そして消えゆく君の声
「……おぼえてないかな。小さいころ、僕の絵をかいたこと。父の日で、とうさんの絵をかきなさいって、言われたのに」


 真っ黒な目は、俺を通り越してどこか遠い場所、遠い人を見ていた。


「だめだよ、って……言ったけど。きっと……うれしかったんだと思う。絵のぼくはすごくわらってて、きみは……わらってる顔が、好き……って……」


 肩が震え、脈動とともに血が噴出す。

 虚血のせいか彼の顔は蒼白で、唇は色を失い、なのに目だけは何とも言えない輝きを宿していた。


 俺には見えない、彼にしか触れられない思い出が、最後の光を与えているかのように。


 前のめりに身を倒して、彼は床に指を這わせた。

 何かを探して、前へ、前へと。


「…………しゅ……じ……」


 けれど、伸ばされた手は何にも触れられぬまま動きを止めた。

 きっと何年も探し続けて、それでも届かなかった手。



 あれほど強かった憎しみは消え、心には深い穴に似た空虚と寂しさが影を落としている。


 後悔しているのかと自らに問いかけて、俺はそっと首を振った。


 最初に決めた。俺は絶対に後悔しないと。

 俺のしていることは間違っているのかもしれない。大事な人を傷つけるかもしれない。


 でもこれが、こうやって「これから」をつなぐことが、俺にとっての精一杯だった。


「おい、さっきの音――」


 たずねながら扉を開いた男が、部屋の惨状に硬直する。

 目を見開き、扉に手をそえたまま言葉を失った横顔に、俺はひどく落ち着いた声で答えた。


「――俺がやった、全部」

「…………」

「あんたも、損な役回りが多いね」


 膝をつき、こときれた顔を間近で見据える。


 まぶたを閉じた白い顔は眠っているみたいに穏やかで、最後の最後まで責められなかったのが、ほんの少しつらかった。
 
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