月猫物語『遠いあの日の純恋歌」
 「じいさんよ、安物のタバコは体に毒だぜよ。 やめねっか?」 「お前も毎晩の深酒は体に毒だぜよ。 やめねっか?」
「お互い様か。 まいったまいった。」 健三はそう言って頭を掻いた。
 「ところで松代ちゃんのことは何か分かったか?」 「分かんねえ。 手掛かりが何も無いんだよ。」
「不思議なもんよなあ。 あんだけ仲良しやったのに、、、。」 玉蔵は大きく煙を吐いた。
タバコの煙はユラユラと天井へ登って行った。
 松代が東京行きの汽車に乗ったあの日、健三はただ見送ることしか出来なかった。
とめさんは必死に思いとどまらせようとしているが、、、。
「私ね、決めたのよ。 こんな田舎で静かに暮らすなんて無理だわ。」 「だからって東京はやめときなさい。 人間じゃなくなるわよ。」
「それでもいいの。 私は私なの。」
 髪を長く伸ばしておしゃれなバッグを持ち、甘い香水を漂わせている松代は全くの別人に見えていた。
フォー フォー! 田んぼの中で汽笛が響いている。
真っ黒な煙が真上から後ろへ流れていく。 健三は立ち尽くしたままだった。
「松代ちゃん 行っちまったね。」 とめさんも力なく走り去る汽車を見詰めていた。
「あいつは馬鹿だよ。 流行りだからって自分の人生を無駄にしやがった。」 「健ちゃんはどうするね?」
「俺はこの町で土になるよ。 この町で生きるんだ。」 夏も終わろうかという頃だった。
ミンミンゼミが少なくなってヒグラシが鳴き始めたころだ。 「こいつが鳴き始めると居たたまれなくなるなあ。」
「どうしてさ?」 「だって、こいつの鳴き声はやたら寂しいじゃないか。」
「松代のことか?」 「あいつなんてどうでもいいよ。」
「ほう、お前にしては珍しいなあ。」 「振り返っても戻ってこないんだぜよ。」
あの日も二人はサンマを齧りながら他愛も無い話でお茶を濁していたのだった。
あれから10年が過ぎたんだ。
 「なあ、健三 お前もそろそろ嫁さんを貰ったらどうだ?」 「いきなりどうした?」
「お前もそろそろ50だ。 いつまでも元気だとは限らん。 嫁さんを貰ってだなあ、、、。」 「分かった分かった。 考えとくよ。」
健三は面倒くさそうに手を振った。 玉蔵が帰ってしまうと彼は飯の炊け具合を確認した。
 そしてまたまたサンマを取り出すと網に載せる。 親父がやっていたように内輪で扇いだりする。
親父が元気だった頃もそうだったなあ。 玄関先に七輪を置いてサンマを焼いてたっけ。
「健三、焦げないように見張ってろよ。」 そう言いながら歩いている奥さんたちに似合わぬ愛想を振り撒いてみる。
時には愛想笑いを返してくる奥さんも居る。 「やめなって。 母ちゃんが可哀そうだろうがよ。」
「何? お前が妬いてるのか? いいか健三、男はなあ働いて働いて女の一人や二人拵えて美味い酒を飲むんだ。 それが男だぞ。」
「そうじゃなくて、、、。」 「男はなあ、女を作ってなんぼだぞ 健三。」
分かるような分らん持論を展開するのは親父の常だった。 でも今じゃあ養老院のお世話になってしまっている。
母ちゃんも10年前に死んでしまった。 兄弟は居ないから俺は独り者だ。
 パタパタと扇いでいたらサンマのいい匂いがそこらに溢れてきたようだ。 表では井戸端会議も終わったのだろう。
通りも静かになって涼しい風が吹いている。 そこへまた男が訪ねてきた。
「やあ、健三君。 サンマ美味そうだなあ。」 「銭も出さねえようなやつになんか食わせねえぞ。」
「たまにはいいじゃねえか。 友達なんだしよ。」 「誰が友達だってか?」
「健三君だよ。 健三君。」 「都合のいい時だけ友達なんだよなあ お前は。」
「まあいいじゃないか。」 「何がいいもんか。 このカラス天狗目。」
「ひどいなあ。 カラス天狗が可哀そうだぜよ。」 「それもそうだ。 あははははは。」
健三がサンマを摘まんでいると男が隣に座った。
 この男、町内会長の石渡五郎である。 「何か用か?」
「実はだな、、、今度の盆踊りの話だ。」 「もうそんな季節か?」
五郎は盆踊りの式次第を書き留めた紙をポケットから取り出した。 「ほー、そんな物が有ったのか。」
「毎年お前にも見せてるじゃないか。」 二人は飲みながら盆踊りの話をするのである。
時に激論を交わし、時に無口になりながら、、、。

