この世界に最後の花火を

余命一年の私

目の前に誰かが座っている。真っ白い服?を着た六十歳くらいの男性のよう。なぜ、私はここに居て椅子に座っているのだろうか。

隣を見渡すと、私の両脇にはもう一つの椅子に、ハンカチで口を押さえながら座っている母の姿と立ったまま唇を噛み締めて険しい表情をしている父の姿。

どうして二人はそんなに辛そうな表情をしているのか、私には全く理解ができなかった。それにこの人は誰?

暗い部屋の中で一箇所だけ異彩を放っているモニター。部屋が暗いせいかモニターがやけに眩しい。

そのモニターに映し出されているのは、誰かのレントゲン写真。私が見たところではただの白い骨組みが浮き上がって見えるだけ。

徐々に視線を目の前に座っている人物に向けると、色々なことがわかってくる。この人は、医者だ...

先ほどまで知らない人で、警戒はしていたが医者と認識できたことで警戒が少しだけ緩む。

それでも、なぜここに私が座っているのかだけは理解できない。

「・・・ということになります。私たちは火花さんのために最善を尽くしますが、現代の医学ではこの病を完治することは・・・」

眼鏡をかけた優しそうな人が、俯きながら悔しそうに我々に呟いている。

何を言っているのか私には一つもわからなかった。病?完治できない?

私の体はどんな状態なのか、不安が一気に押し寄せてくる。

「そ、そんな。先生、ど、どうにかならないんですか!」

母のキィーンと響く声が恐ろしいくらい静かな一部屋に反響する。母の顔はいつになく険しく、客観的に見ている私にはなんのことかまるで理解ができていない。

「・・・残念ながら、余命は一年あるかないか・・・」

「た、助かる方法はないんですか!」

母がここまで感情をむき出しにしている姿を初めて見たので、話の流れからしてこの話は"私のこと"なのだと理解できた。

私は残り一年の命らしい。

「なくはないです・・・」

「なら、お金はいくらかかってもいいので、今すぐ治療してください!!!」

「心臓移植が必要になるんです。そのためには心臓提供してくれる方がいない限りには・・・それにドナーが見つかったとしても、元気な心臓を求めている人は日本中にたくさんいます。必ずしも、火花さんの元に来るとは限らないのです」

自分の話をしているのに、現実味がなかなか湧いてこない。突然余命宣告をされたせいか、このやりとりが他人同士の会話に聞こえる。

「早くてどのくらいになるんですか!」

「早くて一年は・・・」

「そ、それじゃ火花は・・・もう・・・」

先生が頭を私たちに向かって下げ始める。その行動がどんな意味を含んでいるのか、私たちには言葉がなくとも伝わった。どんなことをしても運命は変えることができないのだと...

「火花さんの容態を確認するために、一週間に一回は通院してください。それに、運動や心臓に負荷がかかるようなことはしないようにお願いします。まだ、諦めるには早いですからね。一年とは言いましたが、もしかしたら半年後にドナーが火花さんの元に来るかもしれないですから。今は信じて待ちましょう」

「そ、そんな無責任すぎ・・・」

「お母さん、もういいよ」

自然と私の口は動いていた。これ以上、私のことで母が苦しむ姿を見たくはなかった。

「で、でも・・・」

「先生を責めたって仕方がないよ。先生だって、治したくない訳ではないんだよ。きっと、先生も辛いよ。誰も責めてはいけないよ。私は大丈夫だから・・・ね?」

今となってはなぜ、あの時あそこまで冷静に母を宥めることができたのか分からない。

『死』とは無縁の生活をしていたためか、まるで死に対する実感がなかったからあの言葉がすらすらと出てきたのかもしれない。

「わ、分かってはいるのよ。で、でもどうしても信じられないのよ・・・火花があと一年しか生きられないなんて」

辛い現実に目を向けたくないように、意味もなく誰かを責めてしまうのは仕方がないと言えば、仕方がない。ただ、誰かを責めたところで現実が変わることは絶対にない。

これだけはどう頑張っても争うことのできない真実。

「先生、私はまた来週も両親とここに来たらいいんですか?」

「いや、通院は火花さんだけで大丈夫ですよ。検査と言ってもそこまで時間がかかる訳ではないですから。日常生活において、おかしな点が出てきた場合は一週間とは言わずにすぐに来てください」

