ベテラン転生者エリザベス、完璧な令嬢になりました。今度こそ思い通りの人生になる…はず?

だってシュテファンさまはつれないのです。

 どうやら、身も心も痛いリズはそのままベッドで、ウトウトしてしまったらしい。

 いくつか夢を見たあと、はっと目をあけた。客室係のメイドがリズの体をそっと揺すっているのが視界に入った。濃紺のワンピースに白いエプロン、栗色の髪もきちんと纏めている。
「お休みのところ申し訳ございません」
 はい、と、掠れた声で返事をする。
 体をゆっくりと起こすと、メイドがすみやかにクッションを並べて体を支えてくれる。さらに、ベッドサイドの水差しにわずかに視線を投げれば、すかさず彼女が水を汲んで渡してくれる。どこまでも有能な女性である。これは無駄に起こされたわけではないだろう。
「あの……何か……」
「はい。先ほどから、レオンハルト・ゲーアハウス・シェーバーさまが、お見舞いに入室したいとお部屋の前でお待ちですが……」
 レオンハルト・ゲーアハウス・シェーバーとはだれのことだったかしら、と、頭を捻る。
 寝起きで回転の鈍い頭に自分で苛立ちながら、そっと魔法を使う。脳裏にポンと浮かぶ馴染みの顔。
「あ、ああ……レオさまね……そうね、入っていただいて」
「承知いたしました」
 メイドはリズの身だしなみを素早く調え、ベッド周りも見苦しくないように直し、ご丁寧にパーティションを置いて、レオを呼びに行った。

「レディ・リズ、具合はどうだい?」

 ほどなくして本当にレオがやってきた。
 パーティションから顔を出してそちらを見れば、なんと見知らぬ令嬢を引き連れての入室である。深い緑のシンプルなドレスを着た彼女は、明るい金髪を低い位置で結っていて、どこか生真面目そうである。
 彼女は、リズを見るなり完璧な挨拶をした。レオのパートナーだろうか。だとしたら、紹介してくれそうなものだがレオはお構いなしだ。
「レオさまわざわざ来てくださったの?」
 ああ、とレオが頷き苦笑を浮かべた。
「彼女はうちの……いや、子爵の末娘ハンナ嬢だ。レディの寝室に男がひとりで入るのはどうかと思い、同行願った」
 ハンナに、リズが挨拶を返す。が、『うちの』なんだろうか。
 彼女の立場が微妙にわからない。恋人ですか、と聞くのもはばかられる気がして、リズは黙って二人を観察することにした。
「シュテファンが不用意にここを離れたせいでこのドアの前には男が群がっていた。すまない。追い払っておいた」
 ありがとうございます、と言いながらきょとんとしたリズがレオを見た。
「でもなぜ、レオさまが謝罪をなさるのでしょう?」
 あ、いや、と、レオがぽりぽりと頬を掻いた。
「シュテファンと俺は親しい。幼馴染で乳兄弟で学友ってやつでね。寄宿舎でも同室だったんだ。だからあいつにかわって詫びておこうと思って」
「まぁ、そうでしたか! レオさま、律儀でいらっしゃるのですね」
 微笑ましい二人の関係性を思い、リズが自然に笑った。その瞬間、レオと、レオの斜め後ろに立っていたハンナが、同時に目をまん丸にした。
「……ハンナ、見たか……」
 レオが、斜め後ろに立ったままのハンナを大げさなほどの勢いで振り返った。ハンナが、こくこくと激しく頷いている。
「はい。花が綻ぶような可憐な笑み、とはあのことでございますね。わたくし、閣下をはじめとした美形は掃いて捨てるほど見ておりますが、リズさまは間違いなくトップスリーに入る美しさでしょう」
「だろう? あの美貌と気の利いた会話ゆえいつも男に囲まれているんだが、ちっとも天狗にならない」
「稀有な存在でございますわね」
「羞花閉月、沈魚落雁とはまさに彼女のことだぞ……。あのように美しい女性に好意を寄せられているのに、シュテファンときたら……! あいつには、勿体無いような女性なんだよ」
「同感でございます」

 大変な褒めようである。
 美しいと言われ慣れているリズであるが、ここまで褒めちぎられるとどうにもむず痒い。さすがに恥ずかしくなって赤くなった顔を伏せた。
 その仕草がまた男をそそる、と、レオがひとりで盛り上がる。
 話題をかえないと居た堪れないと思ったリズは、一番知りたいことを尋ねた。

「あの、シュテファンさまはどうなさったのですか?」

 そうだよねぇ、気になるよねぇ……と、真顔になったレオが天井を仰いだ。そのレオに、ハンナが紙きれのようなものをそっと手渡す。
「閣下、こちらのお手紙をレディに」
「……渡した方がいいのか?」
「見なかったことにしたいのは山々ですけれども、預かってしまった以上は渡さなければなりません」
 はぁ、と、レオはため息をついた。
「……ハンナ」
「承知いたしました」
 静々と近寄ってきたハンナが、リズの手に紙きれをのせた。
「これは……?」
「シュテファンさまからの、言伝にございます」
 何が書いてあるのだろう、と、期待よりも不安が押し寄せてきて手が震える。レオの反応からして、あまり良い内容でないだろうが。

「あ……」

 あまりに素っ気ない中身だった。
 ぱき、と、リズの心に小さなヒビが入った。急激に周囲の色が褪せていく。

 急に人と会う用が出来たからこれにて失礼する。

 それだけが、几帳面な字で書いてある。
「き、急な御用ならしかたありませんわ……」
 だが、レオが、くわっと目を剥いた。
「怪我をしたレディ、しかも、自分に好意を寄せてくれている美貌のレディをほったらかして出かけるとは、どんな用事だ! 信じられないね、まったく!」
 リズとて、内心穏やかではない。もちろんリズはシュテファンの恋人でも何でもないから、優先順位は低いだろう。仕方がないと頭では理解できる。

ーーシュテファンさま……やはりわたくしのことはあまり……

 あまり、どころかまったく興味がないのだろう。思わず拳を握ってしまう。
 振り向いてもらえなくて悲しい、傷ついた。それだけではなく、ぽっかり心に穴が空いたような心地だ。

「わたくしでは――だめなのですね……? 振り向いてくださらない……」

 まだまだやれることはある、諦めるのははやい、これから巻き返すのよ! と、思うものの、ぽたぽたと、涙が落ちた。慌てふためくレオを宥めたハンナが、白いハンカチで涙を拭ってくれる。
「レディ、きみがそこまでシュテファンを好きだとは思わなかったぞ」
「え?」
「その涙は……」
 ごほん、と、ハンナが無理矢理割って入った。正直、助かった。
「リズさま、舞踏会はまだ続いておりますが、いかがなさいますか?」
「う……ど、どうしたら……いいのかしら……」
「そうですね……。お怪我をなさったことですし、今宵はお帰りになってはいかがでしょう?」
 ハンナが、優しく声を掛けてくれる。
「帰宅しても……その、主催の方に失礼にはならないかしら?」
「ご安心ください。誰も咎めはいたしません。エチケットに反することもリズさまの名誉に傷がつくこともございませんよ」
 リズの心配を、ハンナが的確に払拭してくれる。
「よし、それがいいだろうな。誰かいるか! レディ・リズの馬車の用意を。人目につかないよう、裏に回してくれ」

 レオがどこかに叫び、人がすばやく動く気配がした。
 妙に命令し慣れている。
「レオさま……あなたは、なにもの……?」
「ん、侯爵家の嫡男だよ。風来坊っていうのかな」

 違うわね、と、リズはぼんやり思った。
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