一途な御曹司の甘い溺愛~クズ男製造機なのでお付き合いできません!~
 そこには紗英の落としたファイルを手にした美麗な男性が立っていた。
「どうぞ、海東さん」
「あ……ありがとうございます」
 課長の桐島(きりしま)悠司(ゆうじ)はファイルを渡すと、爽やかに微笑んだ。
 眦の切れ上がった目元は涼やかで麗しい。まっすぐな鼻梁に、形がよく薄い唇、シャープな顎のライン。端正に整った容貌は誰が見ても男前だ。
 しかも悠司はスタイルも抜群によい。
 一八〇センチの高身長に加え、肩幅が広いのに腰は引きしまっており、すらりと足が長い。立派な体躯は三つ揃えの上質なスーツがよく似合う。
 彼はキリシマ・ホールディングスの御曹司である。
 社長の息子というと、お飾りの課長を想起させるが、悠司はそんなことはなかった。
 上品な物腰と紳士的な接客で、社内外ともに評判は抜群だ。施設の新規案件も積極的にこなし、各県に新しい施設をオープンさせている。
 御曹司だからといって偉ぶることもなく、社内でも礼儀正しい態度を貫いている。営業部はもちろん、社員の信頼は厚かった。二十八歳という若さで課長の役職に就くのも、御曹司だからという理由だけでなく、実力が伴っているからだと誰もが納得できる。
 しかも悠司は独身で恋人がいない。
 なぜ知っているかというと、ほかの女性社員が聞き出した情報が給湯室で出回っているからである。
 そうなると、彼を狙う女性社員は多い。もし悠司と結婚できたら、将来は会社の社長夫人の椅子が約束される。
 だけど、紗英は悠司が苦手だった。
 その原因は彼の態度にある。
 引きつった笑みを浮かべつつ、紗英はファイルを受け取る。もちろん、悠司と手が触れないように気をつけた。
 ふと悠司は、チェアの足元に目を落とした。
 彼は優美な仕草でチェアを引く。
 椅子を引くだけの動作なのに、どうしてこの人はさまになるのだろうと、笑みを貼りつけた紗英は不思議に思う。
 腰を屈めた悠司は、そこに落ちていた小さなものを拾い上げた。
 彼は手に収めたアクセサリーのような、ふんわりした物体に首をかしげる。
「これ、なにかな?」
「それはシュシュです。髪を結うヘアゴムみたいなものですね」
 ライトグリーンのシュシュは、薄汚れてしまい、ところどころほころびがあった。お気に入りなので捨てられなかったのだ。予備用としていつもバッグに入れていたので、それも落ちてしまったのだろう。
 その決して綺麗とは言えないシュシュが悠司の手の中にあることに、紗英は羞恥を感じる。
 早く返してくれないかな……。
 なぜか悠司は物珍しげに、シュシュをてのひらでもてあそんでいる。
 キラキラした双眸を紗英に向けた彼は、さらりと言った。
「これで海東さんの髪を結ってあげてもいいかな?」
「……だめです」
 なにを言っているのよ、この人は――。
 フロアにはすでに出勤してきた社員たちがいるのである。たとえ誰もいなくても断る。というか、なぜ上司に髪を結ってもらわなければならないのか。そういう触れ合いは恋人同士でやるものだと思う。
 無表情で却下する紗英に、悠司は残念な顔をしてシュシュを返す。……かと思われたが、彼は紗英の腕を取ると、するりと手首にシュシュをはめた。
「あっ……」
 彼の手がわずかに触れて、熱い体温が肌に馴染む。
 かぁっと顔を朱に染めると、悠司は耳元でそっと囁く。
「目が腫れてるけど、なにかあったの?」
「……なにもありません」
「ふうん。そうか」
 上司に話すようなことではない。恋人との別れ話は完全にプライベートだ。それなのに、悠司はこうしてたびたび紗英の懐に踏み込もうとする。
 彼のこんなところが苦手と思う要因だった。
 妙に紗英に対して、距離が近すぎるのだ。
 しかも嫌な気持ちではないから困ってしまう。
 それ以上追及することもなく、悠司は笑みを浮かべて、紗英の頭をぽんぽんと撫でた。
「今日も仕事がんばろう。困ったことがあったらなんでも俺に相談してくれ」
「はい……」
 ようやく悠司は紗英のもとを離れると、課長のデスクへ戻っていった。
 からかわれている……。
 おそらく悠司にとっては、小動物をもてあそぶような感覚なのではないだろうか。
 紗英はセミロングの髪を、悠司から渡されたシュシュでまとめた。
 大きなてのひらで撫でられた頭が、まだ熱を持っている気がして、かぶりを振った紗英はデスクのパソコンを立ち上げた。

 彼氏に裏切られた傷を思い返している暇もなく、その日も仕事が忙しかった。
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