「はい・・・」

お父さんの大きな手が私の肩にそっと置かれる。いつもは温かみの溢れるその手。しかし、今のお父さんの冷え切っていて微かに震えてすらいる。

今、後ろを振り向いたら私はその顔をこの先、一生忘れることができないだろう。この時は振り返るのが、単純に怖くて振り向けなかったんだ。

だって、今までお父さんが涙をする姿なんて見たことがなかったから。

暗い部屋に啜り泣く音が私の両耳から聞こえてくる。誰が泣いているのかを、確認しなくても分かってしまうのが辛かった。

私のせいで、大好きな両親を泣かせていると考えるだけで胸が締め付けられた。

それなのに、私の目から涙が出ることだけはなかった。

病院に訪れた時と同様に、帰りもどうやって私は家に帰ったのか全く記憶にない。気がつくとそこは私の部屋で、両親はどうやら下で何やら話をしているのが若干聞こえてくる。

そのまま私はベッドに飛び込み深い深い闇の中へ意識を投げ込んだ。

私にはどうでもよかった。あと一年もしないうちに死んでしまう命なんてあったようでないようなもの。

『諦めないで頑張ろう』などと励ましてくる人は、所詮自分がこの人を私の言葉で支えているんだと優越感に浸るだけの偽善者にすぎない。

そんな軽い言葉が出てくるのは、自分が実際に病気なった絶望感を感じていないから。

人は絶望すると、何をするにしても無気力になる。今まで当たり前にしていたことも一瞬にして、『こんなことしたって私は死ぬんだ』と勝手に脳内で自己完結されてしまう。

正直、私だって残りの数少ない人生をダラダラ過ごすのは嫌に決まっている。それなのに体がいうことを聞いてはくれない。

一週間ベッドの上で生活をしていたおかげで、身体中の節々が歩くだけで悲鳴をあげるほど私の体は心身ともに弱り果てていた。

結果、私は丸々一週間高校を欠席してしまった。ついこの間、梅雨が明けたばかりでこれから高校二年生の一番楽しい夏休みが目前まで来ているというのに。

私にとってはそんな夏休みも、ただの地獄のような何もしない日々の始まりにしかならないのに。

カーテンの隙間から覗く外は、カラッと晴れ渡る青空が今日も一段と私の目を照らし続ける。そんな外の世界とは対照的に私の部屋は荒みきった夜に近いほど、真っ暗な陰気臭い部屋。

こんな部屋に一週間も閉じこもっていれば、誰だって心を病んでしまうのは時間の問題だろう。

ついこの間までは何食わぬ顔で、当たり前のように歩いていた外。今では、別世界のようにも感じる。

"コンコン"部屋の扉をノックする音が、静寂な私の部屋に響いてしまう。感じられるのは、私の呼吸音と体を動かしたときに微かに聞こえるモゾモゾとした雑音だけ。

「火花・・・そろそろ学校に行ってみない?」

母の声がたった一枚の薄いドア越しに聞こえてくる。私の部屋の扉には鍵がついていないので、入ろうと思えば入ってくることができるのだが、入ってこないのはきっと母が私に気を遣っているか...

