元伯爵令嬢は乙女ゲームに参戦しました
 三年半前のあの日、王太子殿下の命を受け、初めてこの地下室へ足を運んだあの時、第二王子殿下は椅子に座ったまま、とても静かにお話しになられたのです。
 私はペンを持ち、殿下の会話を一言一句違わず書き留めようと、耳を澄ませました。

「私は狂っています。兄上」
「嘘を吐くな!お前は狂ってなどいない。そんなこと皆わかっているのだ」
「いいえ、狂っているのです。そうでなければあんな、虫も殺せぬような令嬢(・・・・・・・・・・)に、カギリダスを振りかけるなどということは出来ません」

 酷く息巻く王太子殿下に向かい、淡々と語る第二王子殿下の方が、まるで大人に見えたものです。

「ドレーン公爵家令嬢ならば大丈夫だ。……少しばかり、顔に痕は残るかもしれないが、命に別状はない。だから、」
「それで未来の王妃になることも出来ず、ただただ若い身空で余生を過ごすのでしょうね。修道院にでも行くことになるのかな?さぞかし酷いことをしたものです、私は」

 しでかした事の大きさを、露とも悪いとも思っていないような口ぶりで話す第二王子殿下に、初めて得体のしれなさを感じた一瞬でした。
 第二王子殿下が起こされた出来事。それは一週間前の王家主催の舞踏会にて、王太子殿下の婚約者候補のお一人であった公爵家令嬢へ、触れただけで皮膚が爛れるという劇薬を振りかけるという暴挙だったのです。
 世間の口さがない噂では、第二王子殿下の横恋慕だの、公爵家令嬢が誑し込んだだの、好き放題の言われていたようですが、このご様子では全くの見当違い、それどころかもっと根深い理由がおありのようにお見受けします。

「お前……やはり、証拠を得たのだな」
「何のことですか?兄上」
「オルテガモ伯爵家の令嬢のことだ、アンネロー……」
「その名を呼ぶな!」

 私が咎められたという訳でもないのに、その勢いに圧倒されてしまいました。
 アンネローザ・オルテガモ伯爵令嬢。大変美しい令嬢だと、噂を耳にしたことがありました。確か半年ほど前に急な病気で亡くなったのだと伺っていましたが、まさか……ドレーン公爵家令嬢に関係が?そんな考えが頭を横切りましたが、黙って書き留めることに集中します。

「アンネローザの名を呼んでいいのは私だけだ。兄上とて許しません」

 彼の方の名前を呼ぶ瞬間のみが、どこかいたわりといとおしみの混ざり合った、不思議なほど幸せそうな表情をされるのです。先ほどの激情も、冷ややかさも、どこにも見当たりません。
 ふっと一息つかれた後、またあの静かな表情に戻り、王太子殿下に向かわれたのです。

「衆目に晒された中での乱行です。今更何を言ったところで元に戻るわけではありません。私は、狂ってしまったのです。あの日、あの時より、ずっと狂ったままなのです」

 そう遠い目をされる第二王子殿下は、そのまま地下室へ幽閉という形をとられ、王太子殿下と私は地上へと石段を上りました。そうして王太子殿下より、書記官として毎日第二王子殿下の様子を書き記すようにと命を受けたのです。
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