第三王子の婚約者~内戦状態の母国から生き延びるため隣国へ送られた王女はそこで出会った王子と恋をする~

第2話

「あなたは……。もう覚えていないでしょうが、フローディ新国王がまだ王弟であられたころ、お住まいのあったカラの町で、私とは何度もお会いしていたのですよ」


「カラの町で?」


「私はそこで、あなたのお父さまが開かれていた、スクールへ通っておりました」


 覚えている。


荒れ果てていく一方の国を憂いた父が、新しく優秀な人材を育てようと始めた学校だ。


「身分分け隔てなく接するお父さまの方針で、あなたは井戸の水くみまでさせられておりました。私はそれを、時折手伝っていた上級生です」


「お、覚えております! それは……決して、私には、忘れることなど……、ありえません……」


 王弟の一人娘という立場であっても特別扱いはされず、教師たちから誰の手も貸りてはならないと言われ、おかげで周囲から孤立しがちだった。


どれだけ私が間違えても、転んで怪我をしても、何一つ助けてはもらえなかった。


一人で水くみをしていた時に、どこからか現れ無言で手伝い、すぐに消えてゆく黒髪の少年を、時折遠くで見かけては思いを寄せていた。


「あの頃は陰から手を貸すことしか出来ず、歯がゆい思いをしたものです。今こうしてあなたをお迎えに上がれることに、私は至上の喜びを感じております」


 黒く落ち着いた深い目で見つめられる。


その黒さに吸い込まれてしまいそう。


父は今度は、この人に従えと命じているのだろうか。


私をこの国に送り、ノアに従えと言ったように。


厳しかった父に、認められるなら認められたい。


母にももう一度会って、抱きしめてもらえるのなら、抱きしめてもらいたい。


だけど……。


「オランドどの。確かに書状は受け取りました」


 ステファーヌさまは、それをフィルマンさまに手渡す。


「まずは長旅の疲れを癒やされよ。どこかに客間を用意させましょう」


「アデルさまは、いまはどちらに?」


 一瞬言葉に詰まる。


この質問には、どんな意図が含まれているのだろう。


私がここで置かれている立場を推し量るもの? 


後で訪ねて来る予定がある? 


それを根拠に、私を可哀想だと哀れみ、ステファーヌさまたちを非難する?


「えぇと、今は……」


 私は、どう答えるのが正解? 


ステファーヌさまと目が合った。


だけど答えは教えてはもらえない。


私はそのままを正直に答えた。


「今は、この王宮の敷地にある、別の館で暮らしております」


「では、私もそちらへ参りましょう。これからの話しがしたい」


「オランドどの」


 フィルマンさまは、目を通し終えた書簡を脇へ置いた。


「今宵はお疲れでしょう。この城内に部屋を用意させます」


 オランドはその言葉を無視し、私を振り返る。


「セリーヌどのはお元気ですか?」


「え? えぇ。セリーヌともお知り合いなのですか?」


「私の伯母にあたる方です。ずっと安否を憂いておりました。ぜひお目にかかりたい」


 そう言われては、断る理由も見当たらない。


馬車で館へ移動した私たちを、その彼女は待ち構えていた。


「オランド!」


「セリーヌ伯母さん!」


 二人は顔を合わせるなり、固く抱き合う。


セリーヌの目に涙が流れた。


「まぁ、こんなに大きくなって。元気にしていたのね」


「もちろんです。伯母さんも変わらないみたいだ」


「こんなに嬉しいことはないわ」


 再会を喜ぶ二人に、私はその日の夕食を一緒にとるよう勧めた。


セリーヌとオランドの三人でテーブルを囲む。


「国の様子はどうですか」


「もうすっかり落ち着きました。これから復興に全力を尽くします。ますます忙しくなりますが、やりがいは全然違いますよ」


 今夜のメニューは、オランドが好きだというシェル王国の伝統的な家庭料理が並ぶ。


と、オランドは食事の手を止めた。


「実は……。これは、あまり表には出せないお話しなのですが……」


 彼の黒い目は、じっと私をのぞき込んだ。


「長年の心労のせいか、王妃さまのご容体があまりよくありません。どこが悪いというわけではないのですが、塞ぎがちで、ベッドから立ち上がれないことも多いのです」


「お母さまが?」


「時折襲ってくる発熱と頭痛と……。原因不明の倦怠感が続いております。外では気丈に振る舞っておいでですが、すっかり痩せてしまって……」


 震える手で口元を押さえる。


手にしていたフォークがテーブルから落下し、床に跳ねた。


毎晩薄暗い部屋の隅で泣きながらも、昼間は笑顔を絶やすことのなかった母の姿を思い出す。


「先は、長くないとおっしゃるのですか?」


「いいえ。医師からは、気持ちの問題ではないかと言われております。ですが、急ぎ私が参ったのには、そんな理由もあるのです」


 オランドは、静かに私を見下ろした。


「数日後には、使節団が到着します。彼らが国に戻る時に、アデルさまも一緒に帰れるようにしたいと思っているのですが、あまりに性急過ぎるでしょうか」


「そ、そうですね。冬を過ぎて、春になってからでも……」


「まぁ、冬が来る前に動いてしまわないと、それこそ大変になります」


「私も、それが無難かと」


「そうですよ、アデルさま。善は急げです」


 冬には、ノアの誕生日があるのに……。


次の誕生日は一緒に過ごすと言った、彼との約束を、私はもう守れないの? 


だけどそんな我が儘も、もう言えない。
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