あるいは、私にかける言葉がないのか。

どちらにせよ、私には関係のない話。学校側には私が余命一年ということに関しては一部の先生にしか伝えていない。

家にいても退屈なだけだし、このまま部屋に閉じこもっていたら本当の廃人になりそうだ。重たい足をベッドから引き摺り下ろして、クローゼットの扉を開く。

皺ひとつなく綺麗にぶら下がっている私の制服。一週間前は何も知らない顔でこの制服に身を包まれていた自分。その様子が脳裏にフラッシュバックされるが、遠い過去のことのように感じてしまう。

私はこの制服が大好きだった。この制服の袖に手を通すために高校を選んだというほどに。真っ白なワイシャツに胸元には赤く結ばれた大きなリボン。スカートは青のチェック柄と周りの高校からも羨ましがられる自慢の制服。

夏らしい爽やかな制服。その制服を手に取り、だるさを交えながら着替えていく。時折、ボタンがずれていたりと嫌気が差したが、流石にだらしない格好では行きたくはないので、もう一度付け直す。

着替え終わり、部屋に置いてある等身大の鏡の前に立ち、鏡の中の自分と向き合う。首から下は一週間前となんの変わりもない。

ダラダラ過ごした一週間だったけれど、体型はあまり食べていないこともあってか少し痩せたようにも感じる。

問題は...首より上の表情を作る部分。ここが一週間前とは比べ物にならない。別人とまではいかないが、覇気がなく目に光が宿っていないようにも見える。

目元にはドス黒いクマがくっきりと浮かび上がり、唇もピンクの血色のいい色とはかけ離れた、薄紫色の不健康そうな唇。

このまま学校に行ってしまえば、明らかに友達に心配されることは間違いない。普段使っていた化粧ポーチを取り出し、顔面というキャンパスを彩っていく。

体調が万全なわけではないので、心なしか化粧のノリが良くない。例えるとしたら、水に濡れた紙に絵の具で絵を描いている気分。

「こんなもんでいいかな。多少はマシになったかも」

再び鏡を見ると、今度は本当に別人の私がそこにはいた。偽りの顔の自分の姿が。本当の感情を化粧というベールで包み隠して。

私がここまでするのは、クラスメイトたちは私が倒れたことすら知らない。きっと彼らは私が夏風邪とでも思っているはず。そう伝えるように先生に頼んでおいたから。

私が倒れて病院に運ばれたのは、運がいいことに金曜日の朝だったらしい。朝、目が覚めた私は顔を洗おうと洗面所へ向かおうと部屋を出た瞬間に倒れたらしい。

両親が休みだったこともあり、すぐに救急車を呼び近くの大学病院に搬送されたみたい。私はその記憶がごっそりと抜け落ちているのだが。

目が覚めて意識がはっきりしたと思ったら、今度は突然の余命宣告。ついていけない...こんなにも自分の運命を恨んだことはない。

私はこの先、まだまだしたいことで溢れていたんだ。希望に満ち溢れた明日を追い求めて。

高校卒業、大学での新たな出会い、成人式、両親とお酒を飲んだり...いつかは結婚だって。

そんな私の未来が一瞬にして、闇へと葬り去られてしまったのだ。もう何をしたって意味がないと考えてしまうのは、必然的だと思う。

どんなにポジティブな人だって、『一年後にあなたは死にます』なんて言われたら誰だって、人生に諦めをつけてしまうだろう。

私だって、こんなに悲観的な性格ではなかった。どちらかと言うと、学校に行くのが好きな活発的な女の子だった。

それが、今ではただの引きこもりと化してしまった。そこまで、あの時に医者から告げられた言葉は私にとって衝撃で、何もかも無にしてしまうほどの破壊力を伴っていた。

あの言葉は、どんな爆薬よりも私にとっては破壊兵器そのものだった。

余命宣告をされた日、私があんなにも冷静だったのは、きっと他人事のように受け止めていなかったから。どこか、信じることができなかったんだ。

それも一週間経過して徐々に自分は死ぬんだと実感させたれた。毎日飲まないといけない薬の量を目の当たりにして。

私の心臓は、この量の薬を飲まないと維持することができないほど、腐り始めているのか。

毎日毎日、私は引きこもっていたが、どう頑張っても涙だけは一滴も出てこなかった。本当は、泣きたいんだ。でも、泣けない。

私の心臓は腐りかけている。それと同じように、私の心も深い深い暗闇に時間をかけて落ちて行っているのかもしれない。

一週間ぶりに自分の家から足を外の世界へと踏み出す。一週間といえど、外気に触れるのは久々な感じがして、まるで違う世界かのようにも感じられる。

そんなわけはないのに...

