Einsatz─あの日のメロディーを君に─
第9章 現在─守りたいもの─

第29話 再会と迷い

 高校に入ってしばらくしてから、美咲はようやく湯浦や周りの人たちの行動の意味に気付いた。けれど美咲は彼が嫌いではなかったけれど特に何も思っていなかったし、学校も反対方向だったので電車で会うこともなかった──三年の冬になるまでは。
「三年の冬? ……大学受験?」
 美咲に聞いたのは篠山だ。篠山は美歌の担任になって、Harmonieとえいこんの合同の夏の定演も近づいているので、美咲が顔を合わせることも増えた。
「はい。遠くの大学で、こっちの方に試験会場作ってくれてるとこがあって、それに行くのに駅で──」
 美咲はその日、制服を着て、学校とは違う方向へ向かうホームで電車を待っていた。平日の朝ではあるけれどラッシュアワーは過ぎていたのでホームに人の姿はなかった──二十メートルほど離れたところに立っていた男子高校生以外は。
 美咲は受験のためにいつもと違う行動をしているけれど、何もなければ普通に授業がある。彼は何かの事情で遅刻しているに違いない、彼が美咲を見ているのは普段見ない制服だからだろう、と思ったのと同時に美咲は記憶の中に彼のシルエットを見つけた。同級生の湯浦雄二だった。
「えええ? そこで何か喋ったん?」
「いえ……実は」
 湯浦も美咲に気付いたようで、美咲は視線を感じていたけれど。何か言いたそうにしていたけれど。
 何も起こらなかったのは、美咲は一人ではなく仕事に行く父親と一緒だったからだ。
「うわぁ……」
「父親いなかったら、何か喋ったと思います」
 それから美咲と父親は湯浦とは違う車両に乗って、終着駅で降りた。その間は美咲は彼の姿を見なかったけれど、美咲の知識が正しければ降りる駅は同じだ。父親は駅から徒歩になるけれど、美咲がバスに乗るまでずっと近くにいた。美咲は少し離れたところに湯浦の姿を見つけたけれど、彼は何も言ってはこなかった。
「ふぅん……残念やったねぇ」
 その後、美咲は成人式で彼と話をしようと決めていたけれど、友人たちと話したり危険物体たちを遠くに見かけたりしているうちに忘れてしまっていた。だから他の同級生たちに頼って何とか湯浦と連絡を取ったけれど、卒業論文の調査にも協力してもらって二度ほど会ったけれど、関係が変わることはなかった。
「美咲……そいつのこと好きやったん?」
「それはないわ。たぶん、当時のことを聞きたかっただけやと思う。……先生にも聞きたいんですけど」
「え? なに?」
「あのとき……何か聞いてたんですか? コンクールの指揮決めるとき」
 美咲が聞くと、篠山は少し笑ってから話し始めた。
「そうなの。たまたま、湯浦君が美咲ちゃんを、って男の子らが話してるの聞いたのよ。これは利用するしかないぞ、と思って! ははは! それで彼を呼び出してねぇ。近づくチャンスやで、って言ったんやけど、何もならんかったねぇ」
「やっぱり、そうやったんですね」
 美咲が湯浦と会ったのは、えいこんに所属していたときだ。当時から篠山に言おうか悩んでいて、ようやく話すことができた。美咲と篠山は湯浦の話を続けていたけれど、朋之の顔がひきつってきたので適当に切り上げた。

 八月のHarmonieとえいこんの合同定演は無事に終了した。同窓会でHarmonieとえいこんの存在を知った人たちがときどきどちらかに聴きに来るようになって、合同のときは解散してから同級生たちで食事に行くのもお決まりになった。
 残念ながら、篠山は入ってはいないけれど。美咲の元親戚の大塚(おおつか)華子(はなこ)も、住んでいるところが離れているのでそのまま帰ってしまうけれど。いつもいるのは裕人と彩加と、たまに高井だ。森尾も聴きに来ていたけれど俊と遊ぶ約束をしていたようで、俊の希望もあって美歌を預かってもらった。
「またトモ君、ソロしてたよな。上手いよなぁ」
 えいこんにもソロができるメンバーがいたけれど、彼は少し前に引っ越して、通えなくなったので違う合唱団に移ってしまった。
「マイクもつけてないよなぁ」
「ないない。会場の音響だけやな」
「そういえば高井……中学三年とき、選択授業で合唱してたよなぁ? 後期に」
 美咲が聞くと、高井は久しぶりに変な顔をした。
「やったけど、それ触れんといて! あれ黒歴史やねんから」
「おまえ、そんなこと言うなよなー、周り見てみ? 俺ら以外みんな合唱経験者やで」
 美咲と朋之はともかく、彩加も好んで歌を歌っていた。今は辞めているけれど高校の頃からバンドをしていたし、音楽が好きなはずだ。
「あ──いや──、俺のことは良いねん。そうや佐方、いま何してるん? 仕事は?」
「仕事……ストレスしかないから辞めた。いま実家に戻ってる」
「そうなん? 彩加ちゃん……彼氏は?」
 美咲の質問に彩加は一瞬、顔をひきつらせた。それはもちろん、朋之と付き合っていた過去があるからだ。そのことは、ここにいる全員が知っている。ちなみに彩加はまだ、美咲と朋之との三人で会うのは気まずいらしい。
「それ美咲ちゃんに聞かれたくなかったなー。まぁ良いけど……今はいてない」
「ふぅん……バンドも辞めたんやろ?」
「うん。だから……えいこんに入った」
「え?」
「気分転換したいし。美咲ちゃんと一緒のHarmonieも提案されたけど、先生知ってるし、近いし」
 彩加は言わなかったけれど、えいこんを選んだ理由は他にもあるはずだ。Harmonieは美咲と朋之もいるので、考えることが多くなって集中できないのだろう。
 一週間後、Harmonieの練習が終わって片付けも済んでから、井庭が朋之を呼んだ。美咲も美歌を連れてきていたので、一緒に話を聞いた。
「山口君、まだ誰にも言ってないんやけどな……もう私も年でな。来年の定演で引退さしてもらうわ」
「え? 引退って……解散ですか?」
「いや。山口君に交代してもらいたい」
 井庭が高齢になって代表を続けるのが辛いとは何度も聞いていたし、交代を依頼される度に朋之は断っていた。朋之は団長ではあるけれど代表の器はない──けれど井庭は本当に引退を決めたらしい。
「でも、俺は……そんな……」
「他に候補はいてない。山口君が継いでくれんかったら、……解散するしかないかもしれん」
 それは朋之はもちろん美咲も嫌だった。Harmonieがあったから再婚することになって、Harmonieがあったから成長することができた。
「どうかなぁ」
「──考えさしてください」
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