一途であまい

3.

 終業間際。澤木先輩から、メッセージが届いた。今日は直帰になるから、そのまま私の部屋に行ってもいいかというものだ。二つ返事でオーケーを出す。折角だから、今日買った和菓子を一緒に食べよう。

 軽く夕食を済ませ部屋で待っていると、しばらくして澤木先輩がやって来た。

「お邪魔しまーす。はい。これ」

 部屋にあがってすぐに手渡されたのは、渋谷から一駅先にあるスイーツショップのモンブランだった。

「うっわ。めちゃくちゃ嬉しい」

 マロンクリームだけじゃなく、中に入っている生クリームとカスタードクリームが絶妙な味わいを醸し出している一品だ。
 ウキウキとしながら、緑茶と紅茶を用意する。

「あれ。緑茶も?」

 二種類の飲み物を用意した私は、今日買った和菓子をテーブルに広げた。

「どうしたの、これ。美味しそうじゃない。しかも、この練きり。綺麗ね」

 澤木先輩は、手毬を模した練り切りが芸術的にきれいだと目を輝かせている。

「それなんですよ。この和菓子のことも含め、色々と聞いてほしくて」

 漸く澤木先輩に彼と別れた経緯を話せると、前のめりになり話しだした。正から呼び出された喫茶店での出来事。その後落ち込んで入ったカフェで、見ず知らずの大学生に泣きながら失恋話をしたこと。澤木先輩は、そこで美月らしいと少しだけ笑う。その後再び、営業先の商店街で大学生と会い。この和菓子を買うことになった経緯。スイーツの話も織り交ぜて話していたせいか、とても饒舌になっていた。

 長々と話し終えて一息つき、ずずっと緑茶をすすると、先輩がやたらとニコニコしている。何やら含みのある笑みだ。

「なるほど。じゃあ、元彼については、もういいみたいね」
「え?」
「だって、その永峯君だっけ? その子のこと話してる時の美月、とっても可愛い顔してたよ」

 待って、待って。可愛いって何。どういうこと。

「ケーキや和菓子のことがあるからテンションが上がっただけで、永峯君のことは関係ないですよ」
「本当にそうかなぁ。私には、話している美月がウキウキしているように見えたけど」

 澤木先輩は、手毬を模した練り切りをフォークでカットして口に入れると、とっても美味しいと頬に手を持っていく。なんて可愛らしい仕草だ。私なら豪快に一口でニンマリだ。

「相手は年下ですよ。大学生ですよ」
「それ、関係あるの?」

「大ありですよ。大学生となら、最低でも七つは離れてるってことですよ」
「七歳なんて、大したことないよ。相手がちゃんと生きて目の前にさえいれば、そんなのは些末なことだからね」

 澤木先輩は、少しだけ寂しげに呟いた。表情は物憂げで、私が男ならそっと抱きしめてあげたくなるような、か弱さを滲ませている。

 生きていれば、か。確かに、そうなのかもしれない。年の差なんて今時たいしたことはないのかもしれない。けれど、やっぱり。相手が迷惑じゃない? だって、こっちはもうすぐ三十歳の誕生日を迎えようとしてる身だよ。できれば結婚だってしたい年頃だ。そんな女に親し気に近寄らたら、まだまだ遊びたい盛りの彼には迷惑でしょ。私はその遊びに付き合ってあげられる余裕をなくしているのだから、恋なんて始まりようがない。

「美月。頭で考えないよ。まだなーんにも始まってないんだからね」

 私の悪いところは、杓子定規になってしまうこの性格だ。普段口にするのはふざけたことばかりなのに、実際に何か行動を起こそうとした時には、当たって砕けろ、なんて気持ちにはなれない。起こってもいない先のことばかり考えて行動し、表面的な見た目とは反する性格に、少なくない人たちが思っていたのと違うという反応を示す。多分、正もこの真面目腐った性根に疲れてしまったのだろう。お気楽な性格と見せかけておいて、あれこれ小うるさく考えて行動する性格が嫌になったのだ。けれど、そうしていないと不安でたまらなくなる。

 私だって、時には思う。当たって砕けたらどれほどいいかと。あー、ダメだったかー。じゃあ次に行こう。なんてスッキリと見切りをつけられたらどれほどいいかと。思い立った瞬間に、なりふり構わず行動したなら、人生はもう少し違う方を向いていたのかもしれない。けれど、できずにここまで生きてきてしまった。立ち止まって考え、時間をかけて吟味してと石橋を叩いてしまう。