ドアを開けた瞬間に私の目に映り込んでくる輝かしいほどの陽の光。体の隅々の細胞までもが歓喜を上げている気がする。

赤、オレンジ、黄色。どの色にも当てはまることのない光たちが、私の全身を包み込む。

その眩しさに1度後退りして右足を玄関へと戻してしまう。

怖い...知らない場所にただ1人で立っている感覚。見慣れた景色が私の前に広がっているのに。

「・・・だめだ」

背中に優しく温かな感触が伝わってくる。私を前に押し出すような優しい、守ってくれる...いや、私をずっと守り続けてくれたこの手を忘れるはずがない。

「お母さん・・・」

お母さんの手が背中越しでも、少しだけ震えているのが分かる。

"そっか、不安なのは私だけじゃないんだ"

今更ながらに気付く私自身に嫌気が差す。私だけが、不幸なんだと思っていた。それは大きな間違いだったんだ。

両親にとって私は、一人娘。その一人娘が余命宣告を受けたなんてショックどころではない。だって、愛して大事に育ててきた娘が、自分達よりも先に死んでしまうなんて...

私には子どもはいないけれど、昔飼っていた家族同然の犬の『しゃけ』が死んだ時でさえ私たち3人は悲しみ嘆いたんだ。

自分が産んで赤ちゃんの時から、何年も何年も大切に時間をかけて育てた我が子が自分よりも先に旅立つなんて、きっと2人は私の想像よりも遥かに苦しみ、絶望したはず。

それなのにこうして私のためを思って背中を押してくれる母は強いなと感じる。私にはとても真似はできないから。

「火花。"いってらっしゃい!”」

たった一言なのに、励まされるその一言。まだ完全に吹っ切ることはできないけれど、少しだけ心にかかった靄が薄れていく。

「ねぇ、お母さん。いつもありがとうね」

返ってこない返事。なんでなのかは私には分かっていた。振り返ろうとしたところを母の手が静止してくる。

「・・・ほら、お弁当。さっさと行っておいで!」

お母さんから弁当箱を受け取り、我が家の安全な敷地から無法地帯へと足を一歩踏み出す。

「行ってきます」

私の視界からは色が消えてしまっていたのかと思っていたが、意外と外に出てみるとそうではないみたいだ。

色が失われていたように見えていたのは、カーテンを閉め切って外との関係を完全にシャットアウトしていたから。実際は一週間前と何も変わらない景色ばかり。

いつもの通学路。並んで歩いている小学生の集団。青く澄み渡る空を自由自在に飛び回る鳥たち。何も変わらない日常。

変わってしまったのは、景色ではなく私の心のようだ。

私の高校までは徒歩10分と友達たちに比べると近場なので、普段から歩いて登校していた。たまに自転車に乗りたい気分の時は、自転車に乗ったりとその日の気分で登校している。

