奇妙で不思議な世界 ねがいや

暗殺者ジャック少女を拾う

 一人の少女の目の前で義理の父と実の母が死んだ。血を流すことなく、そのまま倒れ込んだ着飾った死人の目の前には背の高いやせ型の若い男が立っていた。このまま殺されるのではないかとこわばった表情をする少女が部屋の隅でただ男を見上げていた。若干震えているかのように見える。少女の年齢はまだ義務教育であろうくらいの年齢だったが、痩せこけており、背も低い。血なまぐさいにおいを漂わせた少々長めで無造作な銀色の髪をなびかせる男は少女を見下ろす。

「おい、そこのお前」
 少しばかり耳にかかる程度の長さの銀髪の男は少女を鋭い眼光で睨み、わずかな笑みの間には白い歯が光る。二代目ねがいやのジャックだ。姿は大人に戻してもらえた。この取引きは一番ジャックにとってのメリットだった。

「私を殺す気?」
 ジャックは一瞬黙ったが、その後、瞳を大きく見開き牙をむくような表情をした。少女はやけに大きな瞳を閉じる。

「おまえ、俺についてこい」
「どうして? 私も殺せばいいじゃない」
「それはできない。俺は依頼主は殺さない主義なんだよ」

 その台詞を聞いて、少女は気まずそうに目を逸らす。
「依頼主であり、無戸籍の少女A。お前はずっと親に虐げられて人権のない暮らしをしてきたんだろ。お前は運がいい。俺は今、助手を探してる。俺の元で働くのならば、金と飯と住む場所に困らないようにしてやってもかまわない。なんなら戸籍だって用意は可能だ」

 何もかもを持っている殺し屋の言葉に、少女は驚いた顔をする。

「俺は殺し屋ジャックだ。銃を使わない暗殺を専門としている。お前が俺にあの二人と自分自身を殺すように依頼をしてきたんだろ」

 少女は視線を逸らしながらもうなずいた。

「名前は?」
「……ない」
「じゃあ俺が名付けてやろう。そうだな……」

 少しばかり考えた殺し屋ジャックは「これから一緒に考えよう。時間はたっぷりある」と言って手を差し出す。しかし、少女は震えていた。正確に言うと高揚感の余り震えていたのだ。長年虐げられてきた憎き大人からの解放という喜びに全身が震えていた。少女には戸籍がない、人権もない。つまり国からも援助を受けられない、いないはずの人間。そのためずっと母親は少女を隠し続ける生活を続けてきた。母親という名ばかりの人物は産むしか選択できなかった生物を殺さないように、ぎりぎり生きる程度の栄養を与え、自分の好き勝手に遊びに行き、放置を繰り返す。

 部屋は母親のきらびやかな洋服や化粧とは正反対に手入れされずに荒れ果てており、物は散らかり放題。ごみはそのまま捨てずに悪臭が漂うという状態が続いていた。料理をしている形跡はなく、コンビニの弁当の残骸やカップ麺ばかりがゴミ袋に入っていた。カビが生え、生臭い部屋には虫も多数いた。父親はいないようで、女は多数の男と関係を持っていた。

「あなた、ねがいやなの?」
「そうだ」

 ジャックは少女の目線に合わせるようにしゃがみこむと、少女はジャックの頬を引っ張る。
「いてっ。不意打ちかよ」
「あなた、不意打ち食らうなんて、それでも伝説のねがいやなの? お面じゃないか確認したけど、顔は本物みたいね」
「想像よりずっとイケメンだろ?」
 ジャックが自分を指さしながら表情を変えずに自身を褒めると、少女はため息をついた。

「目つきが悪すぎ。たくさんの人を殺しているっていう目をしている。でも、なんで大勢の中の一人である私を殺さないの?」
「今回の仕事の依頼主だろ。依頼主は殺さない主義なんでな。お前、金を持っていないだろ。だから、その分体で稼いでもらおうって思ってな」

 少女が悟った顔をする。
「なるほど。生かしている意味は私が若い女であり、払えるお金がないから体で稼げと言いたいわけね。そういう行為は慣れているから大丈夫」
 少女は嫌な顔ひとつしない。今まで、何度も大人にひどい目にあったであろう痩せこけた体に怖いものはなさそうだった。

 すると、ジャックは冷めた目で見下した顔をする。
「いや、1ミリもお前の女性としての肉体には期待してない。しかし、俺の弟子として暗殺の手伝いをするパシリとしては期待している」

「私を大人の男に売らないってこと?」

「売らねーよ。ガリガリ少女に高値が付くとも思わねーしな。というかおまえ痩せすぎだ。飯食いに行くぞ」

「ねがいやも飯食いに行くんだ?」

「俺は正確に言うと二代目ねがいやだ。ちなみに元暗殺者。暗殺者だって飯くらい食う。風呂も入るし普通の生活してるんだよ。ただ、危険な仕事を請け負うから、単価は高い。その分毎日仕事があるわけじゃない。そして、とても不規則な仕事だった。ねがいやも似たようなもんだ」

