その涙が、やさしい雨に変わるまで
「三琴!」
 残された瑞樹は、不意を突かれて反応が遅れた。遅れはしても、次のアクションに迷いはない。
「三琴、待て!」
 逃げていく三琴を、瑞樹は追いかけた。

 夕方の副社長室前室での喧嘩別れでは、追いかけられることなく三琴は退社できた。
 でも、今回は分が悪い。ここは黒澤一族の馴染みのラグジュアリーホテルの庭園だ。数回しかきことのない三琴には、紫陽花の庭に不案内で……
 紫陽花の横を通れば、きれいに避けることができず、葉に載った雨粒を浴びる。足元には水たまりができていて、それが逃亡の足を邪魔をする。

 しっかり覚えていたつもりだったのに、テラスエリアへの階段がなかなかみえてこない。
 確かここだったはずと特徴のある庭石で曲がれば、ピタリと三琴の足が止まった。
 そこに瑞樹がいた。地の利を活かして、先回りした瑞樹がいたのだった。
 傘のない三琴と同じように、瑞樹も雨に濡れていた。菱刈の封筒を固く丸めて握り、立っている。彼は傘を捨て、三琴を追ってきたのだった。

「三琴、どうして逃げる?」
(そんなの、辛いからに決まっているでしょ!)
 問われても、それは永久に口にできない。先のキスの余韻が色濃く残っていれば、一番答えたくない理由でもある。

「三琴、いくのか? 兄のところへいくのか?」
(え!)
 ここで脩也のことが出てきて、三琴は虚を突かれる。先の菱刈の名をきいたときの瑞樹と同じように。

「僕を置いて、いくのか? 三琴も脩也兄さんと同じように、僕を置いていくのか?」
(え?)
 二度、脩也のことが出て、あっと三琴は思う。
 このふたりは兄弟だ。シカゴの脩也の新プロジェクトのことを、瑞樹が知っていてもおかしくない。きっとそこで三琴の転職話が出たのだろう。

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