心臓に負担がかかるからといって、車での送迎にしなくてはならないというわけでは今のところないみたいなので、今日はこうして普段の道を自分の足で歩く。

いつか自分の足で歩けなくなってしまう日がくるかもしれないが、それはそれで仕方がない。

これは"神様が決めた運命"なのだから。

本当に神様なんて...とよくないことを思ってしまう。"罰当たりなやつだ"と。

でも、実際に聖書の中で神様が人間を殺した数は『200万人』、悪魔が人間を殺した数は『10人』とされている。

この話を鵜呑みにするかと言われたら、少し悩んでしまうが、やはり"神様は残酷なんだ"とは思ってしまう。

だって、私はこれまでの人生で、大それたことをしでかした覚えは一切ない。小さい悪さは小さい頃にしてしまったかもしれないが、それは誰だって同じはず。

それなのにどうして私だけ、あと一年で死ななければならないんだ。

"おかしい、きっと神様の嫌がらせだ"そう考えるしか、この腐りかけている心臓の鬱憤を晴らす場所が私には存在しなかった。

夏の日差しを吸い込むかのように黒光しているアスファルト。

その上を人や動物、そして車が流れてゆく。決してぐらつくことのないしっかりした地面。

夏のアスファルトは黒いこともあって日差しを吸収するので、おかしいくらいに熱を帯びている。前に裸足で歩いた時は、暑すぎて火傷をするかと思ったくらいだ。

歩いているといつしか高校の近くになってきたようで、同じ制服を着た集団に飲み込まれる。

朝から賑やかな顔をしている人もいれば、まだ睡魔と戦っている人、私と同様に静かに1人で登校している人とさまざま。

一見すると、普通の日常にも見えるけれど、きっとみんなも何かしらの悩みを心のうちに秘めているのだろう。

誰にも知られないようにと。私みたく隠し続けているのかも。

人には必ず、悩みがあるのだと私は思う。それに、その悩みが深刻なほど人は、誰にも話さず抱え込むことを私は知っている。

現に今の私がそうだから。私にも友達や信頼できる親友だっている。

でも、話すことができない。哀れみの目で見られるのも嫌なのだが、何よりも親しい人の顔に哀愁が漂うのが嫌なのだ。

みんなにはこれから...私がこの世からいなくなった後も笑い続けていてほしい。

だから私は、死ぬ直前になったら引っ越すなどの適当な理由をつけて、みんなの前から姿を消す気持ちでいる。

これが、正しい判断なのかはわからないが、私はそれが正解だと信じている。これが、誰も悲しまない方法だと。

世界中にも私のような、悲しみに満ちたことを考えている人はいるのだろうか。もしかしたら、もっと過酷な環境すぎてそんなことすら考えていられない人たちもどこかには...

集団の塊の中、悲しみに頭の中を支配された女の子が1人歩いていることを誰も気付きはしない。これが、現実。

風が私の横を通り過ぎて、スカートの裾が微かに揺れる。

「おう!一週間ぶりか?火花!」

風を巻き起こした張本人。自転車にまたがりながら、後ろを振り向き笑顔を振り撒いてくる彼。

「うん。おはよう、日向(ひなた)。今日も元気だね」

「当たり前だろ!それより、火花はなんか元気ないな」

「あー、それがまだ体調が良くなくて・・・」

「大丈夫か?無理はすんなよ!んじゃ、また後で!」

自転車のペダルを力強く漕ぎ、すぐに視界から消えていく彼。彼は、古川日向(ふるかわひなた)。私の異性の親友。それに、もう1人同姓の親友がいるのだが,,,彼女はきっと...

「火花!!!はぁはぁ・・・お、おはよ・・・う。あいつ本当いつか・・・絶対に・・・」

彼女は不和千紗(ふわちさ)。私のもう1人の親友。今日も一緒に登校するはずだった日向に置いていかれたのだろう。日常茶飯事のことなのに、どうして日向も千紗のペースに合わせないのか、私にはわからない。

「千紗・・・朝からすごい形相だよ?」

「もう、毎朝毎朝、あいつ自転車飛ばしすぎなんだよ。おかげで汗だくだし、見てよ!!! この女子とは程遠い足の筋肉!全部あいつのせいだよ」

「それなら一緒に行かなければ・・・あっ」

「火花も知ってるでしょ!あいつ毎日私の部屋に起こしにくるのよ。もういい加減高校生なんだから、女子の部屋に入ってくるなっていってるのに、『はぁ?今更だろ!』とか言ってくるし、もうどうしたらいいのよ」

