カサブランカで会いましょう。

第1章 街角のヒーロー

 大河原町の何の変哲も無いシャッター街の片隅でその店は今も営業している。
有名人は見向きもせず、メディアも取り上げることは無いけれど、ずっと昔からその店は営業を続けてきた。
 人々は頑固なケーキを売る店だと囃しているが、マスターはそんなことには目もくれずに今日も自慢のケーキを焼いている。

 「お、来たか。」 長い髪の男がドアを開けて中へ入っていく。
「今日もあのチーズケーキが食べたくてさ、、、。」 「そうかいそうかい。」
「あらあら、いらっしゃい。」 妻の清美が店の奥からお絞りを持って出てきた。
「いやあ、奥さん 今日も可愛いねえ。」 「ありがとうございまあす。 私、細谷さんのお嫁さんになろうかしら。」
「いいんじゃないかい。 なったら?」 「あらら、妬いてるの?」
「アホ。 焼くのはケーキだけだ。」 「フフフ、妬いてるわ。」
清美は店内を見回すとケーキを取りに戻っていった。
 「あいつはいつもああだからなあ。」 「羨ましいねえ。 あんな奥さんが居て。」
「欲しかったらやるよ。」 「それは言わないほうがいいんじゃないの? 本気にされたら終わりだよ。」
「それもそうだなあ。 ははは。 孝彦だから言うけどさあ。」
 一郎はポットを見た。 「ああ、また沸き過ぎだ。 これじゃダメなんだよ。」
お湯の温度にもうるさい彼は、そのお湯を捨ててまた沸かし始めた。 「お前がいけねえんだぞ。 沸かしてる最中に来るから。」
「そんなこと言ったって、マスターが何をやってるかなんて、いちいち知らねえよ。」 「それもそうだ。」
こうしてマスターは不機嫌になったりならなかったりして今日も客をひやひやさせるのである。
「チーズケーキでいいのよね?」 清美が孝彦に聞いてきた。
「他のを出されたら帰りますから。」 こっちはこっちでやはり棘が有る。
頑固で我儘で偏屈なマスターゆえ、客もそうなるのかも?

 店の奥には古いレコードプレイヤーが置いてあって今日も60年代の古いジャズが流れている。 その横には古いジャズベースが飾ってある。
壁には古いレコードじぇけっとのコピーとか、オークションで買ったピアニストのサインとか、ギタリストのジャケットなんかが飾ってある。
この店の壁はなんとも暖かい木目調なのである。 外向きはコンクリートなんだけどね。
 ガランがランと音がして二人目の客が入ってきた。 マスターはちょうどコーヒーを入れているところ。
「コーヒーってな、沸かしすぎちゃいけないんだ。 せっかくの味が飛んでしまうからな。 沸く手前がいいんだよ。」
自慢の講釈を垂れてますと、「こっちにも居るんだけど、、、。」
さっき入ってきた男が寂しそうな目で訴えてくる。 「分かってる。 入れてやっから待ってろよ。」
さも面倒くさそうに言うので清美が出てきた。 「あらあら、ごめんなさいねえ。 主人ったらコーヒーのことになるとうるさいのよ。 こないだなんてお巡りさんと喧嘩したんだもんねえ。」
「余計なことは言わなくていいからさっさとカップを持って来い。 デブ。」 「まあまあ、可愛い妻を捕まえてデブだって。 ひどーい。」
「デブじゃないか。 なあ、孝彦君。」 「え、え、え、え、え、え、え、え、え、、、、。」
「何だよ。 煮え切らねえなあ。」 「マスター、そりゃねえよ。」
孝彦も勘弁勘弁である。 そこへ清美がカップとお絞りを持って出てきた。
「すいませんねえ。 主人が我儘なもんですから。」 「余計なこと言うなっての。」
一郎は渋い顔をしながら入れたてのコーヒーを飲んだ。