「美月はまじめないい子で、私は大好きよ。仕事もよくできるし、明るいし。だから、恋にももっと明るく元気に向き合ってみて欲しいな」

 ふふっと先輩は頬を緩める。

 私がまだ二十代前半なら、もう少しくらいはなりふりのなりくらいまでの勢いは持てたかもしれない。けれど、女の三十歳という壁は、高くぶ厚い。やすやすと軽く乗り越えかわすことなどできない。

「その彼。和菓子屋さんと親しげに話していたなら、商店街辺りに住んでいるのかもしれないよね。興津さんのところに行った時には、和菓子屋にも顔を出してみたら? それでもし、また次に会う機会があったら。スイーツデートでもしてみるといいじゃない」
「で、デートって。いや、それは……」

 堅い頭を持つ私は、別れたばかりで若い男の子とデートだなんて、と拒絶反応を示してしまう。

「考えるな。感じろよ」

 先輩は、とある有名なアクションスターの真似をする。

「先輩でも、そんな冗談言うんですね」

 クスクス笑うと、宮沢の受け売りよと少しなりきっている。それなら納得がいく。宮沢先輩はスマートな雰囲気を醸し出しているのにユーモラスなのだ。

「じゃあ。もしまた会うことがあったら、スイーツ巡り程度で考えてみます」

 もじもじとしながら応えると先輩は満足げな表情をした。

 和菓子とモンブランを交互に食べ、甘さを堪能し幸せに浸る。スイーツは心を滑らかに、甘く幸せにしてくれる。口に入れた時のまろやかさは、なんだか永峯君みたいだ。彼は、私に甘い世界を運んできてくれるのだろうか。

 部屋の隅にかかっているハンカチに視線をやり、口の中に広がる甘さに頬を緩めた。


 翌週。再びときわ商店街のある街にやって来た。基。おきつ文具店にやって来た。普段なら、依頼された商品は倉庫から直接配送手配をしている。けれど、今回は違う。

「珍しいじゃないの。わざわざ高坂さん自ら持ってきてくれるなんて、嬉しいねぇ。他にも何か用事がありましたか?」

 何の気なしに問われた興津さんからの言葉があまりに図星過ぎて目が泳ぐ。ヘラヘラとした笑いを浮かべ、ええ、ちょっとなどと言って誤魔化した。まさか会いたい人がいるのでなどと、下心丸出しの用事など口にできるはずもない。いやいや、会える会えないではない。ハンカチを返すためには、会うべきなんだ。誰にともなくそう強く胸の裡で言い訳をする。

 おきつ文具店に品物を卸したあと、そそくさと店をあとにした私は、永峯君を探すためにときわ商店街へと向かった。アーチを潜ると同時に彼の姿がないかと辺りに視線を走らせる。おでん屋からのいい香りに鼻をひくつかせ。パン屋の香ばしい香りに誘われるも、買い物をしているうちに永峯君を見過ごしてしまうかもしれないと後ろ髪をひかれながら我慢をした。和菓子屋の前に至っては、源太さんの厳つい顔のみで、彼の姿は見当たらない。

「今日は、この辺に来てないのかな」

 僅かな寂しさが胸に去来し、ため息まじりに踵を返す。次におきつ文房具店を訪れるのはいつのことだろう。スマホを取り出しスケジュールを確認する。

「次は、週明けか……」

 今回収めた商品の他に、定期で届ける商品の出荷が来週だった。いつもなら配送する品物だ。それをまたも自ら運ぶとなると、今回同様工場に連絡をいれ手配を変えなければならない。立て続けに営業先へ直接品物を届ける私に、周囲は余計な詮索をしてくるだろう。仕事なのだから、そんな時もあると開き直ればいいのだろうけれど。彼の笑顔を思い出すと、どうにも下心的なものが顔を出し疚しい気持ちになってしまう。

 今日永峯君に会えなかったら、次にここを訪れるのは一週間も先になってしまう。それだけの時間を空けてしまえば、ハンカチのことなどどうでもよくなってしまうかもしれない。そもそも。私自身の存在そのものに対しても、どうでもいい気持ちになりはしなだろうか。この前は、会った翌日だったし。たまたま機嫌がよくて二度目の再会に笑顔で屈託なく対応はてくれたけれど。次もそうしてもらえるとは限らない。誰でしたっけ? なんて顔をされてしまったら、落ち込んでしまいそうだ。人に忘れられてしまうというのは、どんな状況にせよ自己否定されたようで悲しくなる。