「そうだったね・・・忘れてた」

千紗は気づいていないのかもしれないけれど、それも仲がいいからできることなんだと私は思う。信頼があるからこそできることでもある。

「もう、あいつ先に行っちゃったし、火花とゆっくり行く!!」

そういうと彼女は自転車から降りて、私の横を自転車を押しながら並ぶ形になる。少し申し訳ない気もするが、彼女が望んだのだから仕方がない。

「あ、火花!体調は大丈夫なの?風邪?熱?それとも病気?もう大丈夫だからきたんだよね?」

彼女は心配し出すと止まらないのが、少しネックなところでもあるがそれだけ心配されていると考えると嬉しくもある。

それに、『病気』という単語に少しだけ体が反応してしまった。まだまだ隠す意識が足りない。

このままではいずれボロが出るかもしれないので、気を引き締めなければ...

「少し熱が出て、全然下がらなかったから休みを長くもらったんだ・・・」

大切な親友に嘘をついたことで心が痛む。この先も、この痛みに耐え続けなければいけないと思うと、もう辛い。

「そっか〜、よかった。ただの熱で・・・火花が一週間も休むことなんて小学生の時から一度もなかったからさ、心配したよ。何かあったんじゃないかって」

"そうなんだ。実は余命一年って宣告されたんだだ"と言えたらどれほど、心が楽になるだろう。私の心は間違いなく軽くはなる。

誰かと共にこの苦しさを乗り越えられるのだから。でも、それは同時に誰かをも苦しみの中へと誘い込むことでもある。

そんな苦しみを私は、家族以外には誰も味わってほしくない。大切な人が死にゆくのを待っているだけなんて、私には到底耐えることができない。

考えただけでも背筋がゾッとしてしまう。

「大丈夫だよ。ほら、健康的でしょ!」

顔だけ見れば、私の顔はみんなと変わらぬ色を帯びている。白いわけでもなく至って普通。

この人混みの中にもし、体の臓器を透視できる人がいたら一瞬にして私の体の異変には気付かれてしまうだろうけれど...

それに問題はまだこれだけではない。倒れる前までは普通に体育の授業にも参加していたので、突然見学となったら不自然がられるのは目に見えている。

今はその言い訳を必死に考えている最中。今日は、体育が時間割にはないので少しだけ余裕が生まれた。急いで考えないといけないことに変わりはないが。

「確かにいつもの火花だわ。あ、それよりさ。今日、うちのクラスに転校生来るらしいよ?」

「え、この時期に?もうすぐ夏休みなのに」

「だよね〜。私もそれ思って先生に聞いてみたんだけど、『本人に聞け』ってさ〜」

「ま、このご時世だし。先生も簡単に生徒の情報を話すことはできないんだろうね」

「も、もしかして・・・とんでもないような悪い子だったりして。それか、両親の離婚・・・」

「こら。勝手な憶測で決めつけたりしないの!」

「はーい。火花はそういうところ真面目だよね〜。いいところでもあり、悪いところでもある!」

「なんだと〜!」

両手を握りしめて、彼女のこめかみをグリグリと抉っていく。彼女からは悲鳴にならないような叫び声が、口から漏れ出しているが、謝るまでその手は止めない。

「ご、ごめんって!許してください。こ、降参」

「今回はこのくらいで許してやろう」

「ほんっと、火花は加減も知らないよね。あっ・・・」

その後、彼女がどうなったかは言わなくても分かるだろう。

蝉の声が街中を明るく賑やかに彩る中、誰かの断末魔のような叫びも蝉の鳴き声に負けじと響き渡っていた。

人生の転機とも言える夏休みが、もう目の前まで迫っている。私の人生を大きく変えた高校二年生の夏が始まろうとしていた。

























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