完璧からはほど遠い
 そう分かっていても、私は引き下がるつもりはなかった。それは夢を叶えたいというわけじゃなくて、自分の気持ちに区切りをつけたかったから。

 ここで終われない、終わってたまるもんか。望みが無くても、この気持ちだけは伝えてやるんだ。そうじゃなきゃきっと私は諦めきれない。

 荷物を適当に鞄に突っ込むと、私は足に力を込めて立ち上がる。そして力強く彼に近寄った。やや驚いた顔をしている彼に、私は目をそらすことなくしっかり告げた。

「聞いてほしいことがあります」

 きっと、これが仕事の話なんかではないことを、彼は分かっている。

 ラインでも伝えた話したいこと。それをまだ告げていない。このままフェードアウトなんて嫌だ。

 彼はやや困ったように視線を泳がせた。だがすぐに、悲し気に笑った。

「分かった。俺も、言わなきゃいけないことがあったんだよ」

「……じゃあ、待ってます」

「今日も遅くなるんだけど」

「構わないです。待ってます」

 まだ合鍵は私の手にある。これを使って、家で待つ。そして終われば、この鍵を返して私たちは関わることがなくなる。一通りの流れが脳内に巡り、少し泣きそうになった。でも自分としてはそれが一番いい終わりだと思う。

「じゃあ、なるべく急ぐ」

 小声で短くそういうと、成瀬さんは私に背を向けて行ってしまった。なんとなくそれをぼんやりと見送る。ああ、今夜やっとゆっくり会える。まあ最後になるんだろうけど。

 そんなことを思いつつも、自分を奮い立たせた。絶対に悔いのないようにちゃんと伝えよう。それに、成瀬さんの話も聞こう。急に避けだしたのは、やっぱり高橋さんと関係があるのか。そういえば、成瀬さんの言わなきゃいけないこと、って……?

 そう考えているとき、背後から突き刺すような視線を感じた。ハッとして振り返る。離れた場所に立っていた人を見つけ、ゾッと寒気を感じた。

 無表情でいたのは大和だった。同じ職場といえ、会社内で会うことは少ないのでなんだか新鮮にも感じた。私は一瞬迷ってしまった、このまま立ち去ろうか、色々責めてやろうか。

 その少しの時間で、大和がこちらに寄ってきた。何を言ってくるかとつい身構える。やつは何事もなかったように私に話しかけた。

「昨日どこにいたの」

「……いう義理がある?」

「家に帰ってこなかったから心配した」

「待ち伏せ? 本当やめてくれる? 警察にいうよ」

 低い声で告げたが、相手には何も効いてないようだった。急に口角を上げ、一人笑いだす。突然の笑い声に、私は怪訝な顔であちらを見た。

「てかさ、お前……好きなやつって、まさかのあの人?」

「え!」

「俺でも知ってるじゃん、志乃ってそんな無謀な奴だっけ? 相手にされるわけねーじゃん、振られるに決まってるだろ。今日告白するつもりなの?」

 さっきの話を聞いていたらしい。どこからどこまでだろう、焦りで冷や汗を流しながら会話を思い出してみる。うん大丈夫、変なことは言っていない。待ちますとは言ったけど、家でとは言ってないし、私と成瀬さんの関係なんて気づかれないはず。

 私はとぼけて言う。

「何か勘違いしてるみたいだけど、さっきのはそういうことじゃなくて」

「ごまかすなって。へーそうだったんだ。ま、いいよ。俺は懐が深いからね、ちゃんと待ってあげる。お前が振られて泣きながら俺のとこに戻ってきたら受け入れてあげるから」

「そうだとしてもあんたのとこなんて行かないって!」

「考えても見ろ、あっちは引く手あまただろ。遊ばれて終わりだよ。ま、夢見るのは自由だけどな」

「脳内お花畑なのも大概にして。それより家に来たり変な噂流したりしないでよ! 私は本気で警察に言うよ!」

「言えばいいじゃん、たった二回訪問してきただけですーって。自意識過剰って思われるだけだと思うけど」

 私は強く睨みつけるしか出来なかった。そんな私を、やけに優しい目で見る。

「志乃。大丈夫、絶対すぐに分かるから。志乃に一番合ってるのは俺だって。きっとあの人に抱いてるのもただの憧れだよ。今ならまだ怒らないから、あいつに振られた後でもいいから帰っておいで」

 何を言っても無駄だと思った。完全にこいつは正常な思考回路を失ってしまっている。

 私はゾッとし、もう無視して大和から足早に離れた。追ってこないのは幸いだったが、やっぱり当分家には帰れないなと改めて思った。

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