 マイナスな思考にとりつかれ、切なさが込み上げる。

 商店街を往復してみたけれど、永峯君の姿を見つけることができず背を丸める。待ち合わせをしているわけでもないのだから、この時間に丁度会えるなんてことがないのは当然だ。なのに、彼に会えないことがとても残念でならなかった。

「帰る前に、朝食用のパンでも買っ行こうかな……」

 会えないことに勝手に落ち込んで、励ますように先ほど必死で振り払ったパンの誘惑にのることにした。
 外を歩いていた時にも香ばしく食欲をそそる香りがしていたけれど、店内に入るともっと素敵な香りがひしめき合っていた。

 入ってすぐの場所に置かれているトレーとトングを手に、ウキウキと幾種類も並ぶパンを見て歩く。クロワッサンを二つに、生クリームとあんこが入ったホイップあんパン。デザートみたいで食べるのが楽しみだ。その後、デニッシュ生地にカスタードクリームが混ざり合ったパンにトングを伸ばしたところで、横から同じものに向かってトングを伸ばす人物がいた。同時に興味を示したことに驚き、慌てて手を引っ込める。隣に立った人も驚いた様子で私を見たあと、すぐに表情を緩めた。

「ごめんね。お先に」

 はっきりとしているけれど棘のない言い方をした女性が、艶のある笑みを見せてパンをトレーに置いた。スタイル抜群で髪の毛の裾を軽くウエーブにした女性は、煌びやかで一般人とは言い難いオーラを纏っている。メディアで見かけたことはないけれど、著名な香りをにおわせるような雰囲気を醸し出していてとても素敵だ。

 多分同じくらいの年齢だろう。ただ、私よりもずっと女子力は高いし、いい女の匂いがする。

 若干くたびれ始めたスーツ姿に大きなビジネスバッグ。爪の一つも手入れしていない自分とは大違いだ。唯一、最近買ったパンプスだけが、真新しく凛としていて救われた気がした。

 彼女のあとにレジに並び会計をする。

「俊ちゃん」

 さっきの女性の声が耳に飛び込んできた。

 その名前に反応したのは、探していた彼の名前と同じだったからだ。永峯君の名前は俊介だ。

 反射的に素早く反応し表を振り返る。ガラスドアの向こうに、永峯君の横顔が見て取れた。さっきの女性と親しげに話しをしながら、店内に私がいることに気がつかないまま、彼女と肩を並べて商店街の先へ行ってしまう。

 ハンカチを返すために追いかけなければ。そう思うも、仲睦まじい二人の姿に足が竦んで動けない。二人の姿が見えなくなったころ、取り残されたように心細さと寂しさが同時に湧き上がる。

「相手、いるんだ……」

 ポツリとレジ前で漏らした言葉に、店員さんが不思議そうな顔を向けていた。

 初めてカフェで会った時から何度も見せてくれた彼の笑顔は、自分だけに向けられているものでないことなど承知の上だ。いくらコンビみたいだと持ち上げられたからと言って、知り合ってまだ二日の間柄なのだから。アイドルみたいな顔つきで、あれだけ人懐っこければモテて当然だし。わざわざ、こんなくたびれた女を相手にするなどあるはずがない。けれど、素敵な女性に見せていた永峯君の笑顔に、私は心を痛めつけられている。誰にでも平等に向けられているだろうその笑みが、自分にだけではなかったことにショックを受けている。たった二度会っただけの相手が気さくだったことに浮かれていたなんて浅はか過ぎる。スイーツ好き同士で気が合うのだから、二人でたくさんの甘いものを食べ歩けるなんて妄想だ。僅かでも期待を抱いていたことが愚かしい。七つも年上だとか。スイーツデートなんてとんでもない、なんて言いながら内心ではしっかり浮かれていた。そして、いざ現実を突きつけられたら馬鹿みたいに落ち込んでいる。三年付き合ってきた彼に、ものの見事にふられるくらいだ。レベルの低い自分をちゃんと自覚して受け止めるべきだった。

 頭であれこれ言い聞かせても、ショックはとても大きく。せっかく買った美味しそうなパンでさえ虚しさを埋められない。

「一度くらいスイーツデートしたかったな」

 誰にも訊いてもらえない素直な感情が漏れ出た。
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