 ジャックの黒い皮のジャケットとスキニーの黒いパンツはジャックのスタイルの良さを一層際立たせていた。細い足だが、筋肉はありそうだ。そして、ジャケットの中にはきっと武器が入っているのだろうと少女は思う。黒づくめの男はいかにも暗殺者らしい雰囲気だ。

「二代目のねがいやはジャックっていうんだ。ジャックって本名はなんていうの?」
「秘密」
「どう見ても日本人だし、偽名でしょ」
「そのうちわかるさ」
「あの女と男をどうやって殺したの?」
「俺は、ねがいやの力であいつらの欲望をうまく使って殺したんだ。だから、血も流れることなく、きれいな暗殺ができる。俺の場合は、何も証拠を残すことなく、普通の人間にはできない暗殺方法がある。ねがいやになると、銃も剣も武器は不要なんだよ」

「やっぱり神様はいたのね。ねがいやの噂を聞きつけて、母親のスマホからこっそり暗殺依頼を送ったのが届いたのね」
 少女の表情は変化しないが、心ばかりか嬉しそうな様子だ。

「あんたの生い立ちも調べさせてもらった。俺もガキの頃は似たような環境で育ったからな。大人の性欲の産物として生まれた子供の大変さは知っているつもりだ。ねがいやという暗殺方法を俺は初代から引き継いだ。そして、暗殺者として闇の世界じゃ無敵になった。証拠もなく人を殺すんだからな」

「でも、ねがいやって幸せにすることもあるんでしょ」
「もちろん。それは、俺の匙加減ひとつってところだ。おまえを弟子として雇ってみようと思ったのは、俺が親を殺す様子を見て喜びの余り震えていただろ。あれを見て暗殺者としての素質を感じたんだ」

「地獄からようやく脱出できるって思ったら自然と嬉しさの余り震えたの。今まで、恐怖で理不尽な暴力と大人のわがままに震えてきたから。あなたに殺されてもいいと思っていたのも本当よ」

 少女の髪の毛はぼさぼさで、服はサイズアウトした洗濯をしていないぼろぼろの服。そんな少女のために、殺し屋ジャックは食事と新品の洋服を与えた。

 大人の姿に戻ったフラワーが作ってくれたご飯を食べる。
「遠藤も珍しいことを試みたものね」
「ジャックって遠藤っていうの?」

 本名は話したくなかったらしい顔をし、フラワーを睨むジャック。
「遠藤豆太《えんどうまめた》。親の愛の感じない名前だろ。そんな名前ならば、いっそないほうがいい。お前は幸運だ。自分で好きな名前を自分につけることができるんだ。好きな名前を自分で考えればいいだろ。誰かに与えられた名前なんてクソくらえだ」

 ジャックは窓際の方に行き煙草を吸う。
「意外と気を使っているのね。私は今までたくさんのお父さんを名乗る男がたくさん煙草を吸っていたから煙も匂いも平気よ」
 平然とした顔をする少女。
「お前はまだ若い。俺は暗殺者だが、お前の寿命を縮める手伝いはしたくないんでな」
 ジャックは見かけによらず優しいと少女は思った。
 和食が提供される。しかし、うまく箸が使えない。
 日ごろから教育されていない少女には箸の練習からが課題のようだ。

「まずは、箸の持ち方から教育しないとな」
 ジャックはにこりとほほ笑んだ。

「依頼入ったわよ」
 フラワーは腰に手を当て、少女をまじまじと見つめた。

「これは、依頼主で無戸籍の子どもだ。俺が弟子として引き受けた人材だ」
「へぇー。この子が例の依頼主かぁ。初代もこの子が一押しだって言ってたしね」

 少女が戸惑っていると、フラワーがスプーンとフォークを持ってくる。
 はじめて大人の優しさを目の当たりにしたと少女は思う。

「名前、何がいい?」
 定食をガツガツ食べる少女にジャックは聞く。
「ジャックが名付けてちょうだい」
 ご飯粒を口のまわりにつけながら、少女は依頼する。ジャックは少しばかり思案して、少女に囁く。
「黄金と掛けて、こがねでどうだ? 黄金の輝きを放つようにと思ってな」
「じゃあ、名字は遠藤にする」
「俺と同じになっちまうだろ」
「だって、将来結婚するときに名字を変える必要がないでしょ」

 それを聞いてジャックは飲んでいたコーヒーを吹いた。
「冗談はほどほどにしろ」
 予想だにしない言葉にジャックは少々驚いた様子だ。目つきは相変わらず鋭いが、いつもよりも瞳が大きくなっていた。

「あら、素敵な恋人ができたってとこかしらね」
 フラワーがほほ笑む。

「でも、こがねはまだ小学生だろ」
「違うよ、こう見えて15歳。中学三年だけど、学校に行ったこともないけどね」
「まじか」
 見た目より年齢はだいぶ上だということは無戸籍故調べられなかった。

「自分で名前が選べるなら、遠藤一択で」
 こがねは譲らない。ジャックにとって新しい家族であり仲間ができた夜だった。

 ねがいやは永遠に続く――初代がどうなったのかその後のことは誰もわからない。
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