第三王子の婚約者~内戦状態の母国から生き延びるため隣国へ送られた王女はそこで出会った王子と恋をする~

第5話

ドアの外から、物音が聞こえた。


「なに? なんなの?」


 私はフォークの柄にしがみつく。


扉が激しくガタガタと揺らされている。


誰かが入ってくる? 


もし何かされそうになったら、干し草用のフォークを振り回して……。


「アデル!」


「ノア!」


 伸ばされた腕にしがみつく。


彼にしっかりと抱き留められた。


背に回された腕が、壊れそうなほど私を抱きしめる。


「アデル……アデル……」


 耳元でささやく声が、私以上に震えている。


「大丈夫? 怪我は?」


「ないわ。ノア、ノア!」


「どうした?」


「ノア、エミリーが、エミリーが!」


「エミリーは大丈夫だ。先に助けた」


 ノアに連れられ、納屋の外に出る。


そこに彼女は立っていた。


「エミリー!」


「アデル」


 私たちは、しっかりと抱き合う。


「エミリー、無事だったのね」


「ごめんなさい。ごめんなさい、アデル。私のせいで……」


 その前で、私を閉じ込めたトレスとデュレー公爵がひざまずいた。


「こ、このたびは大変な間違いを……。どうか、お許しください」


「デュレー公爵」


 ノアは怒りに震える声を、懸命に抑えながら言った。


「今夜は早々にお引き取りいただきたい。じゃないと僕は、今ここで何を口走ってしまうか分からない」


「……。かしこまりました。今宵はこのまま、失礼いたします」


 執事と並んで、公爵の姿が館の陰に消えた。


「アデル」


 ノアはもう一度、私を抱きしめる。


「本当に大丈夫なのか? 何もされてない? 怖いことはなにも?」


「えぇ、大丈夫よ、ノア。ありがとう」


 流れる涙を、ノアの手が拭った。


「驚いただろ。部屋へ戻って、少し休もう」


 侍女たちに付き添われ、服を着替える。


お湯を使い、体を洗い流した。


食事に呼ばれたものの、何も食べられる気がしない。


丁寧に断りを入れ、客室のドアを閉めた。


真っ暗なままの部屋で一人になり、恐怖が蘇る。


デュレー公爵の執事に握られた腕を、ぎゅっと掴んだ。


目を閉じる。


 怖かったのは、掴まれたことでも、引きずられたことでもない。


自分がこんなにも無力なんだと、思い知らされたこと。


声を上げても、誰にも届かないんだということが、何よりも恐ろしかった。


あの時も同じ。


決して助けが来ないこと。


誰も私を、気にかけてくれる人がいないこと……。


「アデル? 入っていい?」


 ノックと共に、ノアの声が聞こえた。


私はその扉を見つめる。


その向こうにいる人は、あの時と同じ人だ。


「うん。いいよ……」


 ゆっくりと扉は開き、それはすぐに閉じられる。


「そっちへ行っても?」


 私はベッドに腰掛けていて、横になろうとしていたところだった。


月明かりが窓から漏れるその部屋は、とても静かだった。


「うん。いいよ」


 ノアは座り直した私から、少し離れた位置に腰を下ろす。


「なんか、久しぶりだね。アデルとちゃんと話すの」


「そうかな。昨日だって……」


 言いかけて、口をつぐむ。


村祭りのことは、今は話したくない。


今が夜で、暗くてよかった。


顔が赤くなってるのが、バレずにすむから。


「昨日は、まともに話せなかったじゃないか。その前は、なんか知らないけど、全然しゃべってくれなかったし」


 ノアの横顔をチラリと見る。


私はベッドにごろりと横になった。


夜の闇に冷たいシーツが広がる。


ノアもすぐ隣に寝転がった。


「ね、覚えてる? 前にもこんなこと、あったよね」


 ノアの手は、私の指先にそっと触れた。
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