出会ったのは間違いでした 〜御曹司と始める偽りのエンゲージメント〜
 仲人が鷹柳家を去って数時間後、部屋で休んでいた実乃莉のスマートフォンが着信を知らせながら震え出した。

「龍さん? どうしたんですか?」

 電話を取るなり尋ねる。というのも、龍から電話が掛かってくるのは初めてだったからだ。
 平日は会社に行けば顔を合わせるし、忙しいだろう龍から休日に電話が掛かることはなかった。何かあったのだろうかと心配する実乃莉の耳に入ってきたのは、いつもと変わらない龍の声だった。

『実乃莉、お疲れ』
「お疲れ様……です。何か……ありましたか?」

 恐る恐る実乃莉が切り出すと電話の向こうからフフッと息遣いが聞こえた。

『実乃莉の声が聞きたくなって』

 甘くも聞こえるその声に飛び上がりそうになるのを堪える。

「冗……」
『冗談じゃないよ。本当だ』

 談、と実乃莉が続ける前に龍が先に言葉を被せ、その言葉に頰がカァっと熱くなった。
 会社ではいたって普通で、二人きりになったとしてもこんなことを言われたことはなかった。だからこそ、突然甘くなる龍に慣れないでいた。
 見えないはずの実乃莉の様子が手に取るようにわかるのか、龍はクスクスと笑いながら続ける。

『声だけじゃ足りないな。今から会えないか? 顔が見たい。実乃莉がいいなら夕食でもどうだ?』
「大丈夫、です……」

 実乃莉は辿々しく答えながら引っかかりを覚えた。明るい調子で喋ってはいるが、どこかいつもと違うような気がしたからだ。

(龍さん……結納の席で何かあった?)

 あまり寄り付かないらしい実家で両親と過ごしたのだ。もしかしたら言われたくないことや聞きたくないこともあったのかも知れない。

『もう実家は出るから、一時間くらいで実乃莉の家に着くはずだ。何食べたい? 店、予約しとく』

 話ぶりは変わらない。けれど、やはり違和感を感じていた。

「あの、龍さん……?」
『ん? 何?』
「……いえ。なんでも。昼食が懐石だったので、できれば洋食がいいです」

 電話で尋ねるようなことではない。それに、自分の思い過ごしかも知れない。そう思い実乃莉は言葉を濁した。

『わかった。じゃあ、またあとでな』
「はい。お気をつけて」

 電話は切れ、実乃莉はスマートフォンの画面を眺め息を吐いた。
 誘われたことの嬉しさと、どこか様子のおかしい龍の心配とで複雑な気分になる。

(顔を見てから聞いてみよう)

 16時過ぎの時刻が表示されている画面を落とすと、実乃莉は用意を始めた。
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