異世界からの逃亡王子に溺愛されています ~『喫茶マドレーヌ』の昼下がり~
「ライナスさんとアイシスには、私のほうがよくしてもらいました。感謝しているのは私のほうです。どうかお気遣いなくお願いします」
「そう言ってもらえば助かります」

 ローゼンはもう一度深く頭を下げ、それからアイシスに向いた。

「アイシス殿下、あなた様は栄えあるフェリクス王国の王家のお方でございます。王妃様のご出産により、王太子として暮らす必要がなくなりましたが、引き続き王族としての役目を担っていかねばなりません。わがままは許されません」

「イヤだ! 絶対、行かない!」
「許されません」

 ローゼンが再度言うと、アイシスの動きを封じている兵士が布を鼻のあたりにやった。すると、ほとんど同時にアイシスの意識がなくなった。

 あっと目を見開く多希を見たローゼンが硬い表情をしつつも、わずかに目元を緩める。

「お眠りいただきました。そのほうが、より安全でございますので」
「だけど、そんなきつい薬なら、体に悪いんじゃ」
「我が国に咲く花の成分を調合したものです。即効性がありますが、効き目は短く、人体への影響も極少です」

 ローゼンはそこまで言って、今度は体をライナスに向ける。

「殿下、悠長にしている時間はございません。参りましょう」

 行ってしまう――ローゼンの言葉に多希の肩がビクリと大きく跳ねた。

「しばし待て」

 ライナスは一言、しかし反論を許さない口調で告げると、多希の正面に立って左右両方の手を取った。そして重ね合わせ、上下から優しく包み込む。

「タキさん」
「はっ、はい」
「あの時の告白の返事が聞きたい。だがその前に、もう一度、言わせてほしい」

 多希は息をのみ、喉がごくりと上下に動いた。

「あなたとの生活に私は生きがいを見いだし、安らぐ日々だった。私には、なによりあなたが大切で、ずっとともにいたい。だから一緒に行ってもらえないだろうか」

 ローゼンたち三名が驚いて目を剥いているのもかまわず、ライナスは多希の手を掴んだまま顔を寄せ、その額にそっと口づけた。

「ライナスさん……」
「あなたが好きだ」

 多希の目からぽろりと一粒、涙がこぼれ落ちる。

「私も、私も、あなたが好き、です」
「タキさん」
「でも……」

 ライナスが温かなまなざしで多希を見つめている。

「でも、私は、おじ……おじいちゃんを、置いて……」

 声が裏返る。そしてしゃくりあげた。

「置いていけないっ」
「タキさん」
「ごめ、ごめん、なさい。好き、なの。本当に、好きなの。ライナスさんが、好き。だけど、行けない。ごめんなさい」

 涙が流れ、止まらない。両手をライナスに握られているので、拭うこともできない。多希はただただ、謝るしかできなかった。

「タキさん、私を好きだと言ってくれてありがとう。本当にうれしい。それだけで充分だ。あなたには感謝している。私の願いはあなたが幸せになることだ。だからどうか、後悔しないでほしい」
「…………」

 ライナスは包み込んでいた多希の手を左右それぞれに掴み直し、顔の高さまで持ち上げた。左、右、と順番に揃えた指先にキスをする。

「愛しい人。どうか、息災で」
「は、い。ライナス、さん、も」

 今度は顔を近づけて多希の右頬にキスをし、そっと離れた。

「タキさん、最後に願いがあるのだが、聞いてもらえるだろうか」
「なんですか? なんでも言ってください」
「これを受け取ってほしい。身に着けなくていい。あなたに持っていてほしいんだ」

 渡されたのは指輪だった。

 そういえば、と思う。今更だがライナスは、右手は薬指、左手は中指に指輪をしていたことを思いだす。よく見てみると右手薬指の指輪がない。

 肌身離さず着けている指輪を自分の代わりに持っていてほしい、という意味だろうか。多希はそう解釈して頷いた。

「大事にします」
「ありがとう」

 ライナスは優しく微笑んでからローゼンたちに向き直り、三人のもとに歩み寄った。兵士の腕の中で眠っているアイシスの顔を確認する。

「行くぞ」
「殿下……」
「いいんだ」
「かしこまりました」

 ライナスが振り返って、まっすぐ多希を見つめる。澄んだまなざしは、いつもの優しさと穏やかさがあり、多希はもらった指輪をぎゅっと握りしめつつ、その目を見返した。

 従者の三人が多希に礼をする。多希もそれに応じた。

 光はライナスの首にさげている水晶から発せられているというのに、三人は発せられた光の先に進み、そして七色に輝く幕を越えて向こう側に行くと、光に包まれてゆっくりと消えていった。

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