コリアンモンスター

3,松本 亮二

「クソがっ!」

 最後の銀玉が穴に吸い込まれると握っていたハンドルから手を離してパチンコ台をぶっ叩いた、となりの客が侮蔑の視線を送ってきたので睨み返そうとして思い直す。今は制服を着ていない、喧嘩にでもなったら一大事だ。

 仕方なく駅前のパチンコ屋をあとにすると夏の日差しが容赦なく照りつけてきた、亮二はイラつきを隠さずに肩で風を切って歩くが玉のような汗が次々とこめかみを伝う。

 せっかくの非番も金が無ければ何も出来ない、世間はバブルだ土地だと乱痴気騒ぎをしているようだが公務員の亮二にはまったく関係なかった、もっとも金がないのは競艇やパチンコに散布しているせいであってバブルとの因果関係は皆無だ。

 あまりの暑さに我慢できずに駅前の喫茶店に飛び込んだ、冷気が体全体を包み込んで汗が一気に引いていった、給料日まであと五日、あまり無駄な金を使う余裕はないが何も頼まない訳にはいかない。

 腹も減っているが一番安いアイス珈琲だけを頼んだ、よく見るとインベーダーゲームが置いてある、腕前では誰にも負けない自信があったが今は余計な事に金を使う訳にはいかない。

 何か金になるような事はないだろうか、タバコに火をつけて紫煙を吐き出すと先ほどまでの怒りはすっかり消え去っていた。

「ソジュン?」

 今では殆ど使わない、いや、もともと母方の実家に帰った時にしか使わない韓国名を不意に呼ばれて声の方に振り向いた、が、誰もいない。暑さで幻聴が聞こえるようになったかと辟易しているともう一度、先ほどよりもハッキリと呼ばれた。すこし視線を下げると小さな女の子が目を輝かせてコチラを見ていた、すぐに誰だか思い出した。

麗娜(ヨナ)、どうしたんだ」

 先日、交番で保護した姉妹の妹だ、パッチリとした目に丸い顔、綺麗な黒髪は将来が楽しみな美人顔だった、おまけに愛嬌も良い。

「ここ、うちだもん」

 ここが家、そんな事があるのか。

「アボジのお店」

 なるほど、そーいう事か、つまりは経営者。駅前の一等地でこれだけの規模の店をやると言うことはかなりの資産家なのではないか、一瞬でそろばんを弾いた。

「そりゃあ偶然だ、たまたま入った店が麗娜のお店とはな」

 麗娜は亮二の正面に座ると、小さな手のひらをヒラヒラと振っている、どうやら誰かを呼んでいるようだった、すると慌てた様子で女の店員が駆け寄ってきた。

「麗娜、駄目でしょう、お客様の席に勝手に座っては」 

 どうやら母親のようだが随分と若い、二十代か。だとすると少し計算が合わない、年の離れた姉の方がしっくりとくる。

「お友達だもん、ねー」

 小首をかしげた麗娜に合わせて、首を折った。

「そうなんですか?」

 なんて説明するか迷った、先日の事は内緒にする約束だ。

「私、警察官でして、先日、麗娜さんが交番に百円を届けてくれたんですよ、その時にチングになりました」 

 我ながら咄嗟に出たにしては素晴らしい嘘だ、ちなみにチングとは韓国語で友達という意味だが覚えている単語はそんなに多くなかった。 

「えー、そうだったんですか、この子ったらそんな話は一言も……」 
 
「良い行いこそ秘密にする、素晴らしいことです」

 麗娜はうんうんと頷いている、本当に理解しているのか判断する事が出来ない。 

「ソジュンお腹空いてないの、パチェラのオムライス美味しいよ」 

 腹は減っているが金が無いとは言えない、これくらいの子供にとっては警察官はヒーローだ、ヒーローがギャンブル中毒で満足に飯も食えないのでは夢を壊してしまう。

「良かったらなんでも食べていってください、もちろん珈琲のお代も結構ですので」 

 なに、それは助かる、が。

「いえいえ、公務員が民間の方からご馳走になる訳にはいきません、そもそも我々は皆さんが納めた税金で生きているのですから」

 あくまでも外面は良くしておかないと、裏で動きにくくなる。

「そんな大袈裟な、お世話になったお礼にお食事を出すだけですから、是非どうぞお気になさらずに」

 まあ、そこまで進められたら断るのも気が引ける、折角なのでオムライス、ではなくナポリタンを頂くことにした、これで今日の昼飯代が浮いた、日頃の行いは良くしておくものだ。

 しかし、良く見ると信じられないほどいい女だった、中々お目にかかれるレベルじゃない。麗娜が可愛いのもこの遺伝子からと言われれば納得だ。

「お姉さんはコチラでお手伝いをしているのですか」

 興味が湧いたのを悟られないように、あくまでも自然に質問する。

「やだ、そんなお姉さんなんて、子供が二人もいるのに」  

「え、お姉さんじゃなくて、お母様でしたか、失礼しました」

 驚いた、ならば少なくとも三十歳は超えている筈だ、そして麗娜の母親と言うことは在日朝鮮人ということだが、どこの国にも美女と醜女(しこめ)は等しく存在するのだなと感心した。 

「ナポリタンオマタセシタヨー」

 片言の日本語と共に料理を持ってきた東南アジア系の男と視線が交わると、二人してその場で固まった、母親はすでに辞去していたがすぐに次の行動に移した。

「ありがとうございます、美味しそうですね」

 あくまで初対面、会ったことも話したこともない風を装う。

「オ、オイシイヨー、タクサンタベテクダサーイ、ソレジャア」

 こいつも察してくれたようだ、当然だろう、何食わぬ顔で働いている所を見ると経歴は詐称しているに違いない、それとも真実を知った上で雇っているか、どっちかだ。

 その瞬間なにか閃いたような気がした、具体的なプランはこれから練るとして、あの男を利用すればこの金欠状態から抜け出せる、あわよくばあの女も――。 

「どう、美味しいでしょー」 

 目の前に座る麗娜に声をかけられて現実に引き戻された、どうやら妄想にふけながらパスタをかき込んでいたらしい、味などわからないが大して美味いとも思わなかった。 

「ああ、すごく美味しいよ」 

 食べ終わると食後の珈琲まで出てきた、今日は朝からパチンコで負けたがこの喫茶店に入ったのは人生でベスト三に入るファインプレーだったかも知れない。

 これからの計画をじっくり練る必要がある、麗娜と母親に深々と頭を下げ礼を言うと、燦々と照りつける太陽の下を歩いて帰路についた、今度は滴る汗もまったく気にならなかった。
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