花散る雨、里に恋しなりゆく

恋々

「無くて、ええよ。無い方がいい。傷つくだけや……」

 混乱した頭から、普段、見聞きしている嫌な事を思い出しながら、楓は切に訴えた。

 ――だが、同時に所謂(いわゆる)、労り、慈しみ、いとおしむ、という気持ちも無い。人間が求める『愛』とやらも持ち合わせていない。それでも、いいのか?

「……こうして、忠告してくれるんも、最善と判断した、から?」

 ――そうだ。本来なら、人間との接触は禁忌(タブー)

「うちの事考えて、とかじゃなく?」

 ――ああ

 容赦なく返ってくる、無情な言葉。これが水神……神という種族の本質なのだろうか。思わぬ彼の無機質なつめたさを感じ、めげそうになる。だが、何か()()と、心の中に抱いていた違和感があった。彼との会話の中で感じていた、温かな()()を、恐る恐る(すく)い上げる。

「……ほんなら、何で声かけたん? ずっとほっといても良かったやん……」

 ――…………!!

「うち一人の願い無視したって、サクヤさんは何も損せぇへんのと、違うん……?」

 傍で感じていた凛とした気配が、微かに震えた気がした。返答に詰まる彼の姿が、目に見えるようだ。


「そりゃ……よっぽどうざかったんかもしれんけど…… ()が無いなら、そんな気持ちもないやろ?」

 自分の言葉の矛盾、本質を突かれた気がしたサクヤは、完全に言葉を失った。理屈の通らない主張に気づかないまま、彼女に語っていた事に戸惑う。それ以前に、そんな自身が信じられないでいる。

 ――…………

「サクヤさん……?」

 困らせ、傷つけたかもしれないと焦り、罪悪感が楓を襲った。そんなつもりはなかった。ただ、想いが溢れて止まらなくて、自分でもどう扱って良いかわからないまま、ぶつけてしまった。
 長い沈黙が続く。ふたりとも、今の状態に耐えられなくなってきていたが、下手に何か言って、壊すのも怖かった。

 ――……すまないが、応えられない。お前と私は違う種族で、相容(あいい)れない世界に生きている

 わかっていた。そんな言葉を聞きたいんじゃない。違っていても良かった。雰囲気に流されて口にしてしまった気持ち、恋と呼べるのかもわからない、生まれたばかりの拙い想いだけど、精一杯の特別な好意。それをただ伝えたかっただけだった。
 が、その事で初めて拒絶されてしまった事がショックだった。頭が真っ白に弾けた後、言わなければ良かったという、激しい後悔が襲う。恥ずかしくてたまらない。このまま消えてしまいたい……

「……わかり、ました。変な事言って、ごめんなさい……」

 これ以上何か言ったら、もっと深く傷ついてしまいそうに感じ、俯いたまま頭を軽く下げ、ゆっくりと(きびす)を返し、背を向けて足早に駆け出した。
 何より大切にしたかった存在だったのに、どうしてこうなってしまったんだろう…… 訳が解らず、涙がまた溢れ出した。今日は泣いてばかりだと、慣れた帰り道を走りながら、壊れそうな意識の中、思った。


 帰宅した楓は、夕食をとる気にもなれず、ぼんやりとベッドに横になっていた。涙だけは、自然に流れてくる。
 彼は人間ではない。別世界に生きている神様だ。だけど、話していたかった。一緒にいたかった。それ以上を望んでいた訳ではなかったが、困らせてしまったのだとは思う。
 何故、大切なもの、尊いもの程、長く手に取れなくて、届かない場所に行ってしまうのだろう。少なくとも、楓にとって大切だと思うものは、いつも瞬く間に離れて、消えてしまう。子供の頃に聞いた、桜の愛らしい笑い声も、祖母も、サクヤも……
 正直、もう嫌になっていた。自分も消えてしまいたい。()()()ててしまえたら、どんなに楽だろう……と思う時もあった。生きる意味さえわからない時だって、数え切れない程、何度も、何度も……

 暫く泣いた後、さすがに喉の渇きを感じ、とりあえず何か飲もうと、キッチンに向かった。冷蔵庫からミネラルウォーターのボトルを取り出し、カウンターでグラスに注ぐ。水がガラスにコポコポ、と打ち鳴る、涼しげな音がする。
 水――彼が(つかさど)って、携わっているもの。普段、自分は当たり前のように口にして、飲んでいる物……
 人間の世界にルールがあるように、神様の世界には神様の生き方やルールがあるのだろう。そんな事にすら気づかず、甘えてしまった……
 ふと、視界にフォトフレームが映る。あの、祖母とのツーショットの写真だ。満面の笑顔の二人。この頃の自分は『しあわせ』だったのだと思う。だったら、祖母もしあわせだっただろうと、彼は言ってくれた。
 嬉しかった。ずっと苦しかったものを軽くしてくれた。沢山、励ましてくれた――頭の中で何かが弾け、瞬く。
 祖母が、たとえ『しあわせ』だと思ってくれてたとしても、それでも、もっと返したかった。病気が見つかって、すぐに入院してしまった時、幼い自分はショックで一人泣いてばかりだった。今までのお礼すらまともに言えないまま、永遠の別れを迎えたのだ。
 また、あの時みたいな事を繰り返して、同じ思いをしたくない。後悔で苦しみたくない。彼はもう口を利いてくれないかもしれないけど、せめて謝って、きちんとお礼を伝えたい――
 くじけそうな心に喝を入れるように、楓はグラスの水を、一気に飲み干した。


 翌日は土曜日だった。晴れてはいたが、寒暖差の激しかった日暮れ。決戦にでも挑むような思いで、楓は祠に向かった。いつもと違った場所のように見える中、恐る恐る、口を開く。

「……サクヤさん、すみません。私です……」

 少し後、辺りが引き締まる気配に包まれ、あの()が響いてきた。

 ――……もう、来ないとみていた

 話しかけてくれた事に楓は安堵し、同時にきまり悪そうに俯く。

「ぎょうさん励ましてもろたのに…… あんな終わり方はないかな、思て」

 ――私もきつく言い過ぎた。悪かった

「お礼だけでも、ちゃんと言いたかったんよ」

 ――だが今までと……何も、変わらないぞ

「何も得せんでも、動きたくなる時があるんが人間、なんやろ?」

 以前、彼女に言った言葉に()された。なら、自分がした事は何だったのか。あれから、彼も自問自答し続けていたのだ。

「ほんまに……色々、ありがとうございました。おかげで、また頑張ってみようって……思えた」

 そんなサクヤの動揺と葛藤には気づかず、改めるように、なるべく毅然とした面持ちで、楓は告げた。そして、伺いを立てる。

 ――…………

「だから……(つら)なった時、また来ても……ええかな……? それ以上、はええから……」

 ――花の()は、もう大丈夫なのか

「サクヤさんがおるなら……大丈夫。雨の日は、なるべく避けるし」

 不安そうな表情だが、初めて声をかけた時よりも、どこか力強い口調に変わった彼女を、サクヤは感慨深く、そしてどこか切ない()()で見ていた。

 ――……わかった。構わない

 許しを得た事で、楓はようやく安堵し、微笑みを見せた。
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