悪戯な魔法使い
身分違いの婚約者




 暗闇が静寂を引き連れて、すっかり空を黒く塗り潰した夜のこと。
 エリー・フォーサイスは、アラステア王立学術院のとある一室でしょんぼりと頭を垂れていた。 

 テーブルに置かれた2本の細長いろうそくが、視界の端で揺らめきながら小さく燃えている。炎から放射線状に広がる灯りは、真向かいに座る彼の長い漆黒の髪を仄かに照らした。

 ちらりとその顔を覗き見る。
 ナルムクツェ・アロは仕立ての良いスーツを着崩して、いかにも退屈そうに頬杖をついていた。そして窓から漏れる月明かりを背に、神秘的な深い青の瞳を暗い部屋の隅へ向けたまま、一切、エリーを見ようとしない。

 しかし、それはいつものことである。ナルムクツェはちっともエリーに興味を示さない。示そうともしない。それでもエリーは、人知れずナルムクツェに想いを寄せている。
 この二人の関係性は今後も変わることはないだろう。例え、将来結ばれることが約束された仲であっても、だ。

「この時間、ムダにすんなよ」

 エリーはしぶしぶ、顔を上げた。ぞんざいな態度は、教師になった今も変わっていない。
 ここですぐに言い返せないのは気に食わないが、エリーがこの学院に入学し、ひいてはナルムクツェの生徒になった以上、黙って教えを受けなければならない立場になった。
 だから、仕方なく言うことを聞く。

 そう心の中で悪態をつくのは、ナルムクツェに対する小さな抵抗だった。
 何せ、今は気が沈んでいる。原因は目の前にいるこの男。昼間、学内の廊下で偶然会い、ナルムクツェの肩に付いていた花びらを取ろうとした時のことである。

『触るな』

 氷のように冷たい視線と、思いもよらぬ言葉を浴びせられたその時のエリーの狼狽え方ときたら酷いものだった。

(だって、そこはありがとう、とお礼を伝える場面じゃないの? まさか、触れることすら許されないなんて。結婚なんて夢のまた夢じゃない)

 それは、エリーが生まれた日のことである。
 溢れんばかりの祝福の中、エリーが産声を上げたその瞬間に二人の婚約は結ばれた。

 当時、ナルムクツェはわずか5歳。早ければ色恋も覚える年の頃、ナルムクツェは生涯の伴侶を自ら選ぶ権利を失ったのだ。まだ5歳とはいえ、結婚についてよく理解はできていなくとも、自由を一つ奪われてさぞ複雑な胸中だっただろう。

 対してエリーは、物心ついた時から既にいる未来の結婚相手について何一つ疑問に思うことはなかった。むしろ、喜ばしいとさえ思っていた。

 なぜなら、ナルムクツェは当時から類稀なる美しい少年だったからだ。そして、言葉は素っ気なくとも常に優しく接してくれていた。エリーはいつからか、ナルムクツェに恋をしていたのである。そして、まだ見ぬ二人の未来を思い描いて、いつか結ばれる日を夢見るようになっていた。

 しかしその夢は呆気なく破られる。
 ナルムクツェが父親と揉めに揉め、ある日突然、家を出て行ってしまったのだ。理由は他にもあったらしいが、エリーとの婚約の件もその一端を担っていたのだという。

 ことの経緯(いきさつ)をナルムクツェの家から聞かされた両親が話をしているのを、エリーは偶然にも耳にしてしまった。この時ほど、家の壁の薄さを恨んだことはない。以来、ナルムクツェと顔を合わせることはパタリとなくなった。
 エリーが10歳、ナルムクツェが15歳を迎えた頃のことである。

「いいか。魔力そのものを可視化すると、炎のような形をしたエネルギー体になる。これを自由に扱うには、集中力と想像力が必要だ」

 ナルムクツェの長い人差し指が、気だるげに蝋燭を指す。
 エリーは深く頷いた。

「はい」

「今度はろうそくの炎の量を増やせるか? よく見ろよ、これをどう操るのか具体的に想像すればいい」

「わかりました、ナルムクツェ先生」

 ナルムクツェはその後、稀代の魔術師として呼び声の高い叔父の元で魔術の修行を積み、このアラステア王立学術院に途中入学したと聞いている。在学中は優秀な成績を収めていたらしく、ナルムクツェは卒業と同時にこの学院の講師を務めることになった。学院長から直々にお声がかかったというのだから、よほど能力を買われたのだろう。

 アラステア王立学術院といえば、世界中から優秀な人材が集まる有名な学術院だ。学べる学科も多岐にわたり、過去には偉人も多く輩出している。ここで黒魔術を専門に教えるナルムクツェは、23歳という異例の若さで選り抜きの講師陣の中に名を連ねているのだ。

 加えて、ナルムクツェは宮廷魔術師として代々国に仕える家系の出。アロ一族と聞くだけで、彼に師事して欲しいと望む生徒も少なくない。


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