バイバイ、リトルガール ーわたし叔父を愛していますー
すみれの決意
仕事が終わり、すみれは航のために季節の花をアレンジメントされたカゴを花屋で買うと、急いで航の入院する病院へ向かった。

まだ新しい白くて大きな大学病院内へ入り、エレベーターで7階のボタンを押した。

703号室が航の病室だった。

エレベーターを降りたすみれは、703号室へ向かって長い廊下を歩いた。

静まり返った廊下に自分の足音だけが響いていた。

そのとき、すみれの呼吸が止まった。

視線の先に、パジャマ姿の航がすみれの方へ向かって歩いて来るのが見えた。

3年ぶりに会う航の姿に、どうしようもなく胸の鼓動が早まった。

すみれは急ぎ足で航に近づき、思い切って声を掛けた。

「わたるく・・・。」

しかし航はすみれの方を見向きもせず、ただうつろな目で、すみれの横を通り過ぎて行った。

その瞬間、すみれを取り巻く全てが色を失くした。

急激に体温が下がり身体が冷え、目の前が真っ暗になった。

残酷な現実を前にして、やっと振り向いたすみれの目に、航の背中が遠ざかっていくのが見えた。

ショックで心が壊れそうになり、それ以上航に近づくことが出来なかった。

航君・・・本当に・・・本当に私のこと、忘れちゃったの?

初めて出逢った日のことも、一緒に過ごしたかけがえのない日々も、全部航君の中から消えてしまったの?

すみれは休憩フロアに設置されている椅子に座ると下を向き、両手で顔を覆い、人目もはばからず声を出して泣き続けた。

「航君・・・嫌だよ・・・航君・・・私を忘れないでよ・・・」

周りにいる人達はそんなすみれを、哀れみの目で遠巻きに眺めていた。

そんな空気をかき消すように、小さな女の子がすみれに近寄り、すみれの目の前にハンカチを差し出した。

「お姉ちゃん。どこか痛いの?」

すみれは赤い目をこすりながら、そのハンカチを受け取った。

「ううん。大丈夫。ハンカチありがとうね。」

すみれはそのハンカチで涙を拭いた。

「お姉ちゃん、泣かないで。わたしも泣かないから。病気になんか負けないから。」

「・・・そうだね。偉いね。名前はなんていうの?」

「わたしはアオイ。向日葵の花の葵だよ。」

「そう。私はすみれ。同じお花の名前だね。」

「そのハンカチあげる。だから泣かないでね。ママに叱られるから、わたしもう行くね。バイバイ。」

「うん。ありがとう。バイバイ。」

大きく手を振る葵に、すみれも両手を振った。

心に爽やかな風が吹き込んだ。

そうだ。

泣いてなんていられない。

これからどうしたらいいか考えなくちゃ。

すみれは再び航の病室である703号室へ向かった。

会えなくてもいい。

話せなくてもいい。

航君と同じ空気を吸いたい。

すみれは病室内に航がいないのを確認すると、持って来たお見舞いの花カゴをベッドの脇にある棚へそっと置いた。

そして航が使っている枕を抱きしめ、その鼻先を押し付けた。

そこには懐かしい航の匂いがあった。

病室の中も航の痕跡が色濃く残っている。

でもまだ自分を忘れている航に会う勇気はなかった。

拒絶されてしまったら、今度こそ私の心は壊れてしまう・・・。

すみれは後ろ髪を引かれる思いで、病室を後にした。
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