Einsatz─あの日のメロディーを君に─

第13話 1/3の複雑な感情

 音楽の先生が篠山になってから、合唱コンクールに『有志合唱』ができた。各クラスが歌ったあとの集計中に数曲歌うらしい。美咲と彩加は興味があったので入ることにしたけれど、侑子は入らなかった。

 昼休みの練習に顔を出すと、予想通りのメンバーが集まっていた。もともと合唱部に入っている人や、入ってはいないけれど音楽が好きな人たち。いつかの班替えで班長にされた米原史明が来たのは意外だったけれど、朋之が一緒に来たのは──驚いたけれど、なんとなく想定内だった。彼は授業でピアノの周りに集まるときはいつも前にいたし、美咲が伴奏しているときも楽譜を見ようと顔を上げると彼の顔が正面に見えていて目のやり場に困った。ただそれはクラスメイトのやんちゃ坊主・松田(まつだ)耕輔(こうすけ)に『ピアノ弾くとき顔変わってる』とか『トモ君見てるやろ?』とか言われるようになったので、楽譜はあまり見なくなったのだけれど。

 美咲と彩加が合唱部に誘われたのは、その日の放課後だった。
 二人の所属が放送部だけなら合唱部を掛け持ちしていたかもしれないけれど、放送部の活動はほとんど毎日と、塾に行くのも週に二日ほどあった。放送部の活動──と言っても、週に一度のミーティングと、登校時と昼食時に音楽を流すのと、文化祭や体育祭等でマイクのセットをするくらいだったけれど。

「俺こないだ、合唱部に誘われてさぁ」
 教室で彩加と相談していると、朋之の声が聞こえてきた。彼が話していたのは松田だ。
「マジで? トモ君、歌好きやよな。合唱部入るん?」
「いや……」
 朋之もバスケ部に入っていたし、塾に行くのも美咲や彩加と同じだ。女子はともかく男子合唱部員が同級生にいなかったので抵抗があるらしい。

 そのあとの班替えから、二つの班が一緒になって無法地帯を形成してしまう。
 男子たちは三人組を作っていたけれど、美咲は彩加と二人で、四人組もバラすことはできなかった。だから五人班と七人班にして合わせて十二人にするしかなく、男子たちも一緒になって六人で固まってしまっていた。

 廊下の反対側の前に男六人、美咲と彩加が真ん中にいて、後ろに四人組だ。しかも男子メンバーも個性が強すぎた。大魔王に裕人に朋之、クラスで一番頭が良いと思われる升岡(ますおか)直紀(なおき)に、松田耕輔だ。ちなみに升岡も同じ塾で、クラスは選Sだった。

「なんか……すごい席やで」
 美咲は前の集団を見て少し頭を抱えた。美咲と彩加は正しい場所に座っていたけれど、四人組はギリギリまで後ろに下がっていた。まるで八人班と四人班だった。
「うぅぅー……寝る」
 授業にやってくる先生たちは「ここ、どうなってんの?」と聞いていたけれど、担任はもう何も言わなかった。
 授業中も休み時間も、美咲と彩加はいつも危険物体たちを観察していた。たまに変なことに巻き込まれることもあったけれど、それもある意味で楽しかった。

 危険物体たちは、普段は分けるなり上げるなりしている自分の前髪を何故かまっすぐ下ろして遊んでいた。
「お前もやれ!」
 松田に言われた朋之が笑いながら自分の前髪を押さえた瞬間、
「ぐふっ……うっ……」
 普段分けている彼の前髪は結構長く、美咲と彩加は思わず吹き出してしまった。
「トモ君、長いぞ!」
「ははは……!」
(あかん、おもろすぎる……!)
 担任の授業中で、期末試験の返却だったのでクラス全員が少し騒いでいた。美咲は壁側に寄っていて目の前には柱とカーテンがあったので、そこに隠れて笑った。

 彼らの会話はいつの間にか勉強のことになり、美咲と彩加も参加していた。升岡は真面目に勉強していたのに、松田と朋之は内側を向いていた。
「直紀、偉いなー勉強して。お前も勉強せなあかんぞ」
 松田はなぜか朋之に言った。
「佐方さーん、いつ勉強してんの?」
「え?」
 松田は今度は彩加に聞いた。
「帰ってテレビ見ながらやってる」
「え?」
 驚いて振り返ったのは、ずっと勉強していた升岡だ。
「何よ? 宿題くらいテレビ見ながら出来るやん!」
「は?」
 彩加は笑っていたけれど、やはり升岡には“ながら勉強”が理解できなかったらしい。

 またすぐに席替えがあり、今度は廊下側の席になった。美咲と彩加が一番前で、真ん中に男子たちで後ろに四人組だ。
 美咲の目の前に大きいゴミ箱があったので、ゴミは投げると捨てられる便利な席だったけれど。
「ちょっと、……大倉君、どいて」
 裕人は蓋のないゴミ箱に、よく座っていた。
 しかもそこは、危険物体たちの遊び場になっていた。外を走り回るのはさすがに寒くなったのか、教室でのボール遊びに変わっていた。

 ボコッ。
「ぅぇ……痛っ……何よー?」
 ボールは美咲の脳天を直撃だった。空気は少なめにされているのでそれほど痛くはなかったけれど。誰のミスかは知らない。
 裕人は遊びながら、ときどき塾の話をしていた。宿題が多いだとか、先生の噂話だとか、試験が嫌だとか。
「佐方彩加ーっ!」
「ええっ……何よ? ビックリするやん!」
 何故か笑顔で彩加の名前を呼んでいた。意味はなかったらしい。

 卒業生を送る会の準備は基本的に代議員と放送部で進められていたけれど、なぜか体育係が呼ばれた日もあった。体育祭なら分かるし、実際、あちこち走り回って準備をしたけれど。美咲は一年の後期から卒業までずっと体育係だったので、イベントの準備はいつも忙しかった。……体育は嫌いだったのに。

 好きなものは、やはり音楽だった。
「あっ、美咲ちゃん、……お願いあるんやけど」
 放送室の前で、美咲に話しかけてきたのは篠山だった。
「ピアノ弾いてくれへんかな?」
「うん……何を?」
 依頼されたのは、送る会での合唱部の伴奏だった。美咲はまだ入部を決めていなかったけれど、楽譜を渡された。引き受けた場合は、合唱部としての準備も発生してしまう。

「ミーソードーミーレーソーソーファ……ドードソーソラーラミーミ……」
 篠山から渡された楽譜は、最初は難なく弾けた。けれど、中盤から後半にかけてどうしても指が追いつかない場所があった。クラスの合唱コンクールで弾いた自由曲のほうが難しかったのに。結局それはもう一人の音楽の先生が弾くことになって、美咲も彩加も入部は断った。もちろん、朋之も入らなかったらしい。
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