捨てられ令嬢は溺愛ルートを開拓中〜ひとつ屋根の下で始まる歳上魔法使い様との甘いロマンス〜

 それは、ブティックを出て街の中をのんびり散策していたときだった。

 クララが小石につまずいた。慣れないヒールを履いていたせいだ。
 かくん、と傾いた体は、バランスを取り戻せぬまま前のめりになる。
「わっ……」
 転ぶ、と咄嗟に目を瞑ったとき、なにかに支えられた。お腹に大きな手が回っている。ロードだ。その手は思いの外大きく、がっしりとしていた。
 
「大丈夫?」
 すぐ近くで吐息混じりの低い声が聞こえ、どきりとする。
「あ……す、すみません」
 パッと離れながら顔を赤くして俯くクララに、ロードはふっと笑った。
「少し休もうか。そこのベンチに座ってて。なにか飲み物買ってくるよ」
「あ、でも――」
 クララが断る間もなく、ロードは行ってしまった。

 仕方なく、ロードに言われたとおりにベンチに座る。周囲を見ると、複数のカップルの姿があった。学生同士らしき初々しい様子のカップルや老夫婦まで、各々仲睦まじく休日の昼下がりを楽しんでいる。

 クララとロードの姿は、周りにどう見えていたのだろう。それから、クロウと買い物に来たときの自分たちも。
 
 待っていると、不意に顔に影が落ちた。ロードが戻ってきたのだろう、と、クララは顔を上げる前に口を開いた。
「あ、ロード先生……すみません、私――」
「クララ」

 ロードとは、違う声だった。低く柔らかな、しっとりとした夜露のような声。
 言葉を止め、顔を上げる。
 クララの前に立っていたのはロードではなく、クロウだった。
 目が合った瞬間、クロウは驚いたように固まった。
「っ……なにしてるの」
 クロウは少し機嫌が悪そうな顔で、クララを見下ろしてそう尋ねた。
「なにって……えっと、デート?」
 首をひねりながら、クララが言う。
「というか、朝ちゃんと言ったけど」
 言い終わらぬうちに、腕を掴まれる。
「帰ろう」

 掴まれた手の力がいつもより強くて、クララは少し驚いた。
「ちょ……なんでそんな怒ってるの?」
「べつに、怒ってない」
「痛いよ、離して」
「あ……悪い」
 クロウが手の力をゆるめる。が、離そうとはしない。 
「――あれ、クロウ先生じゃないですか」 
 そこへ、両手に飲み物を持ったロードが戻ってきた。
 不思議な沈黙が落ちる。

 先に沈黙を破ったのは、クロウだった。
「ロード、どういうこと? クララを勝手に連れ出すなんて」
「……え、いや、なんの話です?」
 ロードは、困惑気味にクララとクロウを交互に見た。慌ててクララが間に入る。
「……ちょっと待って、クロウ。わたしが頼んだんだよ」
「え……クララが?」
 クロウが驚いた顔でクララを見る。

「そう。その……相談に乗ってもらいたくて」
「……どうしてロードに? 相談なら、僕がいるだろ」
「……だって」
 クロウへの想いを、本人に相談できるわけもない。しかし、なんと説明したら良いか分からず、クララはぐっと言葉に詰まった。

 口を噤んだクララに、クロウは一層不満げに眉を寄せた。 
「そのドレスは、どうしたの」
 クロウらしからぬ冷たい声に、クララは言葉を詰まらせながら、途切れ途切れに答える。
「あ……えっと、これは……ロード先生が買ってくれたの」
「あ、そうそう。クロウ先生、どう? お姫ちん、すごく大人っぽくなって、見違えたでしょ?」
 ロードは、場の空気をなんとか盛り上げようとわざと明るい声で無邪気に言った。
「やっぱり元がいいと、ドレスも映えるよね。原石だよ」
 
 クロウはクララをじっと見下ろし、冷ややかに言った。
「似合わない」
 その声ははっきりと、クララの耳を突き抜けた。
「え……」
 ぴしゃりと言い捨てられ、クララは動けなくなった。まるで、全身が石になったようだ。

 だってまさか、クロウがそんなことを言うとは思わなかった。
 そもそも、クララはクロウにそんな怒られるようなことをしただろうか。朝、出かける前にはちゃんと言ったし、朝ごはんだって置いてきた。
 それなのに――。
 じわり、と涙が滲んだ。
 
「子どもにこんなドレス……」
 さらにクロウが口を開くのを、ロードが止めた。
「ちょ、クロウ先生!」
 ハッとしたように、クロウは言葉を呑み込んだ。クララの大きな瞳に盛り上がった涙が、ぽっと落ちた。
「あ――クララ。ごめん、今のは」
「……帰る」
 クララはクロウの言葉を遮るように、すっと立ち上がった。
 ロードを見つめ、
「ロード先生、今日はありがとうございました」
「え……お姫ちん?」
「このお礼はまたあらためて……失礼します」
 クララは涙目のままぺこりと頭を下げると、ひとりで歩き出す。
 周りの音が、急に大きくなったように感じた。
 
「クララ、待って。さっきは、ごめん」
 クロウが追いかけてきた。しかし、クララはクロウを無視して歩き続ける。
 
 言いたいことはたくさんあったけれど、口を開けばまた涙が込み上げてきそうで怖かった。
 一刻も早く部屋に篭もりたいと思ったのは、今日が初めてだった。
 だって、今はクロウの顔はとても見られそうにない。

 早く家について、と思いながら必死に足を前に出す。
 けれど、慣れないヒールのせいで早く歩けない。情けなさが胸を占めるが、足は止めない。
 まったく、クロウの言うとおり、このヒールは自分には全然似合っていないと思った。
 
 ようやく、家に続く月桂樹の森に入ったところで、小石につまずいた。
 よろけたクララを、クロウがそっと抱き留める。クロウの手は、ずっと大きい。クララだってずいぶん大きくなったはずなのに、全然、届かない。届かないから頑張って背伸びしたのに、と考えて、また涙が滲んだ。
 
「……ほら、だから言わんこっちゃない」
 呆れるような声で、クロウが言う。
「……離してよ」
 小さく言うが、クロウは「ここからはでこぼこで危ないから」とクララの手を握って引いた。
 たしかに、街と違って森の道は舗装されていない。慣れないヒールで歩くのは、少し不安だ。
 
 仕方なく、手を引かれるままクララは黙って歩いた。けれど、その手は上手く握り返せなかった。
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