 午後2時。 ここ、カサブランカは営業を始める。
仕事の骨休みに飲むに来る人も居る。 午後の授業を抜け出して飲みに来る学生も居る。
「先生には黙っとくからコーヒーを洗い流してから行けよ。」 「そんな無茶苦茶な、、、。」
これにはさすがの清美も唖然としてしまうのだが、、、。
「学校のやつらは何も出来ないくせに口だけは達者だから困るんだよ。」 「それはそうだけどさあ、、、。」
「何が悲しくて管理職なんてやってんのかねえ?」 「さあねえ。 お金じゃないの?」
「それしか無いよなあ。 あのポンコツ連中には。」 「ポンコツか、、、。」
「そうだよ。 勉強なんていくら分かっても使えないんだよ。 方程式なんて無駄だろう?」 「そりゃそうだと思うけど、、、。」
「俺はなあ、飯が食えて母ちゃんとやれたらそれだけでいいぞ。」 「やるって何をさ?」
「分かってないなあ。 夫婦だったらあれだよ あれ。」 「ああ、夫婦喧嘩ねえ。」
「いっぽーん!」 ちょうどいいところへ清美がケーキを運んできた。
「何だよ、お前まで。」 噴火するタイミングを失ってしまった一郎はモゴモゴしている。
「お待たせーーーーー。 ご自慢のチーズケーキでーーーーーーす。」 おどけて見せる清美にみんなは笑い出してしまった。
そう、マスターが切れそうになると必ず清美が割って入るのである。 その顔がまたお多福そのもので、、、。
みんなは険悪な空気すら忘れてしまって笑い転げるのである。
笑う門には福が来る。
ここ、カサブランカの店の脇にはいくつかのプランターが置いてあって球根が植えられている。
店の名前にもなったカサブランカだ。 もう20年くらいになるだろうか。
なんとか二人で育ててきたから株も大きくなっている。 最初は二本だけだった。
それが今や、かなり増えてきて株分けもしている。 常連さんの中にも株分けして育ててくれてる人が何人も居る。
カサブランカってのは百合の女王っていうだけのことは有ってたいそうに我儘である。
環境が変わればそれだけで芽を出さなくなるし、水が少なくても多くてもうまく育たない。
土が乾くとそれだけで文句を言い始める。
その代わりに丁寧に可愛がっていると大きな花をいくつも咲かせてくれる。
香ってくる匂いはゴージャスでいいもんだ。 好きだねえ。
 カサブランカの隣には、これまた変わり者の親父がやっているラーメン屋 ちょび美味ラーメンが在る。
屋号も変わっているが、親父さんも本当にうるさい男でスープが気に入らなければ絶対に店を開けない人なのである。
いつだったか、店の前で親父さんとどっかのおっさんがものすごい言い争いをしていたことが有る。
おっさんは初めて食べに来た人らしく「何で食わせねえんだよ! 食わせろ!」と怒鳴っている。
「そうは言うけど、スープがうまく出来なかったから食わせられねえんだ。」 「嘘吐き! インチキ野郎目!」
「何だと? こっちはなあ、商売でやってるんだ。 嘘吐きもくそも有るか!」 「てめえ、まずいもんだから食わせねえんだろう? ここまで来た俺の交通費を払いやがれ!」
「小さいことで喧嘩してるなあ。 言いたいことは分からんでもないよ。 俺だってケーキがうまく出来なかったら店を休みたいもんだ。」
 ちなみにうちではショートケーキとモンブランは作らないんだ。 美味いって言われている店から予め買っておくからね。
チーズケーキとかプリンとかムースくらいならうちでも作るよ。 モンブランなんて食べるやつの気が知れない。
あんな甘ったるい物はごまかそうと思えばいくらでもごまかせるからねえ。 甘くしておけばいいんだからさ。
でもチーズケーキはそうもいかない。 シンプルだから癖が出やすいんだ。
レアチーズケーキなんて15年過ぎた今でも気を遣うよ。
だからさ、こいつを美味そうに食ってくれる客を見るとこっちまで嬉しくなるよ。 モンブランなんて褒められても嬉しくないなあ。
 そのちょいうまの娘さんがまたケーキにうるさいんだよ。 その人が来ると審査されてるみたいで緊張する。

 3時を過ぎて「こんにちは!」って声がしたから(誰だろう?)って思って顔を上げたら、ちょび美味の李多ちゃんじゃないか。
俺は緊張したよ。 「あらあら、いらっしゃい。」
李多さんはお気に入りのテーブルに着いた。 「店はどう?」
「毎日 天手古舞です。」 「そっか、いいなあ。 うちなんて暇だよ。」
「でもいいじゃないですか。 来てくれる人は来てくれるんでしょう?」 「でもねえ、、、。」
「何だよ?」 「注文はいつものチーズケーキでいいのよね?」
< 1 / 3 >

この作品をシェア

pagetop