出戻り王女の恋愛事情〜人質ライフは意外と楽しい
 コンコン

 執務室の扉を遠慮がちに叩く音がして、ユリウスは目を通していた書類から顔を上げた。

 彼の部屋は基本誰でも訪れるわけではない。
 事前に予約がなくても、まずは隣室にいる秘書官のレイドルフを通す。
 レイドルフが先に入室し、それから用件のある者を案内する。
 レイドルフとは明らかに違う扉の叩き方に、彼は訝しんだ。
 また、休憩に入る時には必ず声をかけてくる。ちらりと懐にある懐中時計を見ると、休憩にはまだ早い。

 しかし、レイドルフの許可を得て扉を叩いたのなら、入室を認めるべきだろう。 

「入れ」

 彼の返事と共に、ガチャリとノブが下げられ、入ってきたのはジゼルだった。

「何だ?」
「あの、お忙しいところ申し訳ございませんが、少しお時間をいただけますか?」

 扉を叩いたのも彼女だったらしい。
 彼女の背後に侍女長とレイドルフが立っているのが見えた。

「何だ、申してみよ」

 ジゼルは部屋に一歩入った所で扉を閉めて、その場に立った。

「あの、長い間、お部屋を占領してしまい、申し訳ございませんでした。閣下にお願いしたき議がございます」
「それは?」
「あの、ご用意いただいた部屋ですが…」
 
 ジゼルは慎重に言葉を選んだ。
 場合によっては苦情と取られかねない。
 
 ジゼルは先程侍女長とやり取りした会話を思い起こしていた。

 もうひと晩、ジゼルはボルトレフ卿の部屋で過ごし、今日別の部屋に移動することになった。
 体調を壊して高熱のため意識を失って急遽運び込まれ、部屋の準備が出来ていなかったため、仕方がなく彼の部屋に運び込まれた。
 それから意識を取り戻し、意識のなかった間を含め、結局四日間、彼の部屋で過ごすことになった。

「こちらが新しいお部屋になります」
 
 侍女長のケーラがジゼルとメアリーを連れて、次の部屋へ向かったのだが、そこはボルトレフ卿の部屋と同じ階にあり、広さは彼の部屋より少し狭いが、ちょうど彼の部屋と対極にある。

「ここ、ですか? あの、間違いでは?」

 一応ジゼルは侍女長に確認してみた。
 
「いいえ、この部屋をと、ユリウス様から仰せつかっております」
「でも、ここは…」

 王女としては過不足ないが、人質としては分不相応とも言える。
 そこは邸の主人格のための部屋のように見える。

「長い間この部屋の主はおりませんでした。家具などは少々古くなっておりますので、お若い方には古臭いかもしれませんが、住むのには十分かと。お気に召しませんか?」
「いえ、そうではなく、こんな立派なお部屋…」
「ユリウス様がお決めになられたことで、私共はその命に従っただけです。ここはユリウス様の叔母様が嫁ぐまで使われていた部屋で、もう二十年近く使われておりません」
「申し訳ございません。他の部屋はありませんか?」
「何かご不満が?」
「不満などございません、でも、こんな立派なお部屋は、分不相応です」
「そうは申されましても、主からここをお使い頂くよう案内しろと仰せつかっただけですので、もし変更をご希望であれば、直接ユリウス様にお申し出ください」
 
 そう言われて、彼女は彼の元へ直談判に訪れたのだった。

「気に入らなかったか? しかし、今、我が家で適当な部屋はあそこしかない」
「とても素敵なお部屋でした」
「そうか。なら何が問題だ?」
「立派過ぎます!」

 思わず大きな声を出してしまい、ジゼルは慌てて口を覆った。

「その、私の立場では少々、いえ、かなり立派過ぎます。部屋を変えていただけますか?」
「それは無理だな」
「え?」
「俺が一度決めたことだ。その程度の理由では決定を覆すことは出来ない」
「でも…」
「それに、違う部屋となると、また使用人たちに部屋の準備をしてもらわなければならない」
「そ…」
「人質だと言っておきながら、王女殿下の我儘ぶりに、皆が振り回されることになるのだな」
  
 せっかく用意した部屋を、どういう理由であれ気に入らないから変えろと言えば、用意した人たちに失礼にあたる。
 もてなしてくれる相手に、もてなし方に対して不満を言っていることになる。そちらの方が無礼だと、ジゼルに告げているのだ。

「それでも王女殿下のご意向に…」
「いえ、私が失礼でした。せっかくのご好意を無下にするような発言をいたしました」

 しゅんと項垂れジゼルは謝った。

「わかればいい。ああ、そうだ」

 ふと何かを思い出した様子で、ボルトレフが立ち上がった。
 彼は執務室の椅子に掛けていたシャツを一枚取り上げ、それを持ってジゼルの前に突き出した。

「仕事をやろう」
「え?」

 シャツと彼の顔をジゼルは交互に見た。

「繕い物は出来ると言っていただろ? 袖が取れかかっている。それと、裾が少しほつれているので、直してもらおう」
「あ、は、はい」

 いきなりのことに、ジゼルは戸惑う。

「なんだ? できないのか?」
「あ、いえ、で、出来ます」

 ボルトレフから彼女はシャツを受け取った。

「針と糸はケーラに用意してもらえ」
「は、はい」

 ジゼルにとって、こんな風に何か仕事を与えられるのは、初めてのことだった。

「うまく出来たら他の仕事も回してやる」
「ありがとうございます」
「それから、これからは俺のことはユリウスと呼べ」「ユ、ユリウス…様」
「話は以上だ」 
 
 暗に出ていけと言っているのだと悟り、ジゼルは彼の部屋を出た。

 彼女と入れ替わりに秘書官が執務室に入っていき、ケーラがジゼルを出迎えた。

「それは?」

 彼女はジゼルが持つシャツのことを尋ねた。

「ボルトレフ卿…あ、ユリウス…様が、袖付けと裾のほつれを直せと」
「さようですか」

 ボルトレフ卿のことを、ジゼルがユリウスと名前で呼んだことにケーラは気づいた。
 そしてちらりとケーラはジゼルの肩越しに扉の方を見て、面白そうに微笑んだ。
 
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