甘い罠、秘密にキス

「ありがとうございます」


平然と課長から煎餅を受け取ると、彼は満足気に口角を上げ、踵を返した。

こういう扱いは慣れているから、今更何のダメージも受けない。むしろこれが私にとっての“普通”だから。


「…佐倉さん、マカロンと交換しますか?」


課長の姿が見えなくなったのを確認した川瀬さんが、困惑した表情を浮かべながら小声で尋ねてくる。

それに対し「ううん、大丈夫。昨日少し飲みすぎたから、ちょうど塩っ辛いものが欲しかったし」と返すと、彼女は分かりやすく安堵の息を吐いた。


「ほら、早く他のみんなにも配っておいで」

「あ、はい。行ってきます」


川瀬さんが去っていき、漸くひとりになった私はすぐにスケジュールの確認を始めた。
今日はいつにも増してぎっしりと予定が詰め込まれている。

昨夜香菜にも伝えた通り、私の所属する営業課はリーダーが急遽抜けることになった。その影響でここ数日バタバタしている。

代わりのリーダーも決まっていないし、今日はまず会議から始まり、引き継ぎの件で取引先を数件回って、それから…。


「おはよーございまーす」


気怠そうな低い声がオフィスに響いた。
このやる気のない感じ。顔を見なくても伊丹マネージャーだと分かる。

先ほど受け取ったお土産のお礼を言うため、顔を上げて声のした方に視線を向けた。


「伊丹マネー……」


伊丹マネージャーに声を掛けようとした、その時だった。
彼に続くようにオフィスに入ってきた人物を視界に捉えた瞬間、思わず目を見張った。





──なんであの男(・・・)がここにいるの?

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