父さんで、史絵瑠さんは皆の同情を買うだけ、なにも困らないんですから」

そうかとため息交じりに京助は呟いた。

「それと親元から離れたい希望があったようですね、ですから陽葵を傷つけた上でその家に転がり込む魂胆で」
「ああ……確かに、何度か家を出たいという相談は受けていたが……」

だが早々に手が離れてしまった陽葵に続いて史絵瑠までいなくなってしまうのが寂しかった。なによりまだ学生の身では京助が負う出費も増えるのは正直きつい、面倒ならいくらでもかけてくれと思うがそれとは違う。出て行くなら嫁になる時と漠然と思っていたのだ。

「……なぜ、そんな嘘を……」

京助は呟く、新奈にしても史絵瑠にしてもだ、バレない嘘はないのに。
小さく揺れる陽葵の背を、尚登は優しく撫でる。

「悪かったな。電話でお義父さんと話した様子から、直接会ってみたほうがいいと思って」

いきなり確信をついた話をしたわけではないが、陽葵の話から感じる印象とはあまりに違う反応に違和感を感じた。陽葵のことは大切に思っているようだった、思い切って史絵瑠のことに聞けば、驚きしらばっくれる風でもない。会いましょうかと言えば即答で是非と応えた、そんな嬉々とした様子からも虐待などなかったのではないかと確信を得たのだ。真実は尚登には判らない、だが陽葵は傷つき、京助はそれに加担していないというのは現実なのだろう。これですべての遺恨がなくなるのか、それすら判らないが──陽葵を抱きしめ、あやすように背中を叩く。

「飯、食えるか?」

聞かれ陽葵は抱きしめ返して小さく「うん」と答えた、そんな睦まじく見える姿に京助の表情が緩む。

「幸せそうでなによりだ」

京助の笑みは花嫁の父のものだろうか、立ち上がると深々と頭を下げた。

「尚登さん、陽葵をよろしくお願いします」

尚登も立ち上がりそれに倣う。

「こちらこそ、末永くよろしくお願いいたします。陽葵さんを大切にします」

まるでプロポーズのような言葉に、陽葵も慌てて立ち上がり京助に向かって礼をする。
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