私と彼の結婚四箇条

契約成立



 ぺらっとした紙切れだが、かたい言葉で綴られた文章に重みを感じる。
 一通り目を通した後、花乃は目の前にいる那津へと視線を移した。

「何これ」

 それが最初の感想だった。
 寝起き姿だった花乃が身支度を整えて、那津が待つ部屋に戻ってくると机の上には一枚の紙が綺麗に整えられて置かれていた。那津は呑気にコーヒーを飲んでいるが、スーツ姿のせいで、余計に机の書類が重いものに見えてくる。

ーー借金の取り立てが部屋にいる気分。

 何も言われていないが、雰囲気が早く読めと言っているように見えて、花乃は何も聞かずに書類を一読した。
 その感想がこれである。
 那津はにやっと自慢げな笑顔を見せた。

「契約書だよ。契約書。俺、一晩で作り上げたんだぜ」

濱咲那津。
彼は花乃の幼馴染みである。何の腐れ縁か幼稚園から高校まで一緒で、大学進学を機に2人とも上京してきたのである。東京に来てからもちょくちょく飲みに行く仲であって、それ以上でもそれ以下でもない、丁度いい距離感の友人だ。
 幼い頃から知っているからこそ見慣れてしまったが、那津はイケメンだった。
 女子顔負けの綺麗な肌に爽やかな黒髪の短髪、そしてちょっとタレ目。

「さすが弁護士サマですねーって、いやだから何で那津と結婚するのよ」

 さらにこのイケメン幼馴染みは弁護士。
 女子にモテないわけがない優良物件だ。それでも女性の影が見えない。

「結婚は結婚だけど、結婚っていう契約を結ぶんだよ」

「意味わからんない」

「とりあえず戸籍上は結婚するけど、実際には体裁だけの結婚をするってことだよ。その取り決めをするための契約書がこれ。」

「ねえ日本語しゃべってる?」

「お前日本語ちゃんと勉強した?」

 頭の良い那津にそう言われると、たかが商社のOLである花乃は何も言えない。同じ小学校で勉強してきて、高校まで同じ教室にいたはずなのに、何故ここまで差がついたのか。
 花乃は那津を睨んで唸るしかなかった。

「頭の悪い花乃にもわかるようにやさしく説明してやろう」

そして、那津が得意げに話し始めた。

「俺たちは結婚適齢期だ。周囲から結婚しろ結婚しろとうるさい。結婚したくない訳じゃないけど今は別のことに集中したい。そうだろ?」

「まあ……この前飲みに行ったときにそんな話したね」

 花乃と那津は月に一回ほど飲みに行く。
 社会人になってからは、定期的に会う日を決めないと会わなくなってしまう。だからこそ2人は互いに毎月15日に飲みに行くという約束をしている。
 今月の飲み会は一昨日のこと。
 その時、結婚の話題になって、互いに笑いながらこの契約の中身を話して決めた……ような気がする。
 花乃は、珍しく飲みすぎて、べろんべろんに酔っ払っていたため、あまり記憶がないのだ。

「そこで、だ。幼馴染みでまだ繋がりのある生物学上は男女の俺ら2人が結婚するのは周囲から見ても不自然じゃあない。むしろ周囲はすぐに納得するし大人しくなる。しかも2人とも恋人はいない。周囲を黙らせるにはもってこいの人選だ」

「確かに……」

「だが、勿論俺たちに結婚の意思はない。俺たち2人の間に恋愛感情はないからな。そうだよな?」
「当然でしょ。朝から女性の家にズカズカ入り込んでくる男なんてお断りです」

「はは。女性の部屋ならそんなことしないって」

「おいこら。どういう意味だ」

那津は知らんぷりしてコーヒーを一口飲んだ。

「話を戻して。ならば戸籍上は婚姻関係になるんだ。但し、この契約書にあるように、恋愛感情による束縛をしない、財布は別、そういう暮らしをする。つまり、戸籍上は婚姻関係にあるが、ただシェアハウスするって事。この契約は一年更新。どっちかに好きな人が出来たら更新せず1年後に素直に別れる」

「でもそれって離婚した時はバツイチになるってことでしょ。私、那津にフラれてバツイチとか捨てられた可哀想な女性すぎない?」

「大丈夫。俺、好きな人いるけど、その人結婚してるから。当分、その人以外の人、好きになれないし」

「……そっか」

那津の好きな人。
花乃はその人を知っている。
ずっと一緒にいたからこそ、那津がどれだけその人を好きかも知っている。花乃と那津が会い続けているのだって、その人が絡んでいる。
花乃は少し話しにくそうに、契約書へと視線を落とした。しかし、那津は気にすることなく話を続けた。

「そういうこと。ウィンウィンな契約ってこと」

「わかった。わかったよ。印鑑押す。私にも悪い話じゃないし」

花乃は諦めて、印鑑を探し始めた。全く、昔からどうも那津のおしに弱いのだ。
そんな花乃の様子に、那津は勝ち誇ったように笑う。
書類に印鑑を押す、たったそれだけの行為なのに、花乃は震えてしまう。
普通じゃないこの結婚。
だって旦那様には好きな人がいて、目の前でその人以外好きになれないと言われたのだ。
契約書だけが繋ぐ花乃と那津の婚姻関係は、お互いが自由に生きるために必要な契約だった。
そんなたった一枚の契約書を目の前に、花乃と那津の新たな生活が始まるのだ。

「これで完成だな」

那津の言葉に、花乃はごくりと息を呑む。

「これから、よろしく。奥さま」

「こちらこそ。よろしくね、旦那様」


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