 盆踊り、昭和時代ならあっちでもこっちでも盛り上がっていた。
露店まで威勢を張ってそれはそれは賑やかだった。
 あっちからこっちからチンチンドンドンピーヒャララ、、、笛だ太鼓だ鐘だって賑やかだった。
人々は三三五五集まって談笑し時には笑い合い、夜更けまで踊りあかす者も多かった。
でもどうだろう? 昭和も終わるころになると騒音やらゴミやら文句ばかり言うやつが増えてしまった。
それで気付いたころには盆踊りも無くなってたんだよな。 どうかしてるよ。
盆踊りくらいいいだろう? お前さんの迷惑になんてならないんだし、、、。
第一な、そうやって文句を言うやつが一番目障りなんだよ。 迷惑だったら町から出て行けばいいじゃないか。
何も迷惑を被らない所に行って一人でひっそりと暮らせばいいんだ。

 「さあさあ買っておくれよ! 今夜はサービスするよ!」 駄菓子屋のためさんが皺くちゃな顔で上げ口上を打ち上げる。
するとイカ焼きをしていたおっちゃんが出来もしない口上を打ち上げて笑いを誘う。 いいもんだったなあ。
俺は金魚掬いをしている子供たちを見ながら甘酒を飲んでいる。 風が気持ちいい。
綿菓子を買ってもらって嬉しそうな子供も居る。 お面をかぶって走り回る子供も居る。
田舎ってさあ、見た目は古臭いし見すぼらしくも見えるさ。 でもこういうのが有るから好きなんだよ。
防犯意識とか近所がどうのとか、そんなことは後からでも何とかなるもんだ。
でもな、人間の信頼関係って普段の積み重ねじゃないのかい? 何もしねえで信用できるとかできないとか言ったって分からねえだろうがよ。
なあ、玉蔵じいさん。 俺はそう思うよ。

 飛ぶか飛ばぬかは知らないが、健三は小さな商事会社 津村商事で働いている。
右も左も分からん時分から社長の津村哲三には世話になってきた。 というか、社員が少ないからしょうがない。
 今日も7時半には家を出て、小さなバス停に向かう。 角には昔なじみの花屋が在る。
松代とよく遊びに来た花屋だ。 「ねえねえ、健ちゃん 見てよ。 スイートピーだよ。」
「おー、きれいな花だな。」 「育てたいなあ。 この花 好きなのよ。」
「おやおや、松ちゃんはよく知ってるねえ。 じゃあ一本あげるよ。」 「いいの? ありがとう。」
貰ったスイートピーを嬉しそうに眺めながら松代は空き地まで歩いていく。 「今日はいい天気。 すごーい、あんな所まで見えるよ。」
少々、高台になっている所だから蒸気機関車が煙の尾を引いて走って行くのもよく見える。
まさか、その汽車に松代が乗って行くとはな、、、。
ガタゴトガタゴト、汽車は何を乗せて走って行ったんだろう?

 オンボロのバスが来た。 扉が開くと会釈して健三は後部座席に座る。
誰にするわけでもなく、なんとなくしなきゃいけないような気がして彼はする。
俺も古い人間だなあ。 凸凹道をバスは走って行く。

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