君の嘘に騙されたい


 あれから、週が明けても、私は自分が湊くんの偽装彼女なのかどうかわからないまま、もやもやした日々を過ごしていた。
 今日も、朝、教室に入るとき、ちょうど湊くんと入口で鉢合わせたけど、湊くんは誰にでも接するように「おはよう」と微笑みなが言ってきたから、私は小さな声で「お、おはよう」と最初の「お」の音が掠れたから、言い直したら、まるで自分が動揺しているかのようにどもってしまった。

 あの日、結局、偽装彼女ってなに? って聞くこともなく、ただ、湊くんに「助かったよ。ありがとう。この礼はどこかで返すから」と言われて、私はうんと頷いて、公園から駅前まで繋いだままだった手をそっと離した。
 じゃあねと言って、湊くんが私が乗る反対方向のホームに繋がる階段に吸い込まれるのを立ったまま、見つめていた。湊くんが階段を降り始め、姿が見えなくなったあと、右手の手のひらを眺めた。
 まだ、右手には湊くんの熱が残っているような気がした。

 そんなことを考えているうちに6限の数学Ⅱが終わった。机の上に右手を返して、右手を眺めた。当たり前だけど、もう5日も経った右手には湊くんの熱なんて残っていなかった。
 息をすっと吐いた。
 帰る準備しなくちゃ――。

 私は右手をそのまま、右のほうへスライドさせた。そのとき、机の端に置いていた赤いシャーペンがありえない勢いでコロコロと机の上を転がり、そして、床に落ちた。

 また、やっちゃったよ、ピタゴラスイッチ。
 こういう不注意なところが嫌になる。だって、この些細な不注意で、もし、隣の席の子の椅子の真下にシャーペンが入ってしまっても、私はきっと、シャープペンを取ることができない。帰りのホームルームが終わってから、そっと、シャーペンを回収するか、それでもダメなら、掃除当番に落とし物扱いにしてもらって、次の日、こっそり担任にもらいに行く。
 もし、掃除のときに捨てられたら、もうそのシャーペンはそれっきりだ。

 憂鬱な気持ちで下を見ると、やっぱり厄介なところにシャーペンが落ちていた。右側の席の様子を伺う。1軍のバカ男子二人組、吉岡蒼(よしおかあお)と伊藤誠(いとうまこと)がガヤガヤとちょっかいを掛け合っていた。
 シャーペンはちょうど、吉岡蒼と伊藤誠の間に落ちていた。二人はバカ騒ぎの最中で私のシャーペンになんか気づいてもいなかった。
 クラスでは奇跡の組み合わせと言われているらしい。
 このバカ二人組がクラスの雰囲気を牽引していると言っていいほど、仲が良くて、こうして、チャイムが鳴った途端に常にふざけあっている。

「今日の踊るヒット賞は明らかに俺らじゃないよな」
「残念だけど、ニシマリちゃんだな」
「うぇーい。マネしてよ」
「いいよ。いくよ? ちょ、せんせぇぇぇーん! 全部、忘れましたー!」
「ちょっと私の真似しないでよー!」と声が後ろのほうから聞こえたあと、クラスの3分の1くらいが笑いに包まれた。
 こういうとき、私は困る。というか、私にしてみたら、最悪の奇跡だ。こんなうるさくて、よりによって、クラスの中心みたいな場所の席にいるのはつらい。こんなときどんな反応すればいいのかよくわからなくなる。
 それも、たまに普通に面白いときがあるから、笑いそうになり、ほころぶ頬を手で覆い、隠したりする。だけど、今みたいに人の真似をして、小バカにするネタは好きじゃないから、周りから笑いが上がるたびに気まずい気持ちになる。

「お前ら、いつからヒット賞決め始めたんだよ」と後ろのほうから、湊くんの声がした。そして、私の席の真横まで来て、バカ二人組の前に立った。
「悔しいなら、面白いことしな。このリア充め」と伊藤誠が言ったあと、うぇーいと言いながら、湊くんにパンチをするフリをしたのを、湊くんは華麗に身体を捻って、パンチをかわすフリをした。
「バーカ。先月から非リアだよ。俺」
「お、そうだったな。おめでとうございまーす!」
「うるせーよ。ヨッシー。お前はアイランドでマリオの配送でもしてろ」と湊くんはそう言いながら、かがみこみ、左手で吉岡の脇に手をすっと入れて、吉岡の脇をくすぐろうとしていた。

「おいやめろよーーー。俺の脇はガラスなんだって。誠、笑ってないで助けろーーー」
「うるせぇ、お前なんて笑い死ね!」と伊藤誠が下品な声で楽しそうにそう言った。湊くんは一通り、吉岡のことをくすぐったあと、再び立ち上がった。
 そして、右手を背中のほうに回した。湊くんの右手には私の赤いシャーペンが握られていた。私は驚いて、思わず凝視してしまった。

「はよ」と湊くんは私のほうを向かずにそう言った。そして、手に持っているシャーペンを上下に細かく揺らしていた。私を誘っているかのように――。

「え、なにを?」と伊藤誠はもっともらしいことを言った。
「なんだと思う?」と湊くんは何事もないかのように、そう言ったあと、シャーペンを揺らすのをやめた。だから、私はそっと、湊くんの右手から、シャーペンを取った。
「笑い死ねーーー!」と湊くんはそう言って、再び、かがみ込み、今度は吉岡の両脇をくすぐり始めた。そして、吉岡は本気で笑い死ぬんじゃないかってくらい、息を乱しながら笑い転げていた。



 いつもの帰り道を歩いているだけなのに、私の心はふわふわとしていた。気持ち、いつもより早足で、まだ心臓は冷静にドキドキしている。今日もこうして、ホームルームが終わってすぐに学校を出ることができたのも、湊くんのおかげだ――。
 
 というか、どうして、私のシャーペンを拾ってくれたんだろう――。
 どうして?
 だって、私は偽装彼女なんじゃないの?
 私のことなんて、ほっといてもいいのに。
 今までみたいに。
 
 


「湊、付き合い始めたらしいよ」
「え、マジで。誰と?」
「柊とだって」
「えー、なんで?」
 津久井萌夏(つくいもか)が河岡みすずにそう話している会話が聞こえた。津久井萌夏が始めた話は私自身をドキッとさせた。昼休みが終わる15分前に、職員室に提出物を出しに行った。その帰り、廊下を曲がろうとしたとき、このやり取りが聞こえてきた。シャーペンを拾われてから1週間、偽装彼女になってから10日が経とうとしていた。
 とうとう、噂になったんだって、ふと思った。
 廊下の曲がり角の先できっと、二人は話しているに違いなかった。そんな話をしている本人が真横を通り過ぎたら、どんな表情されるかわからない――。
 一気に余計な汗が吹き出てきた。
 そして、余計に心拍数が爆発的に上がっていく――。
 私はその場に立ち止まった。教室に戻りたいけど、戻ることもできず、とりあえず、話を聞くことにした。

「てか、萌夏と真逆のタイプじゃん」
「そうだね。いいんじゃない。私よりきっとお似合いだよ」
「いや、それでも釣り合ってないじゃん」
「そう? 価値観はあいつと釣り合わなかったけどね。私」
「だから、柊と釣り合ってるって言いたいの?」
「そう、そう言うこと」と津久井萌夏が言い終わると、二人はゲラゲラと笑い始めた。
 きっと、あの日、篠山以外にも私と湊くんが一緒にいるところ、そして、手を繋いでいるところを見られたんだ。少なくとも、津久井には見られているはずだ。
 津久井はクラスの中で一番かわいい子だと思う。
 というか、実際に男子にもちやほやされてモテているのは知っている。それなのに、1軍女子にもしっかり馴染んでいて、クラスの立ち回りがすごいなって感心しちゃうときがある。
 そんな津久井萌夏も裏ではこんな噂話が好きだったんだと思うと、勝手にそんなのと無縁だと思いこんでいたから、少しだけショックだった。しかもよりによって、私のことだし、私はそもそも湊くんの偽装彼女に過ぎないのに――。

「萌夏って、変な男のこと好きになるよね」
「まあね。私も変わってるからかな。別れたけど」
「別れたってことは普通に戻ったってことだよ。あいつ、イケメンなのに、たまに行動が謎で残念なときあるよね」
「それ、元カノの私にいうこと?」
「あー、ごめんごめん。だって、もう別れたからいいでしょ」
 この会話をはたから聞いていると、本当にこの二人は仲がいいのかわからないような会話の内容になってきた。だけど、津久井萌夏はそんなことは気にもとめずに軽やかな声色で話を進めていた。津久井と湊くんが付き合い始めたとき、クラスでもちやほやされて、話題になることが多かった。何かの授業でペアを組むときは周りが、無理やりもてはやして、カップルで組ませて、また、ちやほやするというのが鉄板ネタになっていた。

 4月に付き合っていることがクラスに広まり、そして、津久井と湊くんは8月末に別れた。たった4か月で一体、どれくらい湊くんのことをできたんだろう――。それで、それがチャンスだと思ったのか、篠山心晴が9月から、猛烈に発情し始めた。
 そして、こないだ湊くんが言ってたことが本当なら、放課後に湊くんのことをストーキングし始めたのも、つい最近のことだったのかもしれない。

「問題は心晴にどう話すかだよね」
「そうだよね――。萌夏が目撃したんだし、萌夏が言ったほうがいいと思うな。私」
 やっぱり、この二人、本当は仲が悪いのかもしれない。女の嫌なところが出ていて、私はこんな話、もう聞きたくなくなってきた。
「えー、私が言うのは良くないよ。元々、付き合ってたんだし」
 篠山心晴はもう知ってるよ。って言いたくなったけど、朝、教室に入ったとき、露骨に篠山心晴ににらまれたのを思い出した。その目は突き刺すように鋭くて、私は思わず下を向き、自分の机へ向かった。篠山心晴が私のことをじっと睨んだことはきっと、まだ、誰も気づいてはいない。
 だって、篠山心晴は私が湊くんと手を繋いでいたことをまるでなかったかのように、湊くんに話しかけていたんだもん。そして、湊くんもいつも通りだったし、クラスの中でこの異変に気づいているのは、湊くんの元カノの津久井萌夏と、篠山心晴と津久井萌夏と交流がある河岡みすず、そして、当事者の私――。
 事故に巻き込まれているのはもちろん、湊くんで、その事故にさらに巻き添えにされたのが、私だ――。
 そして、ストーカーの篠山心晴。
 
 チャイムが鳴った。予鈴のチャイムだ。

「あー、鳴っちゃった。みすず、もうダメだね。またあとで考えよう」
「わかった。授業中めっちゃ考えておくわー。心晴ショックだろうなぁ」
「そうだね。行こう」

 ようやく、二人がゆっくりとした足音が聞こえて、私はようやく水面から出て、息ができるような開放感に感謝した。




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野いちご、ベリカでの公開部分はここまでです。

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