公爵令嬢からの手紙 ~かつて愛していた皆さまへ 私のことなどお忘れですか?~

プロローグ


 国境を流れる大運河から得られる恵みによって栄えた国、コロム。
 水に困らぬ日々の暮らしの影響で、国民たちはどこかのんびりとした気性をしている。
 人々は花を愛でながら、折々の四季を謳歌していた。
 白壁と橙色の瓦屋根の街並みは、一生のうちに一度は見ておくべきと称されるほどの美しさで、季節を問わず観光に訪れる人たちで王都はいつも活気づいている。
 今日も、うららかな春の日差しが王城を照らしていた。


「殿下、本日の手紙です」
「ああ」

 執務室で書類仕事をこなしていた王太子であるセルヒオは筆を止め、若い文官によって運ばれてきた手紙の束に手を伸ばす。
 わずかに頬にかかる金色の髪がさらりと揺れ、その奥に隠された緑色の瞳の中で反射する。
 彫刻を思わせるような整った顔立ちに、すらりとした体躯。
 コロムの黄金と名高い彼は、二十三歳と青年から大人の男への過渡期を迎えていることもあり、初々しい色気に満ちていた。
 些細な仕草でさえも、気品と優美さに満ちており、文官たちがほぉっとため息をこぼす。
 届いた手紙の殆殆どは国内貴族からの季節の挨拶や夜会への招待状など、今すぐ目を通す必要がないものばかり。
 急を要するものは少なそうだと考えながら手紙を捌(さば)捌いていると、一通だけ趣の違う封書が目にとまる。
 コロムでは珍しいざらりとした感触の紙には、花や葉が混じっており特別に作られた品なのが伝わってくる。
 香料でも練り込んであるのか、優しい匂いが鼻腔をくすぐった。
 こんなセンスのいい手紙を送ってくるのは誰なのだろうと、セルヒオは封筒の差出人に目をやった。

「……!」

 心臓を鷲づかみにされたような衝動がセルヒオの身体を駆け巡った。
 全身の血が逆流し、息が詰まる。

「なぜ……っ!」

 震える指先で封蝋を割るようにして封を開け、中の手紙を取り出す。
 封筒と同じ紙質の便箋はたったの一枚。

 ――お元気にしておられますか。あの頃は、殿下も私もまだ若く、お互いに何が正しいかなどわかっていなかったのかもしれません。色々とありましたが、私も今は穏やかに過ごしております。殿下の人生に幸多からんこと をお祈りしております。リーナ ・ベルシュタ――

 流れるような美しい筆跡に、胸をかきむしりたいような衝動にかられる。
 ぐしゃりと便箋を握り潰したセルヒオは勢いよく立ち上がった。

「この手紙は何だ。いつ届いた」
「えっ……おそらくは、今朝届いたものかとは思いますが……」

 突然王太子から声をかけられた文官は、怯え混じりの表情を浮かべた。
 幼さの残る顔立ちから考えて、まだ新人なのだろう。
 助けを求めるように周囲をきょろきょろと見回している。

「今すぐこの手紙について調べろ」

 封筒を文官に投げつけるように渡すと、セルヒオは執務室からすべての人間を追い出した。
 セルヒオの突然の豹変変に文官は首を捻りながらも、封筒を手に廊下を歩き出す。
 執務室に残ったセルヒオは、再び椅子に腰掛けると、便箋の文字を見つめながら眉間に皺を寄せ憎々しげに口元を歪めた。

「何を今更ぬけぬけと……」

 苛立ちのままに便箋を引き破いたセルヒオは、それを床に放り投げる。

「リーナ」

 床に散らばった残骸を見つめながら絞り出した声は、わずかに震えていた。


 同時刻。
 同じ内容の手紙が三人の人物の元に届いていた。
 王太子妃、伯爵令嬢、そして近衛騎士――
 手紙を受け取った彼らの表情はそれぞれに異なる。
 怯え、戸惑い、微笑み。
 これは、ある手紙からはじまる報復の物語。
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