悩める転生令嬢は、一途な婚約者にもう一度恋をする ~王族男子は、初恋の人を逃がさない~
「お医者さんは、特に心配はいらないと言っていたよ」

 強く頭を打ったと聞いて自分でも少し心配だったけど、そう聞いて安心した。

「アイナ。外を歩くときは、ちゃんと足元も見るように。君は色んなことに気を取られやすいところがあるからね。……意識が戻って、本当によかった」

 注意するときは、小さな子供に言い聞かせるように。
 最後は優しく微笑みながら、私の手にそっと触れた。
 手の甲から彼の体温が伝わり、どくん、と心臓が嫌な音をたてる。

 ジークベルトは、優しくて、穏やかで。10歳とは思えないほどに聡明な男の子だ。
 自宅の庭で盛大に転ぶような私を見守り、大切にしてくれる。
 顔立ちだけ見ればとても愛らしい女の子のようだけど、髪は男性らしい長さに整えてられていて、服も男の子のものを身につけている。
 今は美少女のようでも、年齢を重ねたら、見た目も中身も素敵な男性になるのだろう。
 ジークベルトは、私にとっても大切な人で、大好きな婚約者だった。
 それなのに。

「っ……!」

 振り払うようにして、温かな手から逃げてしまった。
 大切なはずなのに。大好きなはずなのに。知らない誰かに触られたようにも思えてーー。

「……アイナ?」
「ジーク、私、まだ頭が痛くて……。1人に、してもらえる?」

 やっとのことで紡いだ言葉。喉がからからで、上手く声が出せない。
 これは、しばらく水を飲んでいなかったせいなのか。それとも、ばくばくと嫌な音を立てる心臓のせいなのか。

 自分が何者で、ここがどこで、心配そうに私を見つめる彼が誰なのか。
 わかるのに、わからない。
 確かなのは、このままジークベルトと一緒にいられないことだった。
 ジークベルトは寂しそうに目を伏せてから、笑顔を作った。

「そっか。ゆっくり休むんだよ」

 彼は私に向かって手を伸ばし、触れる直前で腕を引っ込める。
 また来るよ、と言い残して部屋から出て行った。
 追い出すような形になってしまって申し訳ない。けれど、1人になったら少しほっとした。

「……なんで嫌だったんだろう」

 彼に触られることを嫌だと感じたことなんてなかった。
 それなのに、どうして。

 思考の海に沈みかけていると、ばんっと勢いよくドアが開かれる。
 何事かと身体を起こしてみれば、金髪の男の子の姿が見えた。
 ぜえぜえと苦しそうなその子は、ジークベルトより身長が高く、見た目も男の子っぽい。

「ア、ア……」
「あ……?」
「アイナアアアアアア!」

 広い部屋だから、ドアからベッドまではそれなりの距離がある。
 なのに、金髪の男の子は瞬時に距離を詰め、ぎゅうと勢いよく私に抱きついてきた。

「おにい、さま……く、くる、し……」

 そうだ。この人はアルト・ラティウス。2歳上の私の兄で、妹の私のことが……だい、すき……。
 ぐえ、と公爵令嬢とは思えない声が漏れる。
 頭の痛みと、混乱。それに加えてこの力いっぱいのハグ。きゅう、と何かが体から抜けていく。

「アイナ? どうしたアイナ! 大変だ、アイナがまた……!」

 兄の声がだんだんと遠ざかっていき、私は再び意識を手放した。
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