甘い罠、秘密にキス

私が持っているってだけで、何の罪もないこのボールペンまで貶されているみたいで悲しかった。これを選んでくれた桜佑にも、褒めてくれた川瀬さんにも申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

もっと人目のつかない所で使えばよかった。せめて課長のいないところで。
配慮が足りない自分の行動に呆れてしまう。


「課長、それはさすがに」
「川瀬さん」


川瀬さんが薄らハゲに向かって何か言いかけたのを慌てて制した。珍しく怒りの孕んだ目をしている彼女に、大丈夫と言い聞かせるように小さく首を横に振る。


「お見苦しいものをお見せしてすみません」

「いや別にそこまで言ってないけどね」


川瀬さんが怒ってくれているのを見て、少しだけ冷静になれた。
何とか平常心を保ち、課長に笑顔を向けながらボールペンを胸ポケットにしまう。

───と、その時。


「課長、トレンド(・・・・)って言葉をご存知ないですか?」


聞き慣れた、低く抑揚のない声が耳に届いた。

顔を上げて声のする方へ視線を向けると、温度のないあの目が課長を捉えていた。


「とれんど…?」

「課長は流行りものに疎いみたいですね。せっかく若者が多い職場なんですから、もっと吸収していかないと。今どき流行らないですよ、その女や男はこうあるべき、みたいな考え方」

「え?」

「ちなみに、こういう可愛いらしいボールペンがいま男性の間で大流行してるんだとか。持ってたらイケメン度アップするらしいです。男性でも平気で持ってるくらいなんで、佐倉なんて持ってて当たり前レベルなんですよねー」


桜佑は矢継ぎ早に紡ぎながら課長を見下ろす。若干口角を上げているけど、目が全く笑っていない。
威圧感たっぷりの彼を前に、課長は「え、そ、そうなのか知らなかった」とぎこちなく返す。


いや、流行ってるなんて絶対嘘でしょ。トレンドに詳しい川瀬さんが“そうだっけ?”みたいな顔してるもん。

そう心の中で突っ込みつつも、桜佑の横顔を見て胸がじんと熱くなった。

だって、桜佑が私を庇ってくれているのが分かるから。


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