元伯爵令嬢は乙女ゲームに参戦しました
「なんで満がこんなところにいるのさ」

 開口一番、喧嘩を売られるような口調で、下弦さんが望月さんへと、そう言葉を掛けられました。

「何故? 別にいいだろう。ここは我らが御用達の内の一つだ。それとも何か? 朧は自分の従兄弟の商売を邪魔しに来たのか?」
「はあっ?そんなこと言ってないだろう」

 侃々諤々と言い合う二人をよそに、雫さんが少しだけ困ったような顔で私にそっと話しかけてきました。

「ちょっと、どうしよう。まさか本当に朧くんが来るとは思ってなかったんだけど……」
「本当にって、少しは期待していたのですか? 下弦さんが来られることを?」

 目元をほんのりと赤くして、もじもじと私の肩に指でのの字を書きながら呟く雫さんです。

「いやね、従兄弟のお店だしー、もしかしたらって。あ、だから連れて来たってわけじゃないわよ」

 ああ、だから連れて来たのですね。
 でもわかりますよ、恋する乙女同士ですから。好きな方のことを思えば思ってしまうほど、周りが見えにくくなるものです。
 私だってもしかしたら蝶湖様のお話を聞けるかもと言う甘言に釣られてここへ付いて来たわけですし、人のことはとやかく言えません。

 ただ、あのお二人の様子をみる限りでは……どうやら男の方も似たようなものなのかとも思えてきました。

「いちいち煩いな。そもそもお前だって直接呼ばれた訳じゃないだろう」
「そ、それはそうだけど……」

 息をぐっと飲み込みながら、下弦さんが雫さんへと視線を走らせます。

「それに、有朋は俺のベルガモットを可愛いと言っていたぞ。なんだったら本物を見せてやろうかと思ってな」

 ドヤッとした表情で望月さんが自慢しましたが、そんなこと言いましたっけ?
 けれどもその言葉を聞いて、下弦さんの顔色が真っ青に変わりました。
 はー、やはり望月さんにとってベルガモット嬢は、周りの方たちから見ても大変特別な存在なのですね。

 ただ、雫さんには全く通用していませんが……

「は? 何? そんなこと言ってないわよ。てか、別に見たくないし」

 呆れ顔の雫さんの言葉に、今度は望月さんの方が驚きの表情となりました。

「ああ? 言っただろうが、ブサかわだと。可愛いって意味だろ?」
「どっちかっていえば、ブサイクの方よ!」

 ベルガモット嬢もそこまでブサイクではなかったように思われますが、売り言葉に買い言葉といったところでしょうかね。雫さんがきっぱりと突っぱねると、目をぱちくりとさせ二の句が継げない様子の望月さんです。
 そんな唖然とする彼の隣から、雫さんがさっと立ち上がります。そうして下弦さんの正面に立ちました。

「有朋さん……」

 ホッとして、雫さんの名前を呼ばれた下弦さんでしたが、次の瞬間振り下ろされた彼女の手のひらで思いっきりその頬を真っ赤に染められました。

「痛っつ……」
「何が、痛いよ! こっちの方が痛いわよっ! それに、遅いのよ来るのが」

 流石の雫さんですね。ほとんど言いがかりですが、言われているご本人がうなだれて、彼女の言葉を聞いていますので、まあいいのでしょう。私は何も言える立場ではありません。

「ごめん」
「ごめん、じゃないわ! 何よ、あれから全然連絡寄こさないし、あの時だって追っかけてもくれなかったし」
「いや、だって、来るなって。それにすごく怒ってたから少し間を開けたほうがいいかなと思って」
「怒ってたわよ。今だってまだ怒ってる……でも」
「でも?」

 言葉自体はきついのですが、はにかみながら話す雫さんの態度に、下弦さんの顔色が段々と喜色を帯びてきました。

「朧くんに会えないほうが、ずっと、ずっと、嫌なんだもん! もうっ、バカ、バカッ! わかんなさいよ!」
「……有朋さんっ!」

 ようやく絞りだされた雫さんの素直な気持ちに、下弦さんが感激して思いっきり抱きつきました。
 ぎゃっ! と、あまり色っぽくない悲鳴を上げられましたが、そこは恋愛初心者なので大目に見ていただきたいですよね。

「僕も嫌だった。満とダンスを踊ったことも、その上一番上手に踊れたって聞かされたことも、悔しくて仕方がなかった」

 ハッとした顔の雫さんが、少しだけ自由の利く肘から下を動かして、下弦さんの腰をぽんぽんと軽く叩かれます。そうして抱きついている腕の力を少し弛め、顔を合わせてきた下弦さんへ向かい、ご自分の正直な気持ちを打ち明けられたのです。

「でも、私が一番楽しく踊れたのは、朧くんよ。他の誰でもないわ。朧くんじゃなきゃダメなの」

 その言葉を聞いた下弦さんは、もう一度力いっぱい雫さんを抱きしめ直しましたが、今回は雫さんの悲鳴も聞こえませんでした。そして、とてもとても幸せそうな表情をされている、雫さんの可愛らしい姿が見て取れました。

「しかし、朧と雫ちゃんのラブシーンを見せつけられるとは思わなかった」
「まあ……収まるところに収まったのではありませんか。朧は最初からお二人の味方でしたし」

 そうですね、確かに下弦さんは何故か私たちに好意的でした。それでも始めの頃は決して恋愛感情などではなかったのですから、なんだかんだと自力で幸せを勝ち取った雫さんは素晴らしいと思います。

 にこにこと笑顔で語り合いながら二人の世界に浸る雫さんと下弦さんを見ていると、なんだかとても羨ましく感じます。
 ああ、あれが蝶湖様と私だとしたら……そう考えてしまうと、急激に顔に熱が上がりました。
 すると赤く染まった私の顔をみて、三日月さんが面白そうな声で尋ねてくるのです。

「うららちゃん、何考えてんの? もしかして……」

 うわーうわー、どうしましょう。私の気持ちを気づかれたくはないのですが、蝶湖様のことをお聞きしたいという望みも捨てがたいのです。とにかく何か言わなければと、口を開けようとした瞬間、ガタンと何かが大きな音を立てました。

「帰る」

 すでに皆さんから忘れ去られ、置物と化していた望月さんが、ようやく自我を取り戻したように立ち上がり、そう言われました。

「おい、満。ちょっと待ってやれ」
「嫌だ。帰る」

 その一言を告げると、すたすたとドアに向かってしまいます。やれやれといった様子の三日月さんと十六夜さんが、後を追っていきました。
 あっという間に残された、お二人と私です。
 なんともお邪魔な感じがしましたので、私もその場からはそっと離れることにいたしましょう。

 とにかく、おめでとうございます、雫さん。
 サロンのドアを通りながら、心の中でそっと祝福を送りました。
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