Actress〜偽りから始まるプラハの恋〜
「設定はこんなところですかね。あぁ、それと昔馴染みだから、敬語はやめて、名前の呼び方も変えましょうか。環菜、それでいい?」

ふいに名前を呼び捨てにされ、親しげに話し掛けられて心臓が飛び跳ねる。

「あ、うん。それでいいです‥‥」

「敬語になってる。早く慣れてね。あと僕の名前、ちゃんと言える?」

ちょっと動揺してしまっていると、桜庭さんがニッコリとあの笑顔で私の顔を覗き込む。

その笑顔になんだか圧を感じるは気のせいだろうか。

(えっと、桜庭さんの名前は智行だっけ。昔馴染みの近所のお兄さんなんだとしたら、この役の子ならなんて呼ぶかな?う〜ん)

私は頭をフル回転して想像を巡らせる。

そしてある呼び方を思い付いて、私より背が20cmくらい高い桜庭さんを見上げながらつぶやいてみた。

(とも)くん‥‥?」

「‥‥!」

(うん、近所のお兄ちゃん感のある呼び方だよね。口に出してみるとしっくりくるかも!)

私が自分の役作りに満足していると、桜庭さんはややたじろぎながら、ぎこちない笑顔になっていた。

こんな顔もするのかと意外に思ってしまう。

ただそれはほんの一瞬のことで、すぐ元通に戻ると、隙のない笑顔で再び私に話しかけてきた。

「そうそう、アンドレイといえば、環菜は今アンドレイの恋人の家に住んでるって言ってたね。そこにはいつまで?」

「一時的な居候だから、これから住むところを探すつもり、です。特に期限は決まってないからゆっくりでいいよとは言われてますけど」

演技をしていない今、タメ口に慣れず、若干おかしな言い回しになってしまった。

婚約者役をやるのだから早いうちに慣れてしまわないとなと内省していると、桜庭さんはまたまたとんでもないことを言い出した。

「それならうちに住めば?婚約者なんだし、その方が自然でしょ」

「ええっ!?」

再び驚かされて、目を大きく見開く。

(この人は本当にとんでもないことを、何ともないことのようにサラッと言うんだから!毎回驚かされてしまうな‥‥)

「そんなに驚くこと?役作りの一貫だと思えばいいじゃない。それに家賃はもちろんいらないし、環菜が婚約者役を引き受けてくれることへのメリットにもなると思うんだけど、どうかな?」

なんとも私の心をくすぐる提案だった。

役作りと言われてしまえば、やると決めたからには徹底的にやりたい私の女優魂に火がついてしまう。

それにまだ貯金はあるものの、収入がなくなった現状においては、家賃がかからないのはありがたかった。

(なんだか桜庭さんの思い通りに踊らされてる感は否めないし、ちょっと悔しいけど。でも‥‥)

「‥‥よろしくお願いします」

私は結局その申し出をまたしても素直に受けることにしたのだった。


こうして、彼と私のプラハでの偽装婚約者生活と同居生活が幕を開